LONDON 2006 SUMMER



かなり奥まった位置にある上、会場内の案内板には出てない(ガイドブックにはある)施設。
ダックスフォード基地の作戦室。ダックスフォード、結構お客は入ってたのに、ここには誰もいなかった。



薄暗い部屋に入ると、突然、当時の無線交信が流され、ちょっとビビる(笑)。
ああ、映画なんかでよく見るあれだ。日本には無かったものだ(涙)。



では、アメリカンに戻りましょう。
その入り口にはずらりとガラスのオブジェが。
これ、イギリスから出撃して喪失となった全ての米軍機のシルエットが彫りこまれてます。
その数、実に約7000機。7000機ですよ。
その大半がB17ですから、約12000機の生産機のうち、半分は落とされてることになります。
恐るべし。決して連合軍の戦略爆撃は一方的優位の元に行われてたわけじゃないんですね。
1機あたり10人乗ってるB17ですから、その人的損失も想像を絶します。
損失機には基地に帰還後、廃棄となったものもあるでしょうが、
それにしてもケタ違いの数字。
連中が太平洋戦争を田舎の紛争ぐらいに思ってるのも無理はないですね。

イギリスとアメリカの関係を元植民地とか同じ英語圏の国とか考えるのは間違いです。
連中は二度の大戦を通じ、血を流して共に戦った戦友で、
その絆は血を分けた兄弟以上でしょう。この意識は未だ消えてません。

「アメリカ軍が来た時はうれしかった。帰ったときは、もっとうれしかった」
などといけしゃあしゃあと言うイギリスですが、
その狡猾さを持ってしてもアメリカの影響下に入ることは免れませんでした。
アメリカは、ここまで自らの血を流して、ヨーロッパで戦う必要はなかったでしょう。
もっと間接的支援でも、ドイツの進撃を食い止めることは可能だったはずですし、
その程度でもアメリカの利害は守れたはずです。

でも、彼らはイギリス軍に匹敵するかそれ以上の流血を何の見返りもなしで行います。
結局、戦後はアメリカが世界の鍵を握るわけで、
イギリスお得意の陰謀と策略、外交(下手だと思うが)も役に立ちませんでした。
政治でも、外交でも、誠実さと無欲ってのは、最終的に意外なまでの強い力を持つようです。
そういう意味で、イギリスがあの時期にチャーチルをその長としたのはきわめて不幸でした。


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