■そして世界を切り取って
三社祭の夜の浅草境内
というわけで、何の脈絡も伏線もなく、
私こと当ページ主犯兼アナーキャが、なにゆえパナソニックのコンパクトデジカメ、
そのフラッグシップ機であるLXシリーズを愛してやまぬのか、
を無意味に遠回りしながら解説してみましょう。
拒否権は、これを認めません。
さて、本題に入る前にちょっとだけ脱線を。
カメラは世界を平面に切り取る装置です。
画像を残すのが紙なのか、フィルムなのか、データなのかなんてのは
大して意味は無く、やがて22世紀には人間の脳に強制記憶させる、
くらいの事になってるかも知れません。
が、レンズを使って世界を切り取る限り、その原理は変わらない。
立体を平面に記録するための道具であり、
実に400年以上の歴史をもつ装置だったりします。
私たちは空間の中に生きてます。
正確には、そう認識して生きてます。
写真は平面です。
顔の左右に手の平を持ってきてみてください。
これを私たちは「横にある」と認識します。
その手の平を少しずつ、前に持ってゆきましょう。
「あ、ここからは横ではなく、前だ」
と感じるポイントがあるはずです。
人間の目は正面に二つなので、一定距離より先は、
全て「前」という世界に入って行きます。
この「前」は比較的、平面に置き換えやすいのです。
こうして、世界を平面に切り取る写真は成立します。
半蔵門前の皇居のお堀
我々の眼がトンボのように全方位型の複眼だったりしたら、
カメラはもっと違う形になったか、
そもそも存在しなかったかもしれません。
昆虫の場合、人間とは見える色も異なりますしね。
連中は電磁波のエリアが一つ上で(複眼の構造的なものだろう)、
赤が見えないで、紫外線が見えます。
紫外線は人間には見えませんから、その色を想像するのは不可能で、
昆虫の視界は昆虫にならない限り、永遠にわかりません。
例えば、人間はモンシロチョウを白いと思ってますが、
実際はあれ、オスとメスで全く色が異なります。
ただし、紫から上の波長、つまり紫外線の世界で、なので、
我々は永遠にそれを見ることはできません。
ついでに赤と黒は見分けがつかなくなるようです。
まあカメラによる写真は、人間の目で見る、
という特殊性の元に成立しているわけです。
そんな特殊性を少し、アタマの片隅にとどめて、
今回の話を進めて行こうと思います。
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