この季節に昔の職場の人間と久しぶりに話をしていて気がついた事。
1991年のルマン24時間で優勝したマツダ787Bの前輪の直ぐ後ろには小さなLogInというステッカーが貼られています。これはアスキーという出版社が月二回刊で出していたPC雑誌なんですが(Windows95以前である。超マニア向けの雑誌でいい意味で狂っていた)、当時のアスキーにそんな金は無く、F-1ブーム真只中とはいえ、モータースポーツに興味を示すような会社でもありませんでした(プロレスファンは無数にいたが)。ではなんで。
この点、当時の関係者の方の多くは未だ存命だと思うんですが、ネットで調べた限り全然出て来ませんでした。なのでちょっとだけ書いておきます。ただし私は当時、最も下っ端の新入社員で、一つ下の階の別の編集部に居たのであくまで聞いた話、ですが。
まず787Bは前年に比べて無線によるテレメーター関係が強化されたのですが、当時、これをコンピュータ経由で読み取れる技術者がマツダチームに居なかったと聞いて居ます。でもって知り合いの知り合いみたいな流れで、コンピュータに強いウチの会社に話が来て、LogInから2名の編集者が現地に送り込まれたのです。ただし当時のPCはそもそもDOSで、そこに様々なインターフェイスを繋げてプログラムを走らせるだけでも一定の知識が要求されたはず。正直、アスキーにはもっと専門的で高い技能を持った編集部があったんですが、なぜかゲーム系PCの雑誌LogInに白羽の矢が立ったのでした。その辺りの事情は私も知りませぬ。とりあえず、その技術提供と引き換えに、あの小さいステッカーが貼られたのです(なので優勝した55号車だけでなく、18号車にも貼られている)。現場で使われたノートPC(当時はめちゃくちゃ高価だった)も編集部からの持ち込みと聞いた記憶がありますが、この点は確証無し。
でもってこの年のルマンは日産もトヨタも参戦しておらず、マツダの参戦に誰も興味が無く、私も会社でこの話を聞くまで知りませんでした。さらにそもそも自動車レースに興味の無い連中の集団だったので、優勝の報せの電話が入った時、会社に居た編集部の人間は何の感慨も持たず、そのまま喫煙室で煙草を吸ってました。私は煙草を吸わないのですが、他に休める場所が無いので、日曜に終電まで仕事中だったこの日(涙)、そこに居たのです。でもって部屋に入ると、その人がポロリとマツダ車が勝ったらしいよ、と言って驚いたのでした。なので恐らく当時の日本でマツダ車の優勝を最初に知った百人位には入ってると思います(笑)。