■どんどんデイトン

いやはや、えらい博物館に来てしもうた、とこの段階で早くも完敗、という気持ちで
天井を見上げれば、そこにも飛行機(笑)。
手前のはSE-5とかいう複葉機で、奥に見えてるのは恐れ多くも
練習機から連絡機までの万能傑作機、タイガーモス閣下でいらっしゃいます。
閣下ほどのお方が、天井からぶら下げ展示とは…。

念のため、もう少し天井付近を見回わせば、まああるわ、あるわ。
この巨大な物体は観測兵を乗せて飛ばすための観測気球。
人間2人を乗せて浮かすため、相当巨大です。
はい、とりあえず、また地上の展示機体に戻りましょう。
第一次大戦後、過渡期ともいえる1920年代の展示です。
ここら辺から、ほぼ全機、レプリカではない、オリジナルとなってきます。

まずは、アメリカ最初の量産型大型爆撃機であるマーチン MB2。
世界で初めて戦艦を沈めた爆撃機でもあります。
1920年代アタマから配備が始まった機体なんですが、
これ、夜間爆撃機という微妙な存在(笑)。
アメリカの重爆の歴史は夜間爆撃機としてスタートしてるんですね。
それには深い理由があった…わけではなく、
単に重い爆弾を沢山つんじゃったら、最高速度は99マイル、
わずか時速160km、金属製の航空機なら失速速度じゃんってな位の低速ぶりに。
当然、機動性なんてものは微塵もなく、
さすがに真昼間にノコノコ飛んで行くのは、とても無理なのでした。
じゃあ、夜間爆撃機でいいや、というニントモカントモな理由でそうなりました…。
泣けますね…。
が、バカにしてはいけない(自分がしといてなんですが)。
1921年6月から7月にかけ、海軍の待ち構えるヴァージニア州に、
陸軍航空部隊の巨人の星ことミッチェル自ら指揮するB2爆撃部隊が
ウヒョヒョヒョヒョヒョのヒョーとばかりに殴りこみをかけます。
目的はただ一つ。
陸軍は航空機を使うことで海からの脅威に対抗できる、と証明すること。
何せお隣は日本とアフリカとカナダとメキシコというアメリカ。
どこで大型爆撃機なんて使うんだよ、
それどころか、航空部隊に意味あるのかよ、
という質問は、陸軍航空隊にとって、
もっともキツイツッコミだったのでした。
「わが国にノコノコ近づいてくる敵国艦を沈めれるんだよーん」
という回答は、航空隊がその生き残りをかけた、
ある意味、起死回生の解答だったのです。
このため、第一次世界大戦終了時にドイツから巻き上げた軍艦相手に
航空機からの爆撃実験を行い、
潜水艦、駆逐艦と来て、7月21日の演習では、ついにドイツの戦艦、
Ostfriesland (読めません…)を撃沈してしまいます。
余談ながら、アメリカは第二次大戦後、おなじような事を、
今度は水爆実験でやります。進歩無いなあ…。
軍艦の主砲ってのは山なりに弾を撃ち込みます。
目標に突っ込む砲弾のエネルギーは、
頂点からの落下エネルギー、単純な位置エネルギーなわけで、
だったら、その頂点に「砲弾」を持っていけるのなら
別に火薬を使う大砲でなくても、誰でもいいわけです。
高速移動中の飛行機から爆弾を落とす、というのは位置エネルギーをたっぷり持って、
爆弾を敵艦に放り込む事に他ならないわけですから、
破壊力は互角、より高い高度からならさらに強力、となります。

これはイギリスの重巡洋艦の主砲弾。
小さいんですよ、かなり。
これだったら、航空爆弾の方がはるかに強力でして、
1トン近くあると言われる戦艦クラスの主砲弾で
ようやく勝負になります、というレベル。
参考までに日本の艦船をイジメまくったB-25あたりで、
爆弾搭載量は約2トン。
4機程度の編隊が組めれば、戦艦の主砲クラスの火力は
簡単に保有できるのです。
後にロケット弾が実用化されると、
第二次世界大戦中の段階で、単発戦闘機ですら、
1機で巡洋艦クラスの火力を持つようになります。
しかも戦艦から砲弾撃つのに比べれば半分以下の照準距離で、
かてて加えて見晴らしの利く高い位置からの投擲ですから、
その命中確率もより高くるわけです。
(実際にはそこまで単純ではないですが)
結果、第二次世界大戦から近代にかけ、
海の上で航空機は王者としての地位を獲得、
それはイージス艦の登場まで続きます。
もっとも、実戦やってみたら、イージスじゃ意外にだめで、
あわてて艦隊護衛用にF-14を博物館から引っ張り出してくる、
という可能性は残ってますが…。
そんなわけで、アメリカ陸軍の重爆の存在意義は、
「アメリカ沿岸に近づくマヌケ野郎を痛い目に合わせる」
というところからスタートしてます。
この他国にあまり例を見ない独自の方針が
航続距離などで、いろいろな結果を生んで行きますが、
まあ、その話はまた別の機会に。

1930年代の「追撃機」、カーチスP-6E ホーク。
アメリカ陸軍航空隊には戦闘機、というジャンルは存在せず、
Pursuit、追撃機と呼ばれていました。
後に空軍として独立してからようやく戦闘機をジャンルとして設立、
その名称に付くアルファベットもPからFに変わります。
が、面倒なんで、この原稿では以後、戦闘機で統一して行きますのでご了承ください。
カーチスの「ホーク」シリーズのハシリとなった機体の一つで、
アメリカでは「最も美しい複葉機」とか言われたりしてますが、
まあ、実際、カッコイイです。
で、手前に半分だけ見えてるエンジンはD-12。
巨大な金属のカタマリから、シリンダー部を円筒状にくり貫いて造る
キャストブロック(鋳造一体)製法を初めて航空エンジンに持ち込んだ(わりには無名な)
カーチス社の傑作(でも無名な)エンジン。
このエンジンでアメリカはシュナイダートロフィーで優勝し、
さらにこれをイギリスの航空省が国家をあげてパクり(笑)、
そこからロールス ロイスのケストレルエンジンが誕生、
その子孫として、あのマーリンがこの世界に登場するわけです。
この辺りから、6年間くらいがカーチスが最も輝いていた時期…って、結構短いな。
ちなみに、この段階で、カーチス、ライト兄弟の会社と合体済み。

早くも単葉金属製の機体になってきました。
青いムツゴロウの名で私に知られるマーチン B10爆撃機。
ここら辺から高速爆撃機、という思想が生まれ始めていて、
この機体も最高時速350km、当時としては最速の部類で、
戦闘機とかと比べても遜色ないものでした。
が、この後、戦闘機の高速化が一気に進み、
「戦闘機を振り切って侵入、脱出する爆撃機」
というのはあっという間に夢物語となります。
アメリカ陸軍の配備数はわずか121機、エンジンを換えたB12とあわしても
150機前後なんですが、当時としては最も大量配備された爆撃機となりました。
(海外輸出型があるので、生産数は約340機となる)
1933年から37年くらいまでで引退してしまうので、
それほど活躍らしい活躍はしてないのですが、中国向けの輸出バージョンと、
オランダ領にあった機体が対日戦に参加してるので、
日本人には微妙になじみのある機体。
ちなみにこれ、世界で唯一の現存機で、元はアルゼンチン向けの輸出型。
アルゼンチンから71年に寄贈され、73年から76年にかけてレストアされたそうな。
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