■江戸末期建築大行進



朝の9時ぐらいですが、まだ人は少なめ。
気温もかなり低めで、昨日の大阪が上着いらないほどの暖かさだったのに、
えらく対照的な状況になりました。

根本大塔から壇上伽藍の西側を見る。
ここで“雰囲気のある”建物は、だいたい西側に集中してます。
手前の建物は御影堂で、これも江戸末期、1847年の再建。

歴史的な価値は別にして、幕末期の日本の建築技術、という面で見ると、
高野山は非常にすばらしい建物の宝庫ですね。
…まあその建築のために、どれだけの領民の皆さんが泣かされたのか、
とか考えると、ちょっとアレですが。

ただし、この建物は紀州徳川家からの寄進らしいので、
その点は安心して見てられます(笑)。

もっとも、同じ徳川家でも、江戸の天領とは違い、
紀州藩の搾取はかなり過酷だったとも聞きますが…。



その奥にある、西塔。
最初に見た東塔と対になる塔です。
これも江戸末期、1834年の再建ですが、非常に精密な建物で、
いくら見ていても飽きませんでした。

個人的に、高野山の建物では、一番のお気に入り。



その西塔から見た根本大塔。
地面、きれいに掃除されているのですが、どこか全体的に、
寂しいというか、寒いなあ、という景色でした。



伽藍の南西に位置する御社。
1594年建造だというから、ここでは一番古い建物。

もともと高野山周辺を縄張りにしていた地元の神様を、
空海閣下自らがこの地に祭ったものらしい。

つまり神社なんですが、前にも書いたように、
明治期以前は神仏の区別はかなりあいまいでしたから、
まあ真言宗のお寺の心臓部の一等地に神社があっても、
それほど不思議ではないわけで。

これも結構、いい雰囲気の建物でした。


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