久しぶりにあった知人と、多様性社会が内包する根源的な問題、すなわちなぜ50代を超えたテッペンハゲのオジサマはロン毛を好むのか、を多角的に議論する。昭和で滅ぶ、20世紀で終わり、さすがに令和の壁は超えられぬと専門家の多くが予測していたのに反し、未だに一定数の個体で見られるのがこの現象(いわゆる落ち武者ヘア)。
とりあえず呪術的な現象である可能性が高いこと、サビエルか河童の呪いだと思われること、までは両者の意見が一致したのですが、どちらを取るかで最後まで合意に至ることができませんでした。ちなみに沙悟浄は原作において河童ヘアでは無いので問題外。
とりあえず結論だけ書いておくと、7:3でザビエルと河童、それぞれの呪いというあたりが妥協点だと思いますが、やはりイエズス会の秘儀を知るザビエルが日本人に掛けた呪い説を筆者は捨てきれませぬ。
占いとは不確定な未来のリスクを回避して、絶対安全な未来だけをズルして手に入れようと言う心理の基に行われるものだから、それに頼ろうと思った段階でほぼ勝負には負けているのよ、という話をする。不確定要素を回避する手段は世界には無く、それに対する正解も無い。臨機応変に応じるしかなく、それができる才覚と運を持つ人間のみが勝てる世界。才覚、運だけでもある程度までどうにかなるけど、その両者が揃った時、人は歴史に名を残すのだ。
ちょっと気になる事を調べていて気付いた事。2024年9月現在の日本でも、英語で書いてあればなんでも鵜呑みにしちゃう明治期のコネで帝大教授になったみたいな人が意外に多い。
あらゆることは一度疑おうよ、誰でも間違えるんだから。世界的に有名とか専門家によるとか、そんな情報何の参考にもならんよ。これまで偽造論文を書いて来た連中がバレる前にどういった場所でどういった評価を受けていたか見てごらんよ。なんなのこの「英語で書かれていたら間違いなし」信仰。
この点はF-1の報道なんかも同じで、馬鹿かお前みたいな情報をいかにも特ダネ的に日本語に翻訳する連中の頭の中が理解できませぬ。角田選手が感情的になりやすいとか、アホか。ヨーロピアン白人の皆さんが「東洋から来たサルを調教してやる」論調でしょう、あれは。鵜呑みにしてどうする。
こうしてみると江戸時代の産まれで、全く英語圏の史料を鵜呑みにしなかった漱石ってすごいなあ、と改めて思う。
凡俗には理解できない天才を自分の立ち位置まで引きずり下ろすため、些細な事で非難したり実は普通の人だった的な事を根拠も無く言い出すのは実に無様だと思う。
ネズミが鷹の視点を得る事は永遠に無いのよ。
「死ねマスカット?」
「シャインマスカット。池袋の高層ビル知ってる」
「サンシャインでしょ」
「これは?」
「死ねマスカット?」
専門用語で何というのかは知りませぬが、物語が佳境に入ったのに、登場人物の回想場面が連発されて一向に話が進まん漫画界の現象、そろそろ法的規制が必要だと思うんですが、如何に。
ええ、この中途半端なとこで話が終わるの、次回単行本発売まで何カ月あるんだよ、というのが連発されると精神的な打撃が馬鹿になりませぬ。これをなんとかするのが政治と言うものでしょう。
F-1 第16戦イタリアGP、フェラーリが、よりによってあのフェラーリが驚愕の戦略で勝利。ルクレールというドライバーの非凡性もありましが、こんな勝ち方があるんだ、という驚きでした。久しぶりにF-1の面白さを痛感しました。
ちなみにこの一カ月は4レース開催なので割に合うと判断、久しぶりにDAZNに復帰して視聴中。やはりサッシャさんの実況、中野さんの解説は素晴らしいの一言で、この二人の解説だけでレースを見るのが楽しくなります。ただし月4000円級の視聴料はもう無理で、10月からはフジテレビに戻るでしょう。こちらは安いけど世界最低の解説者によるボケ老人の愚痴みたいな話を2時間近く聞かされるのに堪えれらえず、今では無音で見てます。ある意味、日本のF-1冬の時代ですね。