LONDON 2006
SUMMER

あっさり到着。ロンドン塔。
これはテームズ川の反対側、いわば裏側。ここの堀は全て空堀ですが、
かつてはテームズの水を引き込んでいました。
そもそも、ここの正面入口(現在は閉鎖)はテームズ川から
船で直接乗り入れられるように造られています。
手前の十字型の窓が開いてるのが外部城壁。
その内側、真ん中に円柱塔があるのが内部城壁。
一番奥、中央から少し左手にやや高い塔が二つ見えてるのわかります?
これがザ ホワイトタワー。下の写真のマップで中央にある立派な建物です。
もともとロンドン塔内で大きな建物はこれだけ。
城の北や東から見て、この塔が隠れてしまうような大きな建物は
19世紀のヴィクトリア朝時代にパカスカ建てられたものです。
この塔が建てられた11世紀のものではありません。
さっそくチケットを購入。
15ポンド。3300円。またも鼻血ながして気絶しそうになるが、なんとかガマン。
ちなみにこのチケットを売ってるあたりがかつての刑場として有名なタワーヒル(実際は少し北)。
なんちゅー場所で商売してるねん。
開場と同時に入ったのですが、土曜日ということもあって結構すでに人いました。
ロンドン塔の案内図。
中央下、人の絵があるとこが入り口です(出口は右上にある正門横の橋)。
おおざっぱに言って、空堀が回りを囲み、その周辺を城壁が守り、
さらに内側にもう一つ城壁があり、その奥が中心部となります。
このロンドン塔、そもそもは1078年ごろに征服王ウィリアム I
世(現在の王室の元祖)により建てられた一種の城塞。
それがなんでロンドン塔(「ロンドンの塔」とした方がわかりやすい。London Tower ではなく Tower of
Londonだ)
という名になったか、というと中央の建物が当時としてはかなりの高層建築で、
ウィリアム I
世がこれを「オレ様のロンドン統治のシンボル」としてロンドン塔と名づけたから。
城砦なのに。アタマよくなかったのかも知れません。
が、彼の子孫のヘンリー三世が、1240年ごろ、白い壁に改築した上、ザ ホワイト タワーと改名してしまいます(笑)。
城砦なのに(笑)。血がそうさせたのか。しかし立場ないのう、王室の始祖…。
やがて「ロンドン塔(Tower
of London)」はこの城砦全体を呼ぶ名に変わった、ということらしいです。
フランスの一貴族、ノルマンディー公にすぎなかったウィリアム I
世がイングランドを制圧し、
現代に至るまでイギリスはフランス人の子孫の血筋を王家とするのですが、
1078年というとヘースティングスの戦いからまだ12年、国内を完全に掌握してから日は浅い。
その時期に、ロンドン防御用として建てられたようです。
余談ですが、始祖ウィリアム、相当不安だったらしく、この時期、イングランドのアチコチで砦をつくってました。
なかでも、ここが一番立派だったわけですが、特別にロンドンの防衛のみに
専念していたわけではありません。
さらに余談。ウィリアムそのものはフランス人ですが、
その奥さんはイングランド王室の血を引いてますので(怪しい部分もあるが)、
半分フランス人の王室、ともいえます。
ついでに、フランス王の臣下である彼がイングランド王になってしまったことが、
この後の両国間の問題を複雑化させます。
もっとも、当時のイングランドなんざ田舎の島国の一王国にすぎない存在で、
後のグレートブリテンとは全く別物ですが。
さて、よく知られているのが、15世紀ごろから17世紀ごろにかけての、
高貴な身分の人の幽閉場所、そして処刑場としてのロンドン塔。
さらに日本では夏目漱石のロンドン塔で幽玄なイメージの建物として
紹介されてたりするんで、「猟奇の館」「惨劇の城」というイメージがどうしてもつきまといます。
でもね。
はい、この写真。
ロンドン塔、いくつかの場所にはこういう日本語解説があります。
これは今回、説明しておきたい事を簡潔にまとめてくれているので、
そのまま掲載。そういうことなんですよ(笑)。
ここ、イーストエンドの結構いい場所にあり、かつ19世紀にイギリスで起きた
レクリエーションブームに飲み込まれた、という過去があります。
日本で言えば浅草のど真ん中にあるような感じでしょう。
その結果、1800年代にはすでにロンドンではちょっとは知られた遊び場で、
観光地と言うか、ナウなヤングの遊園地みたいなもの、と考えるべき場所でした。
この建物、世界遺産ではあるんですが、大部分が19世紀のヴィクトリア期に
手を加えられたもの、あるいはその頃に建てられたもの、だったりします。
当時の連中が考える「大昔のイギリス風」に改造されてしまってるんですね(笑)。
19世紀以降のロンドン塔は、戦時中を除き、ほぼ純粋な観光スポットに成り果てます。
ちなみに漱石の「倫敦塔」には、ロンドン滞在中、彼は一度しかそこに行ってないと書いてます。
その文章を信じて、漱石の日誌で追いかけると、彼がロンドン塔に行ったのはロンドンに到着した直後、
まだろくに地理感もないお上りさん状態の時で、
おそらく、漱石はここがどういう場所か理解しないまま訪れてます。
彼が行った時はすでに「ロンドンの浅草花やしき」的なレクリエーションスポットで、
あんな幽玄な雰囲気は望むべくもなかったはずです。
まあ「小説」なので文句を言う方が間違ってるのでしょが、
私は20年間、だまされてました。ちきしょう、やりやがったな(笑)。

このゲートから入る。ここでロンドンに来て初めてに荷物検査がありました。
よりによって、この荷物の多い日に…。
あらゆる博物館で荷物検査をやられたアメリカに比べれば、イギリス、のんきなものですが、
自衛隊の火力演習でもなんのチェックもない日本と比べると、厳しいかも。
まあ、ロンドン塔では1974年にIRA爆弾テロがあったそうなので、しかたないのか。
ちなみに昨日訪れたコヴェント ガーデンもかつてIRAの爆弾テロがあった場所。
なんだか無意識のうちに、そういう場所ばかり回ってるのかね、自分…。
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