■第三章 全天候型戦闘機の迷走


■全天候型迎撃戦闘機の迷走

すでに触れたように、第二次大戦直後の1945年8月28日、それまでのレシプロ夜間戦闘機の後継となるアメリカ本土防衛用戦闘機の要求仕様が陸軍から出されます(まだ空軍独立前)。
さらに11月23日に追加要求が加わり、これも各メーカーに通達されました。主な要求はロケット弾の発射が可能な事、速度は戦闘時に850km/h以上出ること(ジェット機以外は事実上不可という事)、兵装用の火器管制レーダーを積むこと、などでした。

これに応募したのがノースロップ社とカーチス・ライト社で、選考の結果、すでに述べたようにノースロップのF-89の採用が1948年の秋に決定されます。ソ連がTu-4の存在を明らかにしていたものの、まだ核兵器の開発には成功していない段階なので、まだ本格的な対戦略核爆撃機を想定してないのに注意してください。
ちなみにこの競作に敗北した結果、仕事がなくなった名門カーチスの航空機製造部門はノースアメリカン社に売却され、消滅することになりました。

■ノースロップF-89スコーピオン

競争試作に勝ち残ったアメリカ最初の全天候型迎撃戦闘機でしたが、事実上の欠陥機で、初期の機体では殺人機とすら言える事故率で墜落してました。
この辺りは採用後にアメリカ空軍(1947年に陸軍から独立)からの要求仕様が変更になって大改造が必要になった事、ヒューズ社の火器管制装置(FCS)の開発が遅れまくったりして開発が迷走を重ねたためでもあるのですが、ノースロップ社自身の機体設計に大きな欠陥があったのも事実でした(機体構造の耐久力不足など)。

そのため1948年8月に初飛行しながら、2年以上経った1950年9月にようやく配備が開始、さらに事故による飛行停止やら何やらがあって、結局、本格的な運用は1954年初頭、初飛行から約5年半、配備開始から3年半も経ってしまってからとなりました。
この間、先に見たようにソ連は1949年に戦略核爆撃能力を手に入れてしまってましたから、この遅延の結果、アメリカ本土の防空体制が丸裸状態になってしまったのです。

よってその事態を打開するために、なんでもいいからソ連の戦略爆撃機を迎撃できる機体を繋ぎで造れ、といった流れになり、その結果としてF-94姉妹からF-86D&Lに至る、この時期の全天候型迎撃戦闘機生産ラッシュを迎えることになるのでした。
とりあえずF-89の迷走が生み出した、それらの全天候型戦闘機を順番に見て行きましょうか。
 


■ロッキードF-94A/B スターファイア

とりあえず速攻で配備できる繋ぎの全天候型迎撃戦闘機として、複座練習機T-33の機首部にレーダーと火器管制装置(FCS)を積み、武装として4門の12.7o機関銃を載せたて造られたのがF-94Aでした。

戦闘機型のF-80ではなく練習機型のT-33が使われたのは、パイロットとは別にレーダーと火器管制装置を操作する搭乗員が必要なため、最初から2名乗りの機体が選ばれたからです。ちなみにアメリカ空軍の戦闘機として最初にアフターバーナーを搭載した機体でもありました。朝鮮戦争中は日本本土の米軍基地の防衛用、さらに夜間爆撃に出撃していたB-29の夜間護衛機としても使われています。

F-94Aは既存の機体の再利用という事もあり、F-89の初飛行から8か月後の1949年4月に早くも初飛行に成功しています。ただし武装は機首部の12.7o×4門のみ、という第二次大戦期時代レベルのもので、大型爆撃機の迎撃に有効なロケット弾は積んでません。
その後、性能強化型のB型まで造られるのですが武装はそのままで、とても必殺の攻撃は期しがたく、さらなる武装強化が求められます。その結果、次に見る事実上ほぼ別の機体であるC型の登場となるのです。



■ロッキード F-94C  

1949年の夏のソ連の原爆実験に成功を受け、より強力な全天候型迎撃戦闘機が求められた結果、武装とFCSを大幅に強化して登場したのがこのC型です。ただし機体の多くの部位が再設計されており、もはやF-94A&Bとはかなり異なる機体となってしまいました。実際、当初はF-97という新型戦闘機として採用される予定だったので、事実上の新型機と考えていいでしょう。

機首先端の形状がA&B型と異なるのはレーダーと火器管制装置(FCS)が別物な上、20o機関砲を外してロケットランチャーが装備されたためでした。さらによく見れば空気取り入れ口の構造も異なり、垂直尾翼の前にはヒレが追加されてるのも判ります。さらにこの角度からは判りませんが主翼の形状も微妙に変わっていますから、やはりほぼ別の機体ですね。
 


C型を前方から見るとこんな感じに。
機首部に円環状に並べられた筒がロケットランチャー発射装置。2.75インチ ロケット弾、強力ネズミことマイティ マウス ロケット弾が搭載され、飛行中はシャッターが閉まるようになっています。さらに主翼前縁の途中にロケットランチャーが刺さってるというスゴイ設計なのも見て置いて下さい。
この主翼ロケットランチャー搭載方法、反対する人間、居なかったんでしょうかねえ…。

事実上の新型機に近いこのC型はやや開発に手間取っており1950年夏に初飛行後、1951年7月から、すなわちソ連の核武装から約2年近く経ってから、ようやく配備が始まるのでした。本命だったはずのF-89の量産もその前に始まっていたのですが、まだ開発が迷走中であり、型番の上ではF-89の後輩であるこの機体が、アメリカ初のロケット弾搭全天候型迎撃機となってしまいます。

ただしアメリカ空軍はこれでもまだ不安で、さらなる全天候型迎撃戦闘機の開発をノースアメリカン社に依頼していました。




■ノースアメリカンF-86Dセイバードッグ

それがF-94シリーズに続いて採用され、本土防衛の本命と見なされる事になるF-86D セイバードッグです。
ちなみに守る犬(Saver dog)ではなく Saber dogで、直訳すると刀の犬です。なんだそれは、という感ですが従来のセイバーの愛称にD型にちなんだドッグの名が追加されたもの。
ただし空軍内での制式名はセイバーのままだった、という話もあります。

もともとはノースアメリカン社から空軍に売り込む形で開発が始まった機体でした。早くもソ連の原爆実験成功直後の1949年11月に初飛行してますが、やや変則的なもので、それほど開発が順調だったわけではありません。この点は後述。

F-89とF-94A(とその改良型のB)、C、F-86Dとその改良型のLでアメリカは1950年前半の本土防空を乗り切って行くのですが、F-86Dはその中で唯一の後退翼機であり、その発展型のL型はこれまた唯一、最初からSAGEシステムとのリンクを前提として開発された機体でした。ちなみにこのF-86Dも約25%だけが従来のF-86Aと共通で、あとは完全に別物とされますから、事実上の新型機です。

このため当初はYF-95Aという新型機として空軍から発注され(Yは試作機に付く型番)、開発途中で(Y)F-86Dに名称変更されてしまったのでした。この手の機体名称の迷走は、どうも予算を握ってる議会に対し、新型機ではなく従来の機体の改良型とした方が通りがよかったからだとされますが、詳細は不明です。

ちなみにアメリカ空軍博物館の展示によると従来型のF-86A型がお値段 $219,500だったのに対し、このD型は $343,850とされますから約1.5倍のコストです。やはり全天候型は高くつくのでしょう。この値段差は、火器管制装置(FCS)とアフターバーナー付エンジンの分が大きいと思われます。

F-86Dの初飛行は先にも書きましたが、1949年11月。
これは上で見たF-94のC型より半年以上早く、8月29日に行われたソ連の原爆実験成功から、わずか3ヶ月未満と言うスピーディーさでした。
ただし実はこの機体、アフターバーナー付きエンジンのテスト機というべきもので、武装もなければ、火器管制装置(FCS)も積んでいません。さらにコクピット周りはF-86Aのものを流用してました。恐らくレーダーも積んでなかったと思われ、そりゃ完成も早いわけです。つまり試作機とすら呼べないレベルのモノでした。

この段階で武装に関しては、F-94Cと同じ2.75インチ ロケット弾、マイティ マウスを搭載する事が既に決定していました。が、問題は火器管制装置(FCS)でした。当時、単座戦闘機に積めるFCSが存在しなかったのです。どうもノースアメリカンは全天候型戦闘機と言うのをよく理解してなかったフシがあり、自社開発でスタートさせた全天候型迎撃戦闘機を単座、一人乗り戦闘機として設計してしまいました。

これはアフターバーナー付きエンジンでガーっと急上昇できて、F-86セイバーより大型の胴体で高性能のレーダー積んどけば、それでいいじゃん、程度の考えしかなかったためでしょう。
ところが当時の全天候型迎撃戦闘機の火器管制装置(FCS)は専用のオペレターが、つまりパイロット以外にもう一人の乗員が必要でした。とてもじゃないが、一人で操作できるような簡単なものではなかったわけです(この点は21世紀に入った後も一部の機体では相変わらずそのままだが)。
ところがF-86Dは一人乗りとして設計され試作機まで作って初飛行までやっちゃったわけで、ここで困った立場に追い込まれたのがノースアメリカン社でした。FCSが無いと当然ながら空軍は全天候型迎撃機として採用してくれないわけでF-86Dの開発も当然のごとく迷走を開始するのでした…。

が、ともかく造っちゃったものはしょうがないしF-89に愛想がつきつつあった空軍にとりF-86Dは迎撃戦闘機の本命として、大量採用がほぼ確実となってましたから中止にはできません(50年11月に制式受注)。
よって単座の戦闘機に積めて、一人で操作できるFCS作ってとヒューズ社に泣きつく事になりました。ヒューズ社の技術者としては、お前らアホか、という感じでしょう。
が、正式に予算がついてしまった以上、空軍もノースアメリカンも、もはや引くに引けなくなってますから必死です。この結果、初飛行が終わってから3ヶ月近く経った1950年2月、最終的にヒューズ社はF-86D用の新型火器管制装置(FCS)、E-4とその専用レーダーの開発を受注することを決めます。

このF-86D用に開発されることになった火器管制装置(FCS)のE-4は、既にF-94Cに搭載されていたFCS、E-5の改良版として開発が始まったようですが、ここら辺の資料が無いので詳細は不明です。型番が若返ってしまってるのもよく判らない部分ですがこれも詳細は不明。
余談ですが、ヒューズ社のFCSの形式番号はかなり変で、必ずしも数字の順番通りに開発されてません。例えばこのE-4の開発が遅れまくってしまい、急遽ピンチヒッターとして機能縮小版のFCSがF-86Dの初期生産分には搭載されたのですが、この後から造ったFCSの型番は、さらに若返ったE-3だったりします。

そしてF-86DもF-94Cで採用された2.75インチロケット弾、マイティマウスをその主武装として採用したのですが、問題はどこに積むか、という点でした。なにせ一杯一杯の設計なので、考えた末になんとか胴体の下に空間を作り、そこに箱型の発射装置を積み込んで搭載する事になします。
ただしそんなの抱えて飛んでたら空気抵抗でスピードが出ませんから、飛行中は、胴体内に収納されるようにしてありました。



こんな感じに。これはドンガバチョと下にとび出した発射体勢で、通常は胴体内に収納されてます。ちなみにF-86D/Lの唯一の武装がこれで、この他には一丁の機関銃すら積んでません。あくまで対爆撃機専用機なのです。間違っても戦闘機相手のドッグファイトなんてできません。

それでも射撃時に飛び出したら空気抵抗の源になり、しかも重心点より前の機首下面にあったため、そこに力がかかると水平飛行のバランスが崩れ機体はおじぎ状態、頭が下を向いてしまう事になります。
するとただでさえまっすぐ飛ばないロケット弾が、最初からあさっての方向に飛んでゆく事に。
なので発射時には強制的に水平尾翼(エレベータ)を使って、機体が上向きになるよう、FCSが自動でコントロールしていたようです。1950年代によくぞそこまで、とは思います。

さらにF-86Dとその改良型型のL型は、24発しかロケット弾を搭載できなかったのでその攻撃力は常に疑問視され続けました。が、なにせ一杯一杯の設計なので、追加装備は最後までされてません。このため改良型のL型でSAGEシステムとリンクをできるようにし、火器管制装置(FCS)との組み合わせで一撃必殺、必ず撃墜して来い、という機体になっていたようです。
一応、24発一斉発射だけでなく、6発、12発と数回に分けても撃てたのですが、なにせまっすぐ飛んでゆかないマイティマウス、数で勝負しないと命中が期待できず、大型爆撃機を確実に撃墜するにはほぼ常に一撃総発射しかない、となっていたみたいです。

ちなみにF-86D/L以降の火器管制装置(FCS)を搭載した全天候型戦闘機は、基本的にパイロットはロケット弾の発射を自分では行いません。FCSの指示する方向に、指示された速度で飛ぶのがパイロットの主な仕事であり、レーダースコープ上に写る敵の位置(dot)が常にスコープの中心に来るように機体を操縦していれば、後は勝手にFCSがロケット弾を発射してしまうのです(ただしFCSの故障、ジャミングによるレーダーの無効化に備えて、パイロットの目標照準によって発射する方法もあった)。

マイティマウスは直線で最後まで飛んでゆくほどの推力をロケットモーターから得ることができなかったため(つまりそこまで高速では無かった)、やや上方向、放物線を描くように撃つ必要がありました。となると命中させるには機関銃のように弾の飛行線上に敵を捕らえるのではなく、遠くの一点に正確にロケット弾を送り込まないとダメです。



普通に直線弾道で飛ぶ機関銃、機関砲弾なら、弾道上に敵が居れば当たるのですが…




放物線状に飛んでゆく弾で命中させるには一点で命中させるしかなく、極めて正確な射撃が求められます。
そう、これは戦艦などの主砲射撃と同じ事であり、このため戦艦の射撃管制装置のような計算装置、
火器管制装置が航空機にも必要になってきたわけでした。




このため弾道をキチンと計算してくれるFCSが必須で、それが無いと極めて命中率の低い兵器となってしまいます。最終的にセイバードッグは西ドイツや日本などにまでその部隊を展開させられるのですが、何せ無理をしてますから運用期間の最後までFCSがらみのトラブルで泣かされ続ける機体となってしまうのでした(そもそも真空管の時代なのだ)。



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