では家光の墓所、大猷院(たいゆういん)の見学に入りましょう。前回も述べたように本来は神社ですが、いろいろ変なのは神仏混合が進んでいた江戸初期では珍しくないものだと思います。まあここまでゴチャゴチャなのは私も初めて見ましたが。

入場料払って最初に見えてくるのが 仁王門。神社に仁王門って教会に鳥居がある位の異文化じゃん、というツッコミは現地で私が百連打して来たのでここではパス。とりあえず屋根周りは黒字に金でカッコよい印象。ここは基本的に全てこの配色で全体的には家康の東照宮よりシブいですね。ちなみにこの仁王門は重文。



門を入ると各地大名から贈られた石灯篭がズラリと並びます。これは上野の東照宮でも見られる光景です。



黒地と白を基調に建物全体がまとめられているので、カッコいいザンス。この手洗い場、御水舎(おみずや)、てっきり戦後辺りに適当に立てた鉄筋コンクリート製の建物か、と思ったんですが、御影石による建立時からのものだとか。江戸期の石造りによる建物って珍しいのでは。ちなみに佐賀藩の鍋島家から寄贈されたものだとか。そしてこれも重文。



その先は非公開でした。龍光院という建物があり、家光の家臣だった人物が住み、院内の管理をしていた場所らしいです。



その上にあるのが二天門。家康じいちゃんの威光で自分を飾り立て続けた自分大好きヤンキー家光は、自らの墓所は東照宮より小規模に、と遺言したはずですが、この門は一帯の中でも最大規模、陽明門よりデカいそうな。…ダメじゃん。

左右には持国天、増長天が収めらており、故に二天門ですが、当然仏教系。…何がやりたかったんだろうね家光、という感がより深まります。だったらもう素直に寺院にしちゃえよ、と思うんですけど。

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