■第一章 戦略空軍への道

 
■ハロルド ジョージの登場

さてハロルド・L・ジョージ(harold lee george)とはどんな人物なのか。その功績の割にはアメリカですら意外なまでに無名であり、むしろ大戦後半に彼が築き上げた陸軍の航空輸送ネットワークの方で有名な人物です。ジョージ(名前でなく苗字である)のアメリカの戦略爆撃における彼の功績を最初に指摘したのはアメリカ空軍士官大学(ACSC)の学生向けレポート、1997年3月に発表された

Anonymous Warrior: The contributions of Harold L.George to Strategic Air Power

だったと思われます。それ以前はせいぜい戦略輸送の創始者としてのみ、多少は有名な人物という存在でした。もっとも今でもアメリカ本国ですら無名に近い、という印象がありますが…
それでも事実としてアメリカの第二次大戦参戦前、陸軍の航空団戦術学校(Air Corps Tactical School、通称ACTS)で、教官を勤めながら戦略爆撃理論を完成させたのは間違いなくジョージであり、後に航空戦計画部(Air War Plans Division/AWPD)の責任者として、対ドイツ航空戦略の基礎を打ち立てたのもまた、ジョージなのです。
さらに彼が航空団戦術学校で打ち立てた理論を学んで卒業していった士官たちが、後に陸軍航空部門の中で戦略爆撃を主導するボンバー マフィアの主要メンバーとなりました。ボンバーマフィアについては後ほど説明します。とにかく彼一人で、第二次大戦時の陸軍航空部隊の基本戦略と主要な人材の両方を育て上げてしまったのでした。もしジョージが居なかったら、アメリカの戦争は大分変わったものになっていたでしょう。

アメリカの戦略爆撃プランが、自国の兵器生産計画から爆撃対象の選択まで極めて緻密でイギリス、ドイツといった国々と全く別レベルにまでなったのは、ほぼ彼の功績によります。ジョージは第一次大戦中、ビリー ミッチェルの部下でした。終戦後もその縁は続き、ミッチェルが爆撃機の威力を示すために行った例の戦艦撃沈実験にも参加しています。
さらににジョージは先に説明したシェナンドー号遭難事件の軍法会議で、ミッチェル側の証人として証言もしていましたからその愛弟子といえるでしょう。余談ながら、このシェナンドー号軍法会議を通してミッチェル側の証人に立ったメンバーは、ジョージ、そして後に陸軍航空軍の指令官となる“ハップ”アーノルド、スーパー空軍ハンサム野郎、そして空軍独立後、二代目参謀総長(一番偉い人)になるヴァンデンバーグなど、第二次世界大戦で陸軍航空軍の中心となった人物がゴロゴロしてました。後のボンバー マフィア揃い踏み、というメンバーだったのです(対して判事側の一人にはマッカーサーが居た)。

■ボンバーマフィア

ここでボンバーマフィアについて説明して置きましょう。当時、戦略爆撃を空軍の最大の目的とし、航空爆撃こそ最大の兵力である、と主張する連中がこの名で呼ばれていました。実は戦前、戦後の二世代があるのですが、ここでは1930年前後から登場した第一世代のボンバーマフィアを見て行きます。この中には後に第二次大戦で陸軍航空軍を率いた“ハップ”アーノルド、空軍独立後、最初の参謀総長となったカール・スパーツ、同じく二代目の参謀総長、スーパーハンサムのホイト・ヴァンデンバーグなどが入っていましたから、後の空軍の首脳陣はほぼ全てこの一派から出てると思って間違いありません。ちなみにボンバーマフィアというネーミングは、彼らの攻撃的な姿勢に対し基本的に軽蔑の意味で使われましたものでしたが、後にこの呼び名が定着してしまいます。



■“ハップ”アーノルド(Henry H. Arnold ハップは愛称)。
第二次大戦中のアメリカ陸軍航空軍の最高司令官であり、戦後の空軍独立の立役者。
その功績から陸軍元帥となるが、空軍独立後も一時籍を置いたため、
現在に至るまで唯一のアメリカ空軍の元帥となっている。
(アメリカ軍に元帥は通常は存在しない。戦時の特例階級だ)

(アメリカ陸軍のサイトから著作権の縛りの無い公有(Public domain)画像を引用)


彼らが戦略爆撃機が大好きなのは、それが空軍独立に至る唯一の道と思われていたからで、空軍の独立のめの手段だから、という事には注意して置いてください。単なる戦略、戦術の議論ではなく、それはやや政治的な意味合いすら含む戦略でありボンバーマフィアの共通理念は、あくまで空軍独立なのです。その動機が純粋に戦略、戦術によらない以上、初期のボンバーマフィアのメンバーによる戦略爆撃理論は机上の空論、ドゥーエの本に毛が生えた程度、といったレベルを出ませんでした。1941年にジョージがその戦略爆撃理論の構築を始めるまで、具体定的な戦略思想はアメリカにも無かったに等しいと言っていいでしょう。
ただし第二大戦におけるアメリカの戦略爆撃は、最後の最後でジョージが立てた方針とはかなり異なる方向に突っ走って行ってしまいます。すなわち都市住民を片っ端から焼き殺す無差別爆撃です。これはあくまで政治的な手段としての戦略爆撃だったから、という部分が大きいのですが、この辺りはボンバーマフィアであり、陸軍航空軍のボスであったアーノルドの狂気による部分もまた大きいです。

ミッチャルの弁護に立ったせいでアーノルドは4年近く陸軍内で干され、その間に少年向け航空冒険小説書いてたりしてましたが、優秀な人材だったのでやがて1930年ごろに第一線に呼び戻されました。そして以後、再び空軍独立の夢を追いかける事になります。そのための手段が戦略爆撃だったのです。
このため第二次大戦終盤における陸軍のドイツへの進撃、太平洋の海軍の活躍などが新聞記事の話題の中心になると、配下の各戦略爆撃部隊に対し、執拗にその成果を求めるようになります。戦略爆撃の優秀性を、財布のヒモを握ってる軍事のドシロウト、すなわち国民や議会にわかりやすい形でアピールする必要がある、と考えたのです。さもないと、戦後もこのまま陸軍の一部にされてしまう、という焦りが彼にはあったのでした。
特にB-29の登場がその傾向に拍車をかける事になりました。もはや戦艦並みの高コスト兵器となってしまった大型爆撃機部隊が、極めて有効な戦略兵器である事を証明しなければ、空軍独立は危うくなるどころか、以後、予算も止められてしまいます。この点についてアーノルドは、ほとんどノイローゼに近いくらい、ひたすら思いつめていたような印象があります。

その結果、彼は心身ともに疲れ果てる事になり1943年初頭、最初の心臓発作に襲われて病院に担ぎこまれます。それでもアーノルドは最後までその陸軍航空軍の最高指揮官の地位に留まり続けるのですが、終戦までに少なくとも四回以上、大きな心臓発作を起こしており、一時的には病院から指揮を執る事態になってしまいます。彼はもともと短気な人物だったのですが、この体の不調に悩まされ始めた時期からその傾向がより強まってゆき、少しでも戦果に不服があると、すぐに現地の司令官を更迭してしまうようになって行きます。
そして戦争の行方がほぼ決まった段階で、ジョージが1941年に立案した戦略を完全に捨て去る決心をします。それは効果的でしたがあまりに地味で、新聞では取り上げられず、世論や議会からの評価も低かったからです。よって彼はより見栄えのする無差別爆撃へと舵を切ってしまうのです。
それは空軍独立、という悲願に取り付かれた狂気の司令官、アーノルドの心情を理解しないと、全く訳がわからない世界、でした。この方向転換は戦略的には何の意味も無く、いたずらに一般市民の命を奪う結果だけ終わるからです。ジョージの立てた戦略は一部で読みが間違っていたものの、残りの分だけでも既にオツリが来るほどの大戦果をあげていました。ドイツも日本も、その戦略爆撃によって立っているのもやっと、という状態にすでに追い込まれており、それ以上の打撃は必要がない、という状況になっていたのです。都市への無差別爆撃は完全な蛇足でした。
なのでこの記事で問題にする“アメリカの戦略爆撃方針”は、このアーノルドによる方針転換前までとします。以下に述べるアメリカの戦略爆撃の有効性はジョージの理論に基づく部分のみであり、無差別爆撃は含まない、というのは覚えおいてください。

■ハロルド ジョージの理論

ではそのハロルド ジョージによる戦略爆撃理論というのはどういったものだったのかを具体的に見て行きましょう。
当時の戦略爆撃論を土台にしながら、理論的に弱い点を大幅に作り変え、近代的な戦略爆撃論としたのが彼の理論でした。
が、最初に断っておくと彼自身が書いた戦略論で一般に公表されたものは私の知る限りありません。なので彼が航空団戦術学校(ACTS)で行った講義の記録、および戦争省(他国の陸軍省にあたる。戦後に海軍省と合わせて国防省になる)に提出され、後にアメリカ陸軍の基本戦略に組み込まれた戦争計画「航空戦計画局案 1」すなわちAWPD-1の内容、あとは当時の関係者の手記などを基に構成してます。
ジョージの戦略家としての才能は連想性にありました。一人でクロワッサンの製法を考え出すような創造性や独創性はないものの、それよりもヤキソバとパンはどっちもおいしいから、一緒にしちゃえばさらに良いのでは?という感じに、誰でも知ってる既存のものを、誰もが思いつかなかった形で合体させ、ヤキソバパンを生み出してしまう、というタイプの発展型の天才でした。
で、ジョージにとってのヤキソバとパンにあたるのが、おなじみのドゥーエの戦略爆撃論、そして航空団戦術学校(ACTS)の先輩講師だったドナルド・ウィルソン(Donald Wilson)が発表していた論文、産業網構造理論(industrial web theory)だったのです。ジョージは、この二つをたくみに合体させ、体系化して行くことに成功します。

アメリカの戦略爆撃理論における“大黒柱”となって行く産業網構造理論は、ジョージの同僚である航空団戦術学校(ACTS)の講師、ウィルソンが独自に考えていたものでした(ACTSの講師としてはウィルソンの方が先輩)。ジョージはこれに強い衝撃を受け、その爆撃理論へと取り込んでゆくことになります。この産業網構造理論を極めて簡単に要約してしまうと、

●近代産業では各生産施設は単独で生産を行うことはできず必ず原料や資材を相互を結び付けあうネットワーク化が進む(例えば自動車工場でガラスやタイヤまで造れないので、別の工場で造り納品される。電気も造れないから発電所から送ってもらう)。

●その結果、全体の中枢(hub)、つまり製造網の中心となる場所が、自然発生的に生まれてしまう。例えば当時の製造業では、鉄が来ないと車も船も造りようがないのだから、製鉄所が「中枢」の一つになっている。さらに近代工業で必要不可欠な発電所などもここが破壊されると全ての機械が停まるから、これも「中枢」である。さらに国内の輸送網なら鉄道の車両や路線が一箇所に集まる操車場、大都市の駅などが「中枢」となるし、水運なら港湾が「中枢」となる。

●近代工業国家で産業の中枢を破壊されると、その集中度の高さゆえ影響は極めて巨大なものとなり、瞬く間にその影響が波及し、結果として産業構造を維持できなくなる。同じように輸送網の中枢の破壊によって国内の物量はマヒに陥る。よってこの中枢部こそが、近代国家における心臓部(vital point)となってゆき、これの破壊と防御が戦争の行方を決定付けるだろう。

というものです。
この考え方のヒントとなったのは、当時、アメリカ都市部の鉄道で頻繁に発生していた列車の遅延、運行の乱れでした。この点について、ドナルド・ウィルソンが、原因を調査してみた結果、複雑に積み上げられた鉄道ネットワークでは故障した列車がどこか線路を一か所ふさいでしまうだけで、次々と後続の列車が停止に追い込まれ、その影響から連鎖的にシステム全体が間もなくマヒしてしまう事に気が付きます。ここから、巨大なネットワーク(Web)でも、たった一箇所の破綻で、システム全体の崩壊につながる、という理論を導き出したのでした。ただし結論から言ってしまうと、交通網の中枢破壊は極めて有効でしたが、産業の中枢破壊はいろいろ迂回路が存在してしまったため、期待されたほどの効果はあげませんでした。この点はまた後でみましょう。

ここで具体的な戦略を考えるため、ある日、あなたはフランスの王妃、マリー・アントワネットと全面戦争状態に入ったとしましょう。どうすればマリーに参りました、と言わせることができるのかを考えます。
まず、フランス人のマリーの主食はパンですから、戦略爆撃でパン屋を粉砕すればいい、というのは誰もが思いつきます。


*写真はイメージです。実際のマリーとは異なる場合があります。以下同。




ところがなんとマリーはパンが無ければお菓子を食べる人でした。
それどころか、パン食べてた時よりむしろ血色いい、という事が判明します。



つまり、パン屋を粉砕しても、お菓子屋がある限り意味がない。じゃあ、と今度はお菓子屋を粉砕するべく空軍を差し向ければ、そのスキにパン屋が店を修復してしまう、コンチキショーと再びパン屋を爆撃すれば、今度はお菓子屋が修復…と、このイタチごっこにハマってしまうともはや打つ手はなく、むしろ自軍の損失ばかりが増えてゆくことになります。これじゃ戦争には勝てませんね。
確かに航空機は敵国内のどこでも爆撃できるけど、その破壊力は限定的であり、全ての目標を完全に破壊するまで爆撃し続けるのは不可能だったのです。別の目標を爆撃してる間に先に爆撃した工場は回復してしまう、それどころか爆撃による学習効果で生産施設の分散、疎開などが行われてしまうと、次の攻撃はより困難になってしまうわけです。これがドイツがやった効率の悪い戦略爆撃であり、イギリスもほぼ同じことをやってます。実はアメリカも一部でやってるんですが(英独ほど単純な話ではないが)、それらはほぼ失敗に終わりました。普通にやってたのでは、戦略爆撃は極めて経済性の悪い戦争手段となってしまうのです。ドゥーエの考えは単純すぎた、と言えます。

では産業網構造理論(industrial web theory)を使うとどうなるか。
まずは、考えることから始まります。ジョージ式戦略爆撃では、いきなり爆撃に行ったりせず、まず、敵の“産業システム”の解析から入るのです。今回の目的は、マリーの弱体化を狙った食料の供給の遮断です。それには、マリーの食料供給システムを調べ上げる必要があります。で、調べてみれば当然といえば当然ですが、お菓子もパンも小麦が原料なので、同じ小麦粉屋さんから材料を買っており、その小麦粉屋さんは、フランス各地の小麦栽培農家から原料を購入してる、とわかりました。





さて、もうどこが集中点、“中枢(hub)”であり、ここを叩くと全体がマヒしてしまう心臓部(vital point)だかは明白です。マリーの食事の供給を絶つには、パン屋さんでもお菓子屋さんでもなく、その両者に原料を提供してる小麦粉屋さんを叩けばよかったわけです。こここそがマリーの食事供給における“中枢(hub)”となります。



ちなみにこれ以上さかのぼってしまうと、今度はフランス全土の小麦農地まで爆撃対象が広がってしまうので、かえって無意味となります。とりあえず目標が一つに絞りこめれば、ひたすら爆撃を繰り返すのは難しくないですから、相手に修復の機会を与えることもありません。この点の徹底ぶりは、戦後、連合軍の戦略爆調査団にインタビューされたドイツの石油精製工場で働いていた男の言葉がよく示しているでしょう。
「爆撃される、何日もかけ工場の修復作業をする、完成する、すると翌日あんたらがまた爆撃にやってくる…」
アメリカの戦略爆撃の重要ポイントその1が、この産業網構造理論に則った爆撃目標の選択とそれに対する反復攻撃でした。この場合、目標の取捨選択が最重要事項となりますから、産業網構造理論を取り入れたジョージの戦略爆撃理論ではその攻撃目標の設定にもっとも大きな力を注いでいます。そして戦略爆撃の目標となる“中枢”であり、敵の心臓部(vital point)である、とアメリカ軍が最初に認定したのは、エネルギー産業、製鉄、航空機産業、そして輸送網などでした。
この点を理解してないと、なぜ1943年の8月に、北アフリカからの出撃という無茶をしてまでルーマニアのプロイェスティ(Ploiesti)油田をB-24で爆撃に行ったのか、B-29の爆撃デビュー戦でタイのバンコクに行きながら都市部ではなくマカサン駅周辺の鉄道施設を攻撃したのか、さらに日本爆撃デビューがなぜ北九州の八幡製鉄所だったのか、とういうのが全く理解できないでしょう。
アメリカ軍は当初、イギリスのように、夜中に人の家を放火して歩くような、陰湿な都市戦略爆撃をやりませんでした。それはエネルギー産業、製鉄、輸送網という、アメリカの爆撃プランに忠実に沿う形で実行された作戦だったからなのです。後にアーノルドの焦燥からこの理論の適用が弱くなるまで、これは忠実に実行されていたのでした。

■戦争の勝利条件

さて、そんな戦略爆撃で勝利を得るにはどうすればいいのか、を確認して置きましょう。
論理的に戦争の目的、そして勝利条件を明確に定義したのはナポレオン世代であるクラウゼヴィッツが最初でしょう。彼は有名な「戦争論」の冒頭で「戦争の目的は敵の抵抗力の粉砕にある」と、非常にわかりやすい定義を、例によって非常に判り難い言いまわしで(笑)書いてます。戦争の目的は敵軍を撃滅する事だ、とクラウゼヴィッツは結論しているのです。
敵の抵抗力の源である敵軍を全て粉砕してしまえば国土の占領はすぐ終わりますし、それどころかもはや反撃を受けない以上やりたい放題となります。つまり戦争の第一目標は敵地の占領などではなく、敵戦力の粉砕にある、という事になります。その状態に追い込むことで敵の戦争継続意思を砕き、これによって自国に有利な講和に持ち込める、というのがクラウゼヴィッツの理論です(戦争の目的については「戦争論」一部一章、勝利条件については一部二章にある)。

そしてこれは世界の軍隊の基本認識であり続けます。というか、アメリカ陸軍を除く全ての国の軍隊が、第二次大戦終了まで、これ以外に敵の戦争継続意思を砕く方法はない、すなわち勝利の方法はない、と思い込んでいる状態でした。
よって世界中は軍隊は全て“敵国兵力と戦いこれを打ち破る”ように設計運用されています。機関銃は敵の兵を、対戦車砲は敵の戦車を、対空砲は敵の航空機を、戦艦の主砲は敵戦艦を、それぞれ撃破するための兵器です。が、戦略爆撃は異なります。この兵器の目標は工業施設、鉄道、海運施設と言った産業基盤であり、敵の兵器でも軍でもありません。戦略爆撃機の目的はただ一つ「敵国家中枢部の直接破壊」なのです。すなわち敵兵力を全てすっ飛ばして、敵国家の心臓部を叩く全く新しい分野の兵器が戦略爆撃なのだ、という事になります。それを活用するために考えられたのがジョージの戦略爆撃理論なのです。となると当然、それに合わせた全く新しい軍隊の形が必要になって来ます。

そんな敵軍の粉砕を目的としない全く新しい軍隊の設計図を、1941年夏、ジョージは当時所属していた航空戦計画局(Air war plans division/AWPD)の3人の仲間とともに、わずか一週間前後で書き上げてしまいます。あまりに時間不足で、軍上層部への報告の日の朝まで作業は続き、資料の印刷すら間に合わない状態でしたが、初めて見るジョージの戦略理論に大統領を含む多くの関係者が魅了され、やがてアメリカの基本戦争方針の一つとなって行きます。この時、ジョージらが最終的に選んだ爆撃目標、すなわち敵の産業中枢部であり国家の弱点となるドイツの心臓部は、

■発電所 50か所
■ドイツ国内の輸送網 47か所
■石油工場とガソリン精製施設 27か所
■航空機工場 30か所

の四つでした。この中で輸送網の完全破壊と、石油関係施設の粉砕が、事実上、ドイツの戦争継続能力を完全に喪失させる事になります。アメリカはこれらの施設を繰り返し、徹底的に爆撃に行くのです。ちなみに日本は後回しにされていたので、この段階で具体的な目標は決められてません。


■AWPD-1計画書の一部。
上で説明した目標と共に、あくまで第二目標として都市爆撃による市民の士気を挫く事を上げている。

下は必要とされる爆撃機の数で1941年8月の計画段階ですでにB-36の配備が予定されてるのに注目。
実際の配備は戦後になり冷戦の象徴ともなった機体だが、当初はドイツ爆撃に投入する予定だったのだ。
左の数字は必要な機数で、左枠がヨーロッパ戦線(ETO)に備えて必要な機数、
右がヨーロッパ本土上陸作戦、後のノルマンディ作戦時までに必要とされる機数。
実際は日本が1941年12月に宣戦布告した事で、こられらの計画は前倒しになってしまい、
さらに必要な機数ははるかに膨大なものになってしまうのだが、当時としてはケタはずれな要求数だった。

ついでにB-29と同時にB-32も当初は本格配備予定だったのにも注意。
実際は100機前後の生産だけで終わった機体だ。



特にドイツの場合、国内輸送量の72%が鉄道、25%が運河を利用した水運だったため、鉄道網の心臓部となる操車場や貨物駅施設、鉄橋などを徹底的に叩かれ、さらに水運の心臓部、運河の港湾施設も破壊されたのが致命的になりました。
これでは、どんなに工場で兵器をガンガン作っても、それを前線に送ることができないし、そもそも工場に材料が入って来ないので、たとえ工場を直接叩かなくても、その生産能力を奪ってしまう事になるからです。この輸送網の攻撃には戦略爆撃機だけでなく、P-47やP-51などの戦闘機も投入され、大きな効果を上げています。この点、後に日本もB-29から瀬戸内海を始めとしてあちこちに機雷をばら撒かれ、海運をマヒさせられてます。

ちなみに爆撃目標リストではドイツ国内の発電所と送電設備もその目標にが上げられていました。が、送電線網は迂回が可能で複数の発電所が国内に存在するため、その効果は薄いと判断され、後に爆撃目標から外されてしまいます。ところが戦後の調査によるとドイツの送電線網は連合軍側が予想していたのよりはるかに貧弱で、これを叩いていればもっと爆撃の効果があがっていた事が判明します。これは目標選択の失敗例ですが、その選択の難しさを示す例でもあるでしょう。

ちなみにドイツの建築家にしてヒトラーのお友達、そして大戦途中1942年2月からナチスドイツの軍需大臣となったシュペーア(Albert Speer)は枢軸国側で唯一、このジョージの戦略爆撃理論に近い発想をもった人物でした。
1970年に出版された彼の自伝(Erinnerungen)によると、1943年4月にソ連の重工業の中枢部を爆撃で破壊し、その工業生産をマヒさせる事をヒットラーに提案したとされます。これはうやむやになってしまったようですが、さらに6月になって石炭工業の所在地に関する詳細な資料をイギリスがいくつかの報告書で公表してるのを発見、これの爆撃を計画しますが、すでにドイツ空軍側にイギリスを集中爆撃する力はなく、これはとん挫して終わります。
その後、ソ連の工業地帯における発電所が極めて脆弱かつ少数の施設頼ってる事を発見、次にこれの爆撃を計画するのですが、今度はソ連の1943年末の冬季攻勢にぶつかってヒットラーがこの計画に興味を失い、中止となってしまいます。
シュペーアはアメリカの戦略爆撃理論を知らず、それどころかドイツ産業への爆撃はイギリスが主導していたと思い込んでいたフシがあるくらいなので、この考えは彼独自のものでしょう。この人もまた、ただ者ではなかったのです。

シュペーアはその自伝の中で、連合国側のドイツ工業地帯への戦略爆撃は無意味だった、戦闘機の生産などはむしろ爆撃開始後増えてる、と述べてます。
これは事実ですが、それは連合国側も失敗だったと認めてる部分で、あくまで石油関連施設、窒素工場、そして国内輸送網への打撃がドイツを敗戦へと追い込んだものなのでした。どんなに戦闘機を造ろうが、石油が無ければ飛べませんし、輸送ができなければ前線にも届きません。その段階で戦争は負けなのです。



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