■リニアモーターカーは微妙に安かった

車内はこんな感じ。かなり広いです。左右とも2列シート。
なんとなく近未来的なデザインですが…

ただね、全体に妙に安っぽい(笑)。
シートとか、こんな感じで、20年以上昔のカーフェリーのシートみたい。
当然、リクライニングも回転もしません。後ろの荷物棚も一部ベニアっぽいような。

車両の前後には速度表示板が。新幹線だとニュースなどの電光掲示板がある位置。
で、かなりゆっくり加速しながらの表示を見ていると、おお!300kmを超えた!301kmだ!
イケイケだ、ゴーゴーだ!と思ったら、ここで止まってしまいました(笑)アレ?
夜間は速度を落とすものの、通常営業運転で400kmを超えると聞いてましたが…。
…だまされたか(笑)。ひょっとして、雨天時とかも速度制限あるの?
うーん、まあ普通の新幹線よりは、まだ速いけど…。
ちなみに、けっこう揺れます。長野とか、新しい新幹線のほうが揺れは少ないかも。

窓の外。この一帯は水郷地帯で、水路が縦横に走ってます。
1930年代中盤以降に中国にやって来たドイツ人軍事顧問団が、
日本軍相手に「塹壕戦やって消耗戦に持ち込もうぜ」と蒋介石をそそのかしたのも、
無理も無いなあ、というような地形。
ここで第一次世界大戦のような機関銃陣地を造った塹壕要塞戦をやり、
日本軍の戦力を次々に引き寄せて「すりつぶす」つもりだったわけです。
大失敗に終りますが(笑)。
ちなみにこの軍事顧問団の最高責任者は元陸軍統帥部長官、かつての軍の最高権力者ゼークトで、
この時の塹壕陣地がゼークト線と呼ばれてるのはこのため。
ちなみにゼークトは上海事変前年の1936年に帰国し(35年末かも)、
その年内に死去したためこの戦いには無関係で、
実際にこの塹壕の建設に彼がどれだけ絡んでいたのかも微妙です。
ドイツ顧問団の事実上の責任者はファルケンハウゼン(Falkenhausen)でしょう。
ファルケンハウゼンは日本語に堪能でしたが、それがどの程度役にたったのかは不明。
が、まがりなりにも独裁一歩手前(やる気があれば出来た)、権力の頂点まで上り詰めたゼークトが、
中国にやって来ていたのはちょっと驚きで、よほど大金を払ったんでしょう、蒋介石。
もっともゼークトはナチスのミュンヘン一揆の時、これを軍事的に粉砕した張本人ですから
1933年、ナチスが政権を奪取した後は冷や飯を食わされており、
事実上の左遷人事だったようにも思われます。
ちなみにファルケンハウゼンも反ナチで(というか多分レームがキライだった)、
全般的に中国はドイツ参謀職の左遷会場、という見方もできます。
ちなみにファルケンハウゼンはヒトラー暗殺計画にも一枚噛んでるんですが、
終戦まで強制収容所暮らしで、処刑されずに済んでます。
が、いずれにせよ、「実は実戦指揮官、戦術家としては二流」という二人だったので、
その上海攻防戦は、歴史上あまり見ないような日本側の一方的な勝利に終わります。
その掃討戦から現地軍が独断で追撃戦を延長、あの南京の悲劇につながります。
(南京は上海の北西にあり、敗残兵はそちらへと撤退して行った)
この時の日本陸軍は、浸透戦、平行追撃と、第一次世界大戦と、ナポレオン戦の時のロシア戦術をよく研究したなあ、
という戦いぶりを見せ、圧勝するのですが、残念ながら、世界はその直後にずっと先に進んでしまうのでした。
(ちなみに蒋介石の作戦もナポレオン戦の時のロシアが取った焦土退却戦だったのは皮肉)
1937年夏のこの戦い、「やっぱ要塞線の時代は終わりだわ、マジでマジで」という結果が、
後のドイツの戦術にどれほどの影響を与えたかはわかりませんが、参考にはなったでしょうね。

■とりあえず、リニアモーターカーの魅力をムービーで(笑)。
超強力電磁石の上ですから、電子機器になにか影響あるかな、と予想してたんですが、
とりあえず、デジカメは普通に使えましたね。
なかなか上がって行かない速度にご注目ください(笑)。
ちょっと見づらいかもしれませんが…
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