LONDON 2006 SUMMER



エア スピード オックスフォード1。
全く知りません、この機体(笑)。
双発エンジン機パイロット向け練習機だったようですが、多目的練習機として、
爆撃機などの銃座ガンナー養成にも使われたとか。
さらには連絡機やらレーダー調整用のターゲットまでいろいろこなしてます。
うーん、つかみ所の無い機体(笑)…。



これもおなじみ、ノースアメリカン TB-25J ミッチェル。
TBってなんだ、というと戦後、練習機にされた機体。
つまりB25Jの練習型なのだが、具体的にどこを改造したのかは不明(笑)。

この機体は「普通のJ」だが、、機首の風防を金属パネルで埋めてしまい、
そこに12.7mm機関銃を横2×4段で8門搭載、コクピット脇の4門とは別!なので、
なんと機首周りに計12門、上部ターレットを前に向ければ計14門を集注でき、
後部サイド、尾部銃座とあわせると機体全体では計18門もの12.7mm機関銃を搭載した
「おまえはアホか!」というタイプのJ型も800機ほど存在しました。
これ、さすがに前部機関銃を一斉に撃ったら、空中で急ブレーキかけたような状態になったのでは…?

この機体、まあ傑作機と言っていいんですが、最も優れていたのは、
実は前輪式を採用した脚周りだったかもしれません。
ただでさえコントロールの難しい地上の飛行機、尾輪式の場合、キャタピラ車のように、
左右の車輪のどちらかにブレーキをかけ、反対の車輪だけを前進させて曲がるのですが、
大型機だと、コントロールはきわめて難しく、一度ルートを外れると戻すのは一苦労でした。
その点、前輪式の機体なら、前輪を左右に振ることでハンドル代わりになります。楽です。
また、コクピットは空を見てるだけ、な尾輪式に比べ、前輪式はご覧のように
トラックにでも乗ってるかのような状態になり、きわめて視界が良好です。
これは、水溜りで水しぶきがあがったり、砂埃で滑走路の先が見えなかったり、
という劣悪な環境では大きな意味を持ちます。
完全に整備された滑走路の使えるイギリスを基地とする西ヨーロッパ戦線以外、
主に北アフリカから地中海、太平洋戦線でB24やB25が積極的に使われたのは、
こうした理由も大きいと思われます。

ちなみに、B25は上記のような地上での扱い易さに加え、飛行性能も安定していたため、
戦後、大量に練習機に転換運用され、スクラップ処理を逃れた機体が少なくない。
現在、どこの航空博物館、エアショーでも見れる機体となっているのはそのためらしいです。



ナチスドイツの国民戦闘機ことHe162 フォルクス イェーガー。
日本だとザラマンダー(ザだよ)と紹介されることが多いが、
ドイツ空軍省による正式名称はフォルクス イェガーだったように見える。
ザラマンダーは本機の製造計画に対するコードネーム、
さらにたまに見かけるシュパッツ(スズメ…えらく自虐的ネーミング)はハインケル社のつけたニックネーム。
ここら辺、多少情報が錯綜しているのだが、ザラマンダーが正式名称でないのは間違いないようだ。

ちなみにフォルクスワーゲンは「国民」の「車」。
イェガーは「戦闘機」。ゆえに国民戦闘機。

だが、しかし。

Volk(フォルク)には「庶民」さらには旧東独では「人民」の意味があったので、
「庶民派戦闘機162さん」とか「人民戦闘機一六二号アルヨ」でも間違いではない。
実際、英語ではPeople's Fighterなので「みんなの戦闘機」と言えなくもない。
さらにイェガーには狩人という意味もあるので、
「国民的8時ちょうどのあずさ2号」と訳しても間違いではありま(殴)。

大戦末期にパーっと設計できて、ガーっと量産できて、
ドカーンと連合軍を倒せるジェット戦闘機として計画、製造された(笑)。
なんせほとんどが工場で製造中に敗戦を迎えた、といわれるだけに、
戦局に影響はなく、またパイロットによっても大きく評価が異なる機体。
おそらく完成機は250機前後だが、むしろ工場で押さえられた無傷の機体が、
大量に戦後連合軍側に持ち帰られ、その生産機数からすると意外なほど
さまざまなの博物館で見れる機種となったわけです。
ここら辺、スミソニアンにある日本の晴嵐と似たようなものがあります。
世の中、何が幸いするかわからんのう。



コクッピット周り。
照準は外されてますが、それにしても殺風景な…。
前面風防まで水滴型の丸いものですから、当然前面防弾ガラスなどない。
つーか、外の風景、歪むは反射で見えんは、えらいことになってたような…。
大丈夫だったんかいな、これ。
しかしどこにある機体も判で押したようにこの
「グリーンの機体に赤矢印塗装」なのはどういうわけだ(笑)。


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