■第七章 エネルギー機動性理論の時代


■エネルギー機動性理論

今回からはエネルギー機動性理論(Energy maneuverability theory)、いわゆるEM理論の内容を具体的に見て行きましょう。ボイドは航空機が持つ運動性能を機動能力(Maneuverability)と呼びました。エネルギー機動性理論はそれを数字で比較できるように計算可能にしたもの、と考えてもられば大筋で問題ありません。

1963年にボイドとクリスティの共同研究として発表されたこの理論を簡単に説明すると、機体が持つエネルギーの総量と重量との比、そしてその使用速度によって機動性能は決定される、という事です。つまり位置エネルギーと運動エネルギーの二つをより多く持っている機体、さらにこれらを素早く充填しかつ利用できる機体が最強の機動力を持つ戦闘機となる、という事になります。

単に大きなエネルギーを持っているだけではダメで、その補充と利用速度が速い必要がある、という点が重要なのに注意してください。単なるエネルギーのやり取りだけでなく、この辺りに注目したのがボイドの慧眼であり、この理論の最大のポイントです。実際は、この点はほとんど理解されて無いので(笑)、要注意なんですが。

■エネルギー機動性理論の必要知識

エネルギー機動性理論を理解するための最低限の知識を簡単に確認しておきましょう。
とりあえず理論の名前にもなっているエネルギーの定義から。そもそもエネルギーって何だ、という話ですね。
といっても、これは厳密な定義は不可能に近く、ガソリンもエネルギーなら、食事の糖分もエネルギーだし、地球中心点からの距離だって位置エネルギーになる上に、カワイイあの子の声援は心のエネルギーに変換可能です。
が、私の知る限り、カワイイあの子の声援で戦闘機は飛ばせないので、ここでは、以下の力学的な定義に従います。

〇力を発生させて“仕事”を行なうのに必要なものが“エネルギー”である。

エネルギーの消費と引き換えに発生する力を使ってあらゆる“仕事”は行なわれます。少なくとも地球上の我々の生活環境では力はなんらかのエネルギーが無いと絶対に産まれません。車やバイク、航空機もエネルギー源である燃料がないと力が生じず、自由に動く事ができないわけです。ここでの“仕事”とは力学的な意味の仕事量の事ですが、この記事内では機体を運動させる事だと考えてもらえば大丈夫です。

航空機の場合、上昇、旋回といったすべての機動に翼の揚力、機体に対して上向きの力を使いますから、力に変換できるエネルギーの大きさが、それに使える機動力の大きさを決定します。 当たり前、と言えば当たり前です。

そして機体を運動させるのに必要な“力”を直接生じさせる事ができるエネルギー、すなわち消費する事で即座に力に変換できるエネルギーは二種類しかありません。速度によって得られる運動エネルギー、そして高度によって得られる位置エネルギーです。それ以外のエネルギー、熱エネルギー、かわいい彼女の声援による心のエネルギーなどは直接力に変換できないので、ここでは考える必要が無いと思ってください。
(熱エネルギーによって物体の膨張、爆発を引き起こし、力に変換して利用するのがエンジンとなる。人類は未だに直接熱エネルギーを力に変換する方法を知らない。このため基本は爆発、膨張を媒介に運動エネルギーに変換するが、例外としてゼーベック効果による熱発電がある。ただしこれも熱エネルギーによって電気を生じるだけで力に変換されるわけではない。ちなみにかわいい彼女の声援については未だ力学的な解明がなされて無いのでここでは無視する)

両エネルギーを理解するために、それぞれの量を求める数式をここで説明しておきます。どちらもキチンと理解するには積分の理解が必要ですが、ここでは丸暗記でかまいません。

〇運動エネルギー(E)=1/2×質量(m)×速度(v)×速度(v)

〇位置エネルギー(E)=質量(m)×加速度(a)×高度(h)


異なる数式ですが、計算して見ればどちらも単位(次元)はkg mm/ssになり、同じ種類の量、エネルギーであることが判ります。ちなみに1kg mm/ss=1J(ジュール)ですが、私はSI単位は死ぬほど嫌いなので、ここでは無視します。
ただし航空機が持つ位置エネルギーは重力加速度、g=9.8m/ssによるものだけなので、その位置エネルギーは

〇航空機の持つ位置エネルギー=質量(m)×重力加速度(g)×高度(h)

と表記される事が多いです。よってこの記事でもこちらを使いましょう。

とりあえず運動、位置、両エネルギーともに機体の質量が増加すると大きくなる事、運動エネルギーでは速度が、位置エネルギーでは高度が増大するとエネルギーが大きくなることを見て置いてください。
ちなみに仕事量=エネルギーとなる事が力学的に知られてますので、質量が大きいほど「仕事」をする、つまり動かすには大きなエネルギーが居る、速度と高度を大きくするにも大きなエネルギーが必要、という事でもあります。

航空機では運動エネルギーはエンジン出力を使って得る速度から、そして位置エネルギーは単純に飛行高度から、それぞれ得られ、両者はエネルギー保存法則によって形を変えながら常に一定の総量を維持します。例えば位置エネルギーで高度を失うとその落下によって速度が上がり、運動エネルギーが大きくなります。逆に上昇に入ると速度が落ちて運動エネルギーが落ちますが、高度を稼ぐことによって位置エネルギーが増えるのです。こういった変換によって両者の総量は常に一定に保たれます(ただし現実には空気抵抗の力によって少しずつ失われて行く)。この点も覚えて置いてください。

では必要知識の最後に、エネルギーと力の変換式を述べておきます。

力(F)=エネルギー(E)÷移動距離(L)

この式は力はエネルギーから生じること、その発生量はエネルギーを使い続ける距離に反比例する、という事を意味します。つまり同量のエネルギーを使うなら、距離が長いほど発生する力はどんどん小さくなり、逆に短い距離で一気に使うならより大きな力となる、という事です。そしてこの式を変形すると、もう一つのエネルギーを求める式、

エネルギー(E)力(F)×移動距離(L)

が求められます。この式は後でエネルギー機動性理論の式を求めるのに使うので、覚えて置いて下さい。



ちなみに、どちらかのエネルギーだけでも飛行は可能でグライダーは高度から得られる位置エネルギーだけで空を飛んでいます。その代わり、派手な機動をしてエネルギーを消費すると、どんどん位置エネルギーを失って高度が落ち、自力でこれを回復させる事ができません。通常の航空機はエンジン推力で速度を得て運動エネルギーを再度蓄積、それを翼の揚力に変換し、高度を維持するのですが、グライダーではそれは無理なのです。
ただし実際のグライダーの飛行では上昇気流を捕まえて上昇し高度を稼ぐ事が可能ですが、それは自力のエネルギー回復ではないので、ここでは考えない事とします。

■比エネルギー

では、具体的なエネルギー機動性理論の数式を考えて行きましょう。

ここまでに見てきたように、機体の持つエネルギーの大きさが航空機を動かす全ての力の元になるので、その総量を比較すれば機体の機動性能が判る事になります。ただし単純に大きなエネルギーを持っていればいい、という話にはなりません。
まず同じエネルギー量なら機体質量が軽い方がより長い距離を動かせ、逆に重ければわずかな距離しか動かせない、とういう点を考慮する必要があります。
この点を比較するため全質量で全エネルギーを割り算し、質量1sあたりのエネルギー量を求める必要があります。これは以下の式で求められ比エネルギー(Specific energy)と呼ばれます。車などで使われるパワーウェイトレシオに近い考え方だと思ってください。

〇比エネルギー=全エネルギー量÷機体質量

ですね。
これは質量1sあたりが持つエネルギー量を求めるものですから、当然、数字が大きい方が有利になります。
余談ですがSpecific energyを余剰エネルギーと妙な翻訳してる日本語資料が多いですが、どこをどうやっても余剰と言う言葉は出てこないはずなんですが…。これは日本語としても力学的にも、完全な誤訳ですから、気をつけてください。比エネルギーという日本語が一番実態に近いでしょう。

ちなみにこの記事では「質量」と「重量」の意味を厳密に使い分けていますので、両者の違いがよく判らん、という人はこの記事を読んでおいていただけると幸いです。それ以外の点でも必要最低限な解説がありますので、力学はどうも不安だ、という人も軽く読んでいてもらえると助かります。

ちなみに比エネルギーは私の知る限り決められたアルファベット表記がありません。さらにSI単位にも指定が無いため、J/kg というワケのわからん単位表記になります。ただし実際の単位(次元)は

kg mm /ss ÷kg = mm/ss  

という、ちょっと変わったものになり、kgは消えてしまうのに注意。まあホントにSI単位ってのはロクなもんじゃないんですよ。当然、これは(m/s)2 すなわち速度の二乗を意味します。

さて、では飛行中の機体の比エネルギーを求めて見ましょう。
まずは飛行中の機体が持つ全エネルギーを計算します。これは上で見た位置エネルギーと運動エネルギーの合計ですから、



という式で求められます。1/2mvvが運動エネルギー、mghが位置エネルギーです。
後は、これを機体の質量で割れば比エネルギーが出ます。


極めて簡単な話で、ボイドはかなり早い段階でここまでは来ていたはずです。実際、これでもある程度の機体性能の推測はできるのです。が、これだけではダメだ、という事にも間もなくボイドは気が付いたと思われます。

まず、前回見たように、同じエネルギー量でも、どれだけ素早く使って力に変換できるか、が問題になります。これのおかげで高高度偵察機U-2などは、位置エネルギーの優位を使えないのです。
よってエネルギーの使用速度を比較する必要があり、このため時間で微分(割り算)し、その使用&消費速度を求める必要があります(移動距離を時間で割ると移動速度になるように量を時間で微分する(割り算して比を取る)とその速度になる)。

もう一点は理論と現実の差です。現実の機体はこのエネルギーを全て機体の運動のために使う事が出来ません。空気抵抗の力が生じるため、エネルギーの一部がそれで食いつぶされてしまうからです。
すなわち実際に使えるエネルギーはもっと少ないのです。よって、機体の持つエネルギーから空気抵抗を押さえ込むために消費されてしまうエネルギーを差し引かねばなりません。

最後にもう一点、派手な機動を行う戦闘機では「質量」に対するエネルギー量の比を取るのではなく「重量」に対すエネルギー量の比にしないと参考になりません。強烈な旋回を掛けると機体には強い加速度、Gが掛かかって大きな力が生じ機体の「重量」が変化するためです。当然、それを支える主翼の揚力も大きくしなくてなりません。その揚力を発生させるのが機体の持つ全エネルギー量なのです。
これが「質量」では旋回時にかかる大きな力と、それを支える主翼の揚力、そしてその揚力を発生させるための膨大なエネルギー量の比較ができません。

この点をもう少しだけ詳しく説明して置きましょう。興味が無い、という人は以下は読み飛ばしてかまいません。
力学の基本中の基本、力を求める式は

力(F)=質量(m)×加速度(a)

でした。
そしてあらゆる曲がる運動は加速度運動(等速直線運動ではないのだから)ですので、旋回に入るだけで新たな加速度、いわゆるGが発生しより大きな力が掛かって来ます。戦闘機だと最大で9G、地上重量の9倍くらいまでの「重量増加」になりますから、これは無視できません。
その力に対抗して機体を支える力はどこから来るかといえば、主翼で生じる揚力です(近年のジェット戦闘機では大出力エンジン推力だけで機体を支える事も可能だが長時間は無理であり現実的にはやはり主翼の揚力となる)。
よって、それに対抗するため、主翼の揚力も大きくしないとなりませんが、その揚力は何から生じるかといえば機体の持つエネルギーの消費しかありません。よって、同じ「質量」の機体でも、旋回に入ると、より大きなエネルギーを消費するのです。そして掛かるGによって消費するエネルギー量も変わって来ます。この違いを公平に比較するため不変である「質量」ではなく、増加してしまう「重量」で比較する必要があるのです。

では、そこら辺りを考量して、この数式をもう少し検討しましょう。



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