■伽藍はどこから虚しくて




というわけで、いよいよ高野山の本部基地施設、壇上伽藍に入ってゆきます。
壇上、の意味がイマイチわかりませんが、伽藍、は仏僧の皆さんの修行場といった意味。
ちなみに、案内板の通りに入っていったはずなんですが、どうもここ、裏口だったような…。



中はこんな感じ。

手前の白い建物は、昭和59年に再建された東塔で、
左奥のほうにチラりと見えてる巨大な紅白の建物が、この壇上伽藍、
さらには高野山そのものの中心点とされる、根本大塔さま。

あの建物の前に金堂が、向こう側には西塔があり、根本大塔を中心に、
全体の建物が、左右対称な配置となっています。
この配置が密教的な意味を持ち、一種の曼荼羅のように、
その教義を具現化してる、とのこと。

が、実際は結構バラバラというか、あまりキレイな左右対称になっておらず、
さらには江戸期あたりの古地図と比べると、建物の配置が異なり、
まあ、なんとういか、基本的にここも20世紀真言密教的な施設ですね。






で、入り口で横を見ると、ずらりと金額の入った石柱が。
金毘羅さんでも見かけた、寄付金記念モノリスです。

金額からすると、明治大正期のものじゃないかと思うんですが、詳細は不明。




でもって、これが高野山のヘソ、根本大塔閣下。
なんか、微妙に安いというか、田舎のパチンコ屋みたいな色彩にも見えなくもなく…。

赤ではなく、紅(つまり中国式だ)という事でオレンジっぽい色にしたのでしょうが、
近所のイタチやタヌキを威嚇するには向いてると思いますけども、
宗教施設として見ると…どうでしょうねえ…。

余談ですが、かつて全世界を支配した脅威のデバイス、
ファミリーコンピュータことファミコンのあの目にもまぶしい赤白カラーは
いかにも京都の任天堂らしい、と思ったことがあるのは私だけ?
絶対、あれは平安神宮がモチーフだと思うのだけど(笑)。

で、これも火災で焼失しまくっており、現在の大塔は、昭和12年(1937)に再建された
鉄筋コンクリート製の建物です。


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