■光はやがて平面に
答えは古いカメラを見てしまうのが一番早い
これは1900年ごろのアンソニー型ビューカメラ。
東京の上野にある黒田記念美術館で見れます。
(半蔵門にある日本カメラ博物館にも同じようなカメラあり)
左奥がレンズで、手前の黒いカバーがある部分が撮影用スペース。
ね、「暗室」でしょ?
中をのぞくとこんな感じ。
ピントグラス、と呼ばれるフィルムを入れる位置にあるスリガラスに、
外の風景が天地逆さまに映りこんでます。
実は、これ、円形の像なんですが、ちょっとわかりにくいか…。
左側に、今回の御題である、
LX-3カメラが映りこんでしまったのは、ご愛嬌。
で、あそこにフィルムを置けば写真が撮れるのはわかると思いますが、
多少の絵心がある人なら、あそこに紙を置いて、
上からトレースしてしまえば、簡単に風景画が描けるじゃん、
と思うわけです。
肖像画とかだって、ある程度の画力があれば、
苦もなくそっくりに描けてしまうわけで、これを利用しない手はない。
実はカメラは、フィルム、感光板の登場するずっと以前から、
「世界を切り取るための道具」として、存在していました。
レンズを使ったカメラー オブスクラーは16世紀には既に登場しています。
それ以前にも、ダビンチの素描で有名な「ピンホール」を使ったタイプが
存在しており、まあ、こっちはどこまで使えたのか疑問ですが、
とにかく、その歴史はとても古いのです。
手で写し取る手間なしで、自動的に記録できないの?
というのは、やがて誰もが考えます。
最初に「写真」と呼べるモノを作ったのは
フランスのニエプス(Niépce)で、1822年ごろとされます。
が、これは感光剤にアスファルトを使っていて、陰影のみがわかる、
かなり劣化した日光写真みたいなもので、写真と呼ぶにはやや抵抗が…。
銀板を感光させて光を写し取る、という銀塩写真のルーツを造ったのは
同じフランスのダゲール(Daguerre)なわけですが(1832年 ダゲレオタイプ)、
そんなのは、カメラの歴史から見れば、さほど古い話でもなかったりします。
余談ながら、ダゲールはニエプスの共同研究者だったんですが、
途中でニエプスが亡くなってしまい、歴史にはダゲレオの名が刻まれる事に。
そんなわけで、カメラはそもそも写真を撮るために
造られたものではありませんでした。
このレンズを使って画像を映し出す、という特徴を活かし、
絵を描くのや、天文観測などに使われていたものなのです。
銀塩フィルムの時代なんてたかだか100年程度ですから、
これがデジカメになったところで、騒ぐほどのもんじゃありません。
浅草(千束)の植木市
絵を描くのはともかく、天体観測って何よ?という点をちょっとフォロー。
写真のない時代、惑星を探したり、星の数を数えたりと
非常に基本的な観測をするにも、手で描いて記録するしかなく、
それを正確にやるのはほぼ不可能に近い作業でした。
そこで、カメラー オブスクラーを使って紙に書き込んで行ったわけです。
望遠をかけることもできますから(かなり明るいレンズが必要なので簡単ではないが)、
ある意味、望遠鏡に匹敵する天文学の新しい武器だったわけです。
17世紀ぐらいからの天文学の飛躍的発展を考える場合、
望遠鏡、そしてこのカメラ オブスクラーの存在は、決して小さくありません。
例えば、惑星オヤジことケプラーは、1604年に自作と思われる
大型カメラー オブスクラーを完成させ、以後の研究に使っています。
(有名なケプラー超新星の観測にも使ったと思われるが、確証なし)
カメラー オブスクラーの命名も彼による、と言われてますから、
ある意味、カメラの名付け親はケプラーなのかもしれません。
そして当然のごとく、17〜18世紀のヨーロッパの画家にはかなり使用されており、
連中の絵を見て「見事な描写だ!ブラボー遠近法!」とか思ったら、
単にコレを使ってトレースしただけ、という可能性があるので注意(笑)。
さすがに近代の印象派とかキュビズム野郎とかは、これじゃ絵を描けんでしょうが。
ちなみにイギリスに絵描きさん用のカメラー オブスクラーの博物館があるんですが、
結構辺鄙な場所なんで、日本人で行ったことのある人、いるかなあ…。
一度は行ってみたいと思ってるんですが、さて…。
さらにちなみに、その名の通り、部屋(というか小屋)を丸ごと暗室にし、
屋根の中心に塔を設けて、頂上部にレンズを左右方向にいれ、
鏡で室内まで光を呼び込んで(一種の反射望遠鏡でもあるのか?)、
外の景色を眺めて楽しむ、というまさに「暗室」という娯楽施設が、
一時、ヨーロッパで流行しました。
今でも、いくつかは生き残っているそうな。
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