しかし、これらの機体を手に入れられるかどうかが空軍の、そしてルメイ率いるSACの命運を決めます。戦略爆撃機を手にいれられなければ、猫を捕まえ損ねた三味線屋のごとく戦略空軍なんて成立しないのです。そこでまずルメイは空軍の予算の確保のため、他の軍の予算に目を向けます。彼が目を付けたのは海軍と空母でした。 既に実用化されていた空中給油機との併用で、世界中のどこにでも飛んで行ける戦略爆撃機があれば海軍と空母は不要だ、とまるでミッチェルの時代の再来のような主張を彼は始めます。そして1949年3月にB-29の改良型、B-50を使って空中給油による無着陸世界一周飛行を成功させ、この点を強くアピールして行きます。 こうしてルメイ率いるSACと空軍は1948年から1949年にかけ戦略爆撃機のための予算確保を狙って海軍相手に今後の米軍のありかたの論争を吹っかけます。通常戦力は要らない、金のかかる戦艦も空母も廃止して、核爆弾による戦略空軍を造った方がはるかに効率がいい予算の使い道だ、というのが彼らの主張でした。 そしてこの主張は少しずつ議会に受け入れられてしまいます。その結果、この時期に建設が始まっていた大型空母USSユナイテッドステイツ(CVA-58)は建造中止に追い込まれ、同型艦4隻も計画中止となってしまいます。そして海軍支持派だった初代国防長官フォレスタル(James Vincent Forrestal)は1949年3月に自殺に追い込まれ、さらにルメイ一派は海軍と海兵隊の廃止まで主張したため、海軍は存亡の危機を迎える事になり1949年半ばにその危機感はピークを迎えました。 このため当時の国防長官ジョンソンとB-36戦略爆撃機の製造メーカーコンベア社の癒着疑惑を海軍関係者がマスコミにリークしたり、国防省の方針に真っ向から反対する論文を海軍の高官が雑誌に発表といった文民統制への反逆行為が続々と発生します。 それでも最終的には海軍、さらには陸軍にそのしわ寄せを負担させる事で空軍は優先的に予算を確保する事に成功します。この点を少し具体的に見て見ましょう。 ■アメリカ空軍における戦略爆撃屋の凄みを感じるにはその一番偉い人、歴代参謀総長の出身を見るのが一番早いでしょう。 ■ICBM の魔力と罠 アメリカ空軍の目的は核兵器の運用であり、当時の主力兵器である戦略爆撃機はあくまでその運搬手段にすぎません。 なのでもっと安全に、もっと効率よく、そして迎撃不可能なほど高速に敵本土に核兵器を撃ち込めるなら、戦略爆撃機すら要らなくなります。そんな都合のいい兵器が実在するのか、と思っていたら予想外の方向、すなわちソ連が先にこれを実用化段階に持ち込んでしまうのです。 それが弾道核ミサイルで、事実上の宇宙ロケットであるこの兵器は宇宙空間まで到達する大きな弧を描きながら地球の裏側まで到達可能でした。さらに音速をはるかに超える高速ですから事実上、迎撃は不可能で1時間以内に世界中のどこにでも核弾頭を撃ち込んでしまえる“夢の核兵器”として登場します。 1957年10月、アメリカがまだソ連に対する戦略爆撃機の圧倒的優位を確信していた時に、ソ連は世界初の人工衛星、スプートニク1号を打ち上げてしまいました。 これにアメリカ軍は大ショックを受けるのですが、それは宇宙ロケットと人工衛星の実現においてソ連に先を越された、というロマンチックな話ではなく大気圏外まで人工衛星を打ち出せるロケットがあるなら、それはアメリカまで届く弾道ミサイルも造れるという事を意味したからです。さらに困ったことにソ連はすでに核兵器を持っていました。 ただし現実にはソ連は大気圏外まで打ち出す技術はあったものの、これを大気圏内の目標に向けて正確に再突入させる技術は持ってませんでした。 ゆえに再突入不要の人工衛星という形での示唆行為を選んだのであり、さらに当時のソ連の核弾頭はロケットに積めるほど小型ではありませんでした。つまり現実的な脅威では無かったのですが、このソ連のフルシチョフによるハッタリ宣伝戦術にアメリカはすっかり騙される事になります。
こうなると、もはや対空レーダー網も、防空システムも全く意味が無くなってしまいます。それらは戦略核爆撃は撃ち落とせても、宇宙から高速で落下してくる弾道ミサイルには無力だったからです。 実際は多分にソ連のハッタリだったのですが、それでもB-36でソ連に飛んでゆく間もなく、一方的に高速核攻撃を受け、反撃する間もなく敗北する可能性が出て来たのは間違いありませんでした。こうしてアメリカもあわてて弾道核ミサイルの開発に邁進、やがて米ソともに長大な射程距離を持つ大陸間弾道ミサイル、いわゆるICBMを配備して行く事になるのです。当然、このICBMがSACの主力兵器となって行きます。 そうなるともはや戦略爆撃機も護衛戦闘機も、さらには防空戦闘機も全く無意味という事になってきます。となると今度はアメリカ空軍自体が要らないのではないか、というジレンマにSACは陥ります。 核装備というのは技術的には高度ですが、その反面、少ない人員と限られた兵器で維持管理が可能な安価な軍隊を生み出してしまいます。後に21世紀に入ったイラン、北朝鮮などの貧乏空軍がそういった軍隊を目指す事になりますが20世紀のアメリカ空軍としては極めて不本意でした。自己の優位の確保のために進めていた戦略理論が、最終的には自分も要らない、という予想外の結論に達してしまったからです。 こうなると空軍の将軍連中ですら、間もなく全員失業の可能性が出て来ます。さらに海軍が潜水艦から発射できる弾道ミサイル、つまり敵に場所を知られず、いきなり不意打ちできる潜水艦搭載核弾道ミサイルの開発に成功、空軍の優位は一気にゆらぐことになるのでした。今度は空軍が海軍から突き上げられる事になったのです。 そこからアメリカ空軍の迷走が始まり、さらに数年後に始まった通常戦力だけの戦争、ベトナム戦争でアメリカ空軍は一度死んだ、といっていいほどの衝撃を受ける事になります。 その衝撃と敗北からの復活に大きな役割を果たした男、ジョン・ボイドがやがて登場する事になりますが、その辺りは後の機会に見る事にしましょう。とりあえずアメリカ空軍は戦略爆撃から生まれ、その戦略爆撃によって一度、死を迎える事になるのです。 最終的に人類を複数回全滅させられるとされるほどの威力を冷戦中に米ソが持つに至った弾道核ミサイル。この空軍の究極の夢だったはずの弾道核ミサイルは、むしろどんどん空軍の首を絞めて行く事になります。 さらに核兵器に特化してしまっていたアメリカ空軍は、核戦争とは正反対ともいえる原始的な通常戦争、ベトナム戦争に突入し、そこで彼らは自分たちの過ちをいやというほど知ることになるのでした。それがSACによる空軍支配の終焉を意味する事になります。 といった辺りがアメリカ空軍が戦略空軍になって行く流れ、そしてその崩壊の萌芽に至るまでの流れです。 はい、とりあえず今回はここまで。 |