15年ぶりくらいに向島百花園を訪問。
江戸期から続く事になっている庭園ですが、実際は空襲で一度丸ごと焼けているので、現在の物は戦後に復興された施設。
ここは夏から秋にかけて虫ききの会、そして月見会が開かれ、この時は日没後も庭園に入れるのです。以前から行きたいと思ってたんですが、時間の都合がついたので訪問して見ました。
以前は庭園らしい庭園だったんですが、最近はややホッタラカシの原生林風の施設になりつつあり、個人的には楽しかったです。
連載が未だに終わらぬ博多旅行記のついでに書いておくと、キャナルシティ博多の土地、鐘紡工場の前にあった向島遊園地のモデルは恐らくこの向島百花園だと思われます。東京から帰って来た地元の豪商の人が明治期に造ったものですし、当時の遊園地は今とはちょっと意味が違いますし。
ついでに確か学生時代の漱石が正岡子規のヤツ、ここにいやがった、と日誌に残しており、どうも批判的な文章なので、子規は吉原帰りに遊んでいたのを見つかったのでは、と個人的に思っております。
ついでに漱石の東京における活動範囲は本郷の東大から生地&作家稼業に入った後の早稲田までと思われがちですが、あの人は養子に出されてた時代に浅草一帯で生活しており、一定の地理勘はあったはず。
久しぶりに実感したので再度書いておこうと思いまする。
この約10年、英語を使う必要がある場面で一緒に仕事した人物は男女合わせて約40人、そこには二種類の人間しか居ませんでした。
まずは英語は必要最低限だけど、一定の仕事は出来る、あるいはかなり出来る人。
そして英語はネイティブ並みのキレイな発音と十分な会話力を持つんだけど役立たずで馬鹿。
ホントにこの二種類しか居らず、未だキレイな英語で仕事も出来る人間を見たことが無いのです。なんでしょうね、この現象。まあサンプル数が少なすぎるので広い世界には例外もいらっしゃるんでしょうが。
それなりの年齢の知人女性が、職場の後輩から恋愛相談を受けたそうな。正直、この人に相談するかと思ったんですが黙って話を聞く。
でもってその人のアドバイスを要約すると「人を好きになるのは自分の理想像を勝手に相手に投影して幻影を見てるだけだから、ほぼ勘違い。現実を知れば直ぐに覚めるよ」でした。
まあ、その通りであり、それでも好きならそれは恋ではなく愛だと私も思いますが、若い女性にそれを言うか、と思う…。私だったらグーで殴られるぞ、そんなこと言ったら。でもまあ、若い人には勉強になるか。色んな意味で(笑)。
この所、不運に見舞われまくりのダメ人間兼コックと数カ月ぶりに会う。
入谷に出来た銭湯を改装した喫茶店に行ったのですがなかなか楽しかったです。
本人、不運の連鎖は薄らぎつつあるようですが、息子さん、今年は大学受験のはずで、そちらに影響がない事を祈る。
神田明神のアニソン盆踊り、今年も開催との事で行って見る。
昨年ほど境内一帯が萌え萌え状態ではないものの、人出はさらに増え、そこに外人さんが多数殺到、阿鼻叫喚状態になっておりました。以前は都心で地元の人間だけが集まる静かな盆踊りだったんですけどね…。いずれにせよ令和のこの時代に、クック・ロビン音頭で踊りまくる若人を見る日が来るとは思っておらず、長生きはする物です。
ちなみクック(コック)・ロビンはコマドリの事で元ネタはマザーグースですが、歌は言うまでもパタリロが出どころ。さらにそのパタリロは萩尾望都さんの漫画、「小鳥の巣」が出どころ。パタリロの長年の読者なら、後に「別に誰が殺したって訳でもないんだよな」と言うセリフが出て来るのを知ってると思いますが、これは「小鳥の巣」の話で、マザーグースでは犯人のスズメが最初からオレがやった、凶器は弓と矢だ、と自白しています(笑)。
ちなみに萩尾さんの「ポーの一族」はみんな同じ顔に見えてどれが誰だか判らんまま、途中で読書を放棄しました。
西表島で謎物体を撮影した地雷映画男が、今度は地元所沢で同じようなものが出たよ、と言うので動画を見せてもらう。確かに出てました。
この男の場合、そういったものに興味がない、そして肉眼で確認してから撮影している、という点で信用できるので、恐らく何かがあったと思います。
そしてオレが一度も見てないのに、なんでこの男ばかりと悲しくなる。