clock.png 2024年6月
2024.6.29
団地

都内最古の公団団地として、1966(昭和41)年までに建てられたのが赤羽台団地。その後21世紀に入ってから全面的に取り壊され、ヌーヴェル赤羽台という人に聞かれたら恥ずかしくて答えられないような名称の団地に生まれ変わりました。

が、この建て直しの時、都内最古の団地建築の幾つをかを保存し、それが現在は登録有形文化財になっています。さらにその建物を見学させてくれる施設として、URまちとくらしのミュージアムが造られました。ただしこれ、完全予約制で、週末はほとんど予約を取れない状態。このため今回、久しぶりに赤羽の街に用があったのですが予約がないまま建物だけを見てきました。

我実家は野ウサギもフクロウも居る県庁所在地の僻地ですが、すぐ側に昭和の県営&市営の大規模団地があり、このためこういった建物はちょっと懐かしく感じる部分があります。次は予約を取って見に行きたいですね。

2024.6.22
Log in

この季節に昔の職場の人間と久しぶりに話をしていて気がついた事。

1991年のルマン24時間で優勝したマツダ787Bの前輪の直ぐ後ろには小さなLogInというステッカーが貼られています。これはアスキーという出版社が月二回刊で出していたPC雑誌なんですが(Windows95以前である。超マニア向けの雑誌でいい意味で狂っていた)、当時のアスキーにそんな金は無く、F-1ブーム真只中とはいえ、モータースポーツに興味を示すような会社でもありませんでした(プロレスファンは無数にいたが)。ではなんで。

この点、当時の関係者の方の多くは未だ存命だと思うんですが、ネットで調べた限り全然出て来ませんでした。なのでちょっとだけ書いておきます。ただし私は当時、最も下っ端の新入社員で、一つ下の階の別の編集部に居たのであくまで聞いた話、ですが。

まず787Bは前年に比べて無線によるテレメーター関係が強化されたのですが、当時、これをコンピュータ経由で読み取れる技術者がマツダチームに居なかったと聞いて居ます。でもって知り合いの知り合いみたいな流れで、コンピュータに強いウチの会社に話が来て、LogInから2名の編集者が現地に送り込まれたのです。ただし当時のPCはそもそもDOSで、そこに様々なインターフェイスを繋げてプログラムを走らせるだけでも一定の知識が要求されたはず。正直、アスキーにはもっと専門的で高い技能を持った編集部があったんですが、なぜかゲーム系PCの雑誌LogInに白羽の矢が立ったのでした。その辺りの事情は私も知りませぬ。とりあえず、その技術提供と引き換えに、あの小さいステッカーが貼られたのです(なので優勝した55号車だけでなく、18号車にも貼られている)。現場で使われたノートPC(当時はめちゃくちゃ高価だった)も編集部からの持ち込みと聞いた記憶がありますが、この点は確証無し。

でもってこの年のルマンは日産もトヨタも参戦しておらず、マツダの参戦に誰も興味が無く、私も会社でこの話を聞くまで知りませんでした。さらにそもそも自動車レースに興味の無い連中の集団だったので、優勝の報せの電話が入った時、会社に居た編集部の人間は何の感慨も持たず、そのまま喫煙室で煙草を吸ってました。私は煙草を吸わないのですが、他に休める場所が無いので、日曜に終電まで仕事中だったこの日(涙)、そこに居たのです。でもって部屋に入ると、その人がポロリとマツダ車が勝ったらしいよ、と言って驚いたのでした。なので恐らく当時の日本でマツダ車の優勝を最初に知った百人位には入ってると思います(笑)。

2024.6.21
商店街

久しぶりに埼京線の十条駅のアーケード商店街に行って相変わらず元気なのに驚く。駅前は大規模開発が始まってましたが。ここは北区にある埼京線の地味な駅ながら常設劇場がある恐るべき商店街です。東京北東部で常設劇場がある街ってここくらいでは。

東京東部で都心から僅かに外れた一帯の商店街、赤羽、新小岩など元気な所もそれなりに残っていますが、この15年くらいで消えて無くなった所も少なくありませぬ。都電の始発、三ノ輪などは辛うじて残っていますが半分はシャッターが下りている状態ですし、その近所、山谷のあしたのジョー商店街、いろは商店街は数年前にアーケードを撤去し現状は商店もほとんど残って居ません。御徒町駅から歩けるけど誰も知らないアーケード商店街、佐竹商店街も今では半部近くがシャッター状態、他にも田端駅西側の商店街だった田端銀座、三河島駅の北側の荒川仲町商店街などが事実上、消滅するか以前の半分以下の規模にまで縮小してしまっています。押上周辺などスカイツリーが出来たのに消えちゃった所もありますし。日暮里の谷中銀座は健在ですが、完全に観光地になってしまいましたし。それ以外にも複数の商店街がこの15年で一気に消えてしまっており、個人的には写真を撮って置くべきだった、あまりに日常で見逃してしまった、という後悔があったりします。

2024.6.17
男体山は2486m

梅雨入り直前の快晴の週末を狙って日光男体山に上って来ました。
昨年、その麓の中禅寺湖から見上げ、これって単独峰じゃん下から一気に登れるじゃん、約20年ぶりの登山復帰の練習にちょうど良いじゃん、利根川の東に2500m以上の山は日光白根しかないんだからこれも大したことあるまい、と考えたから。

よって前日夜から乗り込んで夜明け前に突入というのを約20年ぶりに決行、歩行距離約16㎞、標高差1000mの登山をやってきました。結論から言えば速度は全盛期30代の2割落ちですが、体力的には何の問題もありませんでした。ただし裏から登ったんですが、これリハビリで登る経路では無かったです(笑)。知ってたら絶対登りませんでした。あと男体山の標高は2486mで、事実上の2500m級でした。ほとんど詐欺じゃん…

まあ前日の夜から快晴だったので、30年ぶりくらいに山上の凄まじい星空が見れたし、やたらとシカに会えたしで悪くない登山ではありました。猿も居たし。後ほど旅行記にもまとめます。

2024.6.11
新宿御苑

二年に一度の新宿御苑訪問に行って来ました。
ここもこの二十年くらいでホントに都心の森林になりつつありステキ。お金取られるんで毎年は来ないですけどね(笑)。あとこんな場所まで外人さんだらけでした。

2024.6.8
旅行

また突然、時間が出来たので2泊3日の行程で、ここ数年ずっと気になっていたことに決着を付けるために琵琶湖北岸から名古屋まで縦断する移動距離約120㎞の旅に出撃。

いくらなんでも無茶な日程だとは思っていたので、いくつかの取りこぼしが出てしまったのは仕方なし。具体的には当初予定していた熱田神宮と名古屋城は見れませんでした。

その代わり、2年半ぶりの余呉湖周辺では貴重な体験をしてきました。恐らく栃ノ木峠で大名行列の休憩所だった茶屋を移築した旅館に泊まって宿の御主人から話を聞いたり、翌日、どうしても見て置きたかった中河内までのバスの運転手さんにこれまたお話を聞けたりで、皆さんの親切さに感謝です。

ちなみに今回の発見として、滋賀県、岐阜県、名古屋市では街中でも方言を使う人が多い。岐阜までは関西弁の匂いがするが、名古屋もそれに近い。というか、話に聞く名古屋弁は全く聞かず。この点は以前からちょっと疑問だったんですが、未だに理由は不明。

あと現地に到着してから知ったんですが、トヨタ博物館、名古屋市でも豊田市でもなく、長久手市にあるのね。そしてそれは長久手の古戦場の近所であり、なにせ局地戦の連鎖だった長久手ですから古戦場の一部と見る事もできます。世界的にも珍しい立地の博物館では。

そしてトヨタ博物館、民間のどころか私の知る限りの世界中の博物館の中でも超一流の存在でした。車を文化と捉え、有名だったり憧れの存在だった車に偏らず、市民の脚だった車を取り揃えているのはあと100年後に恐らく人類の至宝になるでしょう。

あと館長さんか関係者の中に、宮崎監督の大ファン、居ますよね、これ。

詳しくはまた旅行記で

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