■レッツゴー三フランシスコ

艦橋周辺はアンテナだらけ。
ここら辺は現役時代にかなりの回数、改修されてる部分らしいです、
パンパニトは建造後すぐに太平洋にまわされ、真珠湾を中心にその活動を行います。
戦中に6回の出撃を記録し、かなりの数の日本の輸送船を沈めています。
つーか、パンパニトの航海日誌などを信じると、日本の駆逐艦や航空機による対潜哨戒はザルですな(涙)。
さて、マリアナ海戦の前哨戦というか一方的な先制パンチとなった
米海軍機動部隊のパラオ空襲が44年3月29日から行われました。
そっからトンズラした最高責任者の連合艦隊司令長官が低気圧のせいで行方不明になるわ(笑)、
機密文書は持っていかれるわ…(この件にも別の米潜水艦が絡むが割愛)といった
ステキな日本海軍の「被害」については書くのも虚しいのでふれませんが(涙)、
パンパニトの最初の任務は、その際、対空砲火で傷つき、
空母に帰り着けなかった墜落機パイロットの海上回収でした。
地味だな、と言うなかれ。
米海軍のパイロットに対する「生存して帰って来い」というこだわりは
別の記事にも書きましたが、人道的な面だけでなく、なにせその育成に莫大な時間と金がかかる、
ということでかなりのものでした。
空母への離着艦のある海軍パイロットは簡単には育たないんで、
当然といえば当然の対応なんですが。
さて、以後のパンパニトの全活動中で特筆すべきなのは、二つ。
まずは、44年6月からの日本領海侵入パトロール。
これはマリアナ沖海戦(フィリピン海海戦)から、やれやれエライ目にあったぜ、
と帰ってくる日本海軍の艦隊を呉港の前で待ち構えていて、
一気にトドメをさしちゃおうぜ、という落ち武者狩り作戦。
まあ陰湿ながら大胆な作戦で、
パンパニトと3隻の潜水艦の計4隻が、九州と四国の間の豊後水道に堂々と侵入、
6月23日から27日までそこに留まっています。
もっとも待てど暮らせど連合艦隊はやってこず、成果なしで引き上げることになってますが。
ストーカーが相手の家の中に入って玄関で待ち構えてるようなもんですな、これ。
ちなみに、この侵入にさいして、パンパニトは深夜に浮上航行中、
敵潜水艦から雷撃を受けた、と報告してますが、
それ、多分、味方の米潜水艦からの誤射による雷撃だと思う(笑)。
二つ目は、悲劇的としか言いようのない1944年9月のパトロール任務。
9月12日深夜、パンパニトはシンガポールから日本を目指していた輸送船団を
SS215 グローラー、SS315 シーライオンII
と共同(アメリカ式ウルフパック)で
海南島の東、約400kmの海上で深夜に襲撃、かなりの戦果をあげます。
その時、輸送船勝鬨(かちどき)丸と楽洋丸を撃沈してしまうんですが、
これがなんと英軍とオーストラリア軍の捕虜を満載した船だったんですね。
その数、勝鬨丸に約900名、楽洋丸に約1300名。
この襲撃で日本海軍の輸送船団中では「潜水艦キラー」であるはずの
護衛駆逐艦「敷波」が真っ先にグローラーの雷撃で撃沈されてしまってます…。
続いてシーライオンIIが南海丸そして、問題の楽洋丸を撃沈。
この後さらに、残っていた海防艦の平戸をグローラーが撃沈。
米軍潜水艦、日本側の対潜艦をまったく脅威と感じてません…。
そのまま、執拗に船団の追跡を行って、やがてもうひとつの捕虜運搬船である勝鬨丸を
数時間後にパンパニトが撃沈、この段階で、潜水艦の集団は一度船団から離脱します。
でもって3日後の15日午後、たまたま楽洋丸の沈没地点付近を通りかかった
パンパニトは、漂流物にしがみついた「英語で助けてと叫ぶ」人間を発見、
何が起きたか、まったく理解できないまま救助を開始、
収容された捕虜から事情を聞き、初めて事態を理解します。
驚愕した艦長のサマーズは無線で周囲の潜水艦に救助の手助けを要請、
周辺海域を探しまわって73名の生存者を発見、最終的に全潜水艦で159人が救助された、と報告してます。
(アメリカ海軍の公式記録だと127名しかいないことになってるが、単なる記載もれっぽい)
回収された生存者は英豪の捕虜ばかりで、日本人はいないんですが、
これは連中が救命艇を使って自分たちだけ逃げたから!と報告されてます。
でもね、実は136人が日本側によって救助されており(吉備津丸による?)、
これは米軍も戦後認めているようです。
結局、生存者は計295名、楽洋丸にいた捕虜は1300名でしたから、生存率は22%です。
で、ここでちょっとした疑問が。
実は後から沈められた勝鬨丸の捕虜900名は656名が日本側に救助されており、
その生存率は実に73%にもなってるんですよ。
アメリカの潜水艦まで救助にまわった楽洋丸の生存率はあまりに低い。
どうも楽洋丸、いきなり沈没せず、12時間ぐらいは浮いてたらしいので
捕虜の皆さん、命がけの逃亡として、
船から退艦しなかった人もいたのでは?という疑惑が。
ついでに、楽洋丸の直後に撃沈された平戸が沈没時に大爆発を起こしており、
それに巻き込まれた人たちもかなりいたようです。
まあ、すべては推測ですが。
で、いきなり余談ですが、このとき沈んだ楽洋丸は
かつて南米に日系移民を運んだ船でして、あのフジモリ元ペルー大統領の
両親もこの船でペルーに渡ってたりします。
さらにもひとつ余談ですが、英豪軍の捕虜というのは、タイの収容所から
日本の鉱山現場作業用に連れて行かれる、という人たちでした。
実はこれ、映画「戦場にかける橋」で悪名高き泰緬鉄道、英語で言うとDeath
Railway
、
いわゆる「死の鉄道」の建設に関わった捕虜の生き残りが多く含まれてたんですね。
さらにしつこく余談ですが、「戦場にかける橋」と「猿の惑星」の原作者である
ピエール・ブールもその捕虜収容所にいたんですが、
今回の撃沈劇に巻き込まれてないようなので、すべての捕虜が日本に送られたわけではないみたい。
ここまで書いたならさらに書いちゃいますが(笑)、その名のとおり、彼はフランス人で、
ビシー政権にとっつかまって日本軍に引き渡される、という結構情けない経歴を持ちます。
「戦場にかける橋」が日本人にもイギリス人にもキビシイのは作者がフランス人だからです(笑)。
あの映画で、英軍捕虜はまあ、日本軍からも味方の英軍からも
えらい目にあわされるのですが、さらにトドメを米海軍からさされてたんですね。
もっとも、この点についてはアメリカ海軍は日本海軍の無茶な運送を非難してますし、
まったくもってその通りなんですが。
ついでに私は未見ですが、この沈没話も「戦場にかける橋2」という映画になってるらしいです。
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