clock.png 2025年11月
2025.11.28
飛んで行く

夜明け直前、東京湾上空を高度1000m前後で恐らく音速直前で水平飛行する物体って何でしょうね。
(20㎞以上の距離があったので衝撃波音が聞こえなかっただけで音速を超えてる可能性もある)

これで目撃するの、二度目なんですが。点滅灯を付けておらず、光っているのは恐らく朝日の反射。そして羽田に着陸する機体の倍以上の速度で飛んでます。前回見たのは二年以上前なので、そうしょっちゅう飛んでるわけでは無さそうですが…

2025.11.22
色んな意味で果てしない

細田監督の新作、「果てしなきスカーレット」を地雷映画男を巻き込んで鑑賞。

今回から3D作画と聞いており、やはり細田監督ほどの空間把握能力があると、手描きの向こうに行きたくなるよなあ、と思っておりました。が、結果はドアップ、ど真ん中構図、馬鹿みたいに平面的な構図の連発で、その手の画面に弱い筆者は完全に酔ってしまい、早く終わってくれとひたすら願いながらの鑑賞となる。細田さん狂ったか、あの人が絵コンテ切ってこれなのかという画面の連続でした。ハウルの動く城で宮崎さんがやらかした時以上の衝撃。さらにエンディングで見る限り絵コンテ、少なくとも画面構成を取った人物の記載がありませんでした。まさか時間が無いまま、現場に丸投げ?

ここまで来るともうどうでもいい気がしますが、細田さんのファンの一人の責任して述べると、話の内容、セリフの安っぽさ、人物の魅力の無さも致命的で、いやもう惨劇としか言いようが無い作品でした。これまでも細田さん、これは失敗作、というのが何作かあるんですが、その比では無いです。どんなに話がツマラナくて悲惨でも、ここまで画面構成、絵面が崩壊した事は無かったですし。

これ、予算と時間の関係もあるんでしょうが、それ以上に何か変な宗教か思想にハマってないか、と不安になる内容です。もはや細田監督は終わりかと思うしか無いほど。この予感が外れる事を心から願ってもおりますが。

2025.11.12
浅間山系

数年ぶりの墓参りで長野の小諸に出かける事にしたので、ついでに初めての浅間山外輪山登りをやって来ました。

浅間山に登らなかった理由は単純明快、火山故に登山禁止だからです(噴火による死亡事故の件数では恐らく日本一。そんな山だが少なくとも1960年代までは山頂に入れたらしい)。

ここはホテルから2400m級の登山、しかも標高差400mほどの軽登山ができるという日本一贅沢な初心者向けの山で(ただし2000年代に入ってからでも2件の死亡事故があるので、そこはあくまで登山である)、一度は行って見ようと思いながら今まで果たせていませんでした

そんで行って見た結論は、めっちゃ快適で楽しい。もう普通の登山には戻れない体になってしまう。どうしよう。

あと小諸は城跡の懐古園が見事な紅葉でこれも楽しかったです。後ほど旅行記にまとめると思います。

2025.11.5
確率

以前の日記で、計算式だけではなく図にしないと判らない確率理論の問題は専門家でもよく間違える、と書いた所「お前の言っている事は判らない、きっと馬鹿に違いない」という親切な指摘を知人から頂きました。論理的で心温まる指摘だと思うので、ちょっと解説しておきましょう。

まず次のようなゲームを考えます。下にある最初の画像がルール説明になっているのでそちらもご覧ください。

■三枚の札の一枚だけにアタリの×印を描き「親」が全て裏返しに置く。

■プレーヤーは三枚の中のどれが×印かを当てる。

当然、これだけなら単なる運のゲームです。では次のようなルールを追加するとどうなるか。

■プレーヤーは三枚の中から一枚を開かずに確保する。当然、まだ正解は判らない。

■親は残された二枚の内、ハズレの一枚を取り除いてくれる。これで場に残ったのはアタリとハズレが各一枚となる。

■ここでプレーヤーが確保した一枚と、最後に場に残された一枚の交換を希望するか、と問われる。


では問題です。この時、プレーヤーは札を交換する事でアタリを引く確率を上げることが可能か。
筆者の経験上、十人中十二人が、変えようが変えまいが意味が無い、すなわち「否」と答えます。

理由はこれも皆同じです。
場に残った札はハズレ一枚、アタリの×印一枚ずつ。
よってどちらの札を選んでも50%ずつの正解確率なのだから交換は無意味、です。これが人間の直感的な理解でしょう。
それが普通で、筆者だって一瞬、そう考えてしまいましたから問題ありません。

ですが間違いです。実際にこのゲームをやってみる、簡単なプログラムを書いて試行してみると判りますが、
百回以上試行して見ると、札を交換した方がほぼ倍の確率で正解となって来ます。

なぜか。判ってしまえば答えは簡単なんですが、最初に三枚から選んでるからです。
最後に場に残された二枚から選ぶなら、確かにその通り確率は50%ずつ、交換は無意味です。ですがそれは前提条件として間違っています。これが確率の面倒な所、前提条件を正確に理解していないと致命的な間違いを犯す、の典型例となります。

最初は図を使わずに説明して見ましょう。よく判らん、という場合は下の画像の二枚目が解説になっているのでそれをご覧ください。

三枚の札の中に×印のアタリは一枚だけ。三枚の札の出現率は等しいので正解率は33.333…%です。つまり以下のようになります。

札1 ×アタリ…出現率33.3%

札2 ハズレ…出現率33.3%
札3 ハズレ…出現率33.3%

ここで注意して欲しいのは、正解を引く確率=33.3%、ハズレを引く確率=33.3%×2=66.6%、両者には倍の差がある点です。
同時にこれは最初の一枚でアタリハズレを引く確率でもあり、札を交換しなかった場合の正解率でもあります。
つまり札を交換を拒否した場合の正解率=33.3%、不正解率=66.6%、不正解が倍近い確率となります。

では交換を行うとどうなるか。
まず×のアタリ札を持っているなら交換した札は「必ずハズレ」になります。よって不正解率=33.3%。
対してハズレの札を持っている時、場に残る札はアタリだけなので交換すれば必ずアタリになります。よって正解率=66.6%。
はい、交換しなかった場合と正解、不正解率が丸ごと入れ替わり正解確率=66.6%、不正解確率=33.3%となるのです。つまり交換した事によって倍の確率でアタリが出ます。注意して欲しいのは最初の選択でハズレを引く可能性が高く、それを最後の札の交換で補正してしまっている、という点です。最後の交換の段階で、既に確率は50%ずつでは無くなっているのです。

これはいかに人間が最後に聞いた、最新の情報に引きずられるというか、という問題の一つでもあります。折角なので、ここで「なぞなぞ」を一つ出して見ましょう。

タカシ君は風邪で緊急入院しました。連絡を受けたお母さんは驚き、急ぎ病院に向かいます。昨日まであんなに元気だったのに、タカシに何があったのかしら。不安でなりません。早く状況を知りたくて、病院への近道を通りました。この日は天気のいい日で、チョウチョウが飛んでいて、途中の牧場では牛がモーと鳴きました。さて、タカシ君の病気は何でしょう?

まあ、引っかからない人は引っかからないのですが、十人中八人くらいは「盲腸!」と元気に答えてくれるので、残念でしたー、最初に風邪って言ったでしょ、なんでチョウチョウが飛んで牛が鳴くと盲腸になるの、非科学的い、と煽りましょう。これであなたは大人げない大人の一人として子供たちに覚えられます。そしてそういった大人は意外に子供にモテます(経験者談)。

とりあえず、こういった印象操作が避けられないのが、関数化できない、方程式で解けない確率系の問題で、いわゆる専門家の人でも驚くほど平気で間違いをやります。実際、完全なランダムな数列には隣接する数字の間に極めて厳密なルールがあるんですが、恐らく誰も気づいて無いでしょう。まあ気づいていても、これは恐らく黙って居るだろうな、とも思いますが。

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