■特に歴史ある機体アル



さて、お次は朝に入り口から入って最初に見えた中央の吹き抜けホール、
夕撃旅団コードネーム、「挑戦野郎の間」に行って見ましょう。

とにかくここで上からぶら下げられてるのは、貴重な機体ばかり、
というのはこのX-15のケツの写真からも想像できるかと(笑)。



まずは一番の有名どころ、1947年10月、高度13000mで時速1127qを出し、
世界で初めて音速を突破した航空機、ベル社のX-1A。
もちろん、ホンモノの実機です。

成功した当時は最高機密としてその事実は伏せられていたのですが、
後に公表され、パイロットの“チャック”イェーガー(Charles E. "Chuck" Yeager)
は伝説上の人物になります。
ちなみにこの機体にはグラマラス グレニスという愛称があるのですが、
グレニスはイェーガーの奥さんの名前。
日本語にするなら、イカした花子、といった感じでしょうか。

余談ながら奥さんの名前を機体につけちゃったイェーガーもスゴイですが、
広島に原爆を投下したB-29の愛称、エノラ ゲイは
この機体の機長のお母さん、エノラから取られてますから、
これまた日本人から見ると変な名前です。

さらに余談ですが今ではオカマの男性を指すゲイ、Gayですが、
本来はムチャクチャに陽気、テンションが高いといった意味で、
この場合のエノラ ゲイはエノラはオカマ、ではなく、
はエノラは陽気、といった意味になります。

さて、話をX-1に戻しましょう。
この機体、成功したから誰も何も言ってませんが(笑)
まだまだ超音速に伴う衝撃波の問題、特に造波抵抗の問題が
解明されていない時期に
いきなり人を乗せて音速を突破してしまったのだから、
ある意味ムチャクチャです。
直線飛行だからよかったようなものの、余計な事を考えてたら、
間違いなく事故につながっていたでしょう。

この機体は空気取り入れ口が一切無い事からわかるように、
ロケットエンジンが動力となっていますが、
これはプロペラでは不可能、ジェットでもまだパワー不足、
という事で選ばれた動力でした。

が、結果的にはこれによってジェット機が超音速飛行時に抱える
空気取り入れ口周辺の衝撃波問題を避けて通れてしまった事になり、
全くの偶然ながら、理想的な動力を選んでいた事になります。

それでも、開発にはさまざまな困難があったわけですが、
個人的にはその困難の4割くらいは、
当時、軍から干されて仕事がなかったベル社に
開発を発注してしまった事が原因のような気が(笑)。
基本的に、政治的な動きの強い会社で、
技術力で食ってる連中では無かったですから…。

ちなみに、後にアメリカ軍が実験機に使うXナンバーは
当然、この機体が元祖で、いわゆるX planes の歴史は
ここから始まったのでした。



お次は2004年6月に世界で初めて民間機として
宇宙空間を飛行したスペースシップ ワン。

前回来た時は無かった機体です。
機体の横に民間機の登録ナンバーN328KFの一部が見えてますね。
ついでに、実際の飛行時には、このナンバーの横に
スポンサーのヴァージンのロゴが入ってたんですが、
消されてしまっています。

ただし、宇宙飛行といっても地球を周回したわけでも、
弾道飛行をしたわけでもなく、
ひたすら真っ直ぐ上昇して大気圏外と認められる
高度100qまで到達した後、そのまま落下して来ただけでした。
このため、機内では落下に入るまで無重量にならなかったはずです。
それでも、民間の力でそこまでやってしまったのは大したものですが。

アメリカにはX懸賞財団という、斬新な技術の開発に懸賞をかける、
というちょっとかわった財団があり、ここが1995年に、
アンサリX懸賞(Ansari X Prize)というのを設けました。

これは宇宙飛行を成功させた民間団体に
1千万ドル(約10億円)の懸賞金を支払う、というアメリカらしい懸賞で、
これの獲得を狙って開発された機体がこのスペースシップワンでした。
正確には最低でも3名の乗員、あるいは同じ重量を乗せて、
高度100qを突破し、さらに2週間以内に同一の機体で
もう一度高度100qを突破する、というルールでした。

その賞金獲得を狙って造られたスペースシップ ワンは、
2003年の12月、これもライト兄弟の初飛行100周年にあわせて行なった、
最初の動力飛行でいきなり音速を突破に成功します。
その後、高度32000m 、64000mと徐々に高度を上げて行き、
2004年6月に宇宙空間と認定される高度100qを超えました。
そのあと2回、同じような宇宙飛行を成功させ、
見事にアンサリX懸賞を勝ち取ったのでした。
(最大到達高度112q)

ついでながら、この宇宙飛行、パイロットにカメラを持たせ、
最大高度に達した瞬間、写真を撮らせたのですが、
どういうわけか、それらは発表されてません。
(機体に据え付けてあったカメラの動画は発表されてる)

なんだかヤバイものが写ってたのか、
パイロットがカメラのシロウトで、全部失敗しちゃったのか。

ちなみに動画を見ると大気がほとんど消えて翼の制御が利かなくなると、
かなりの勢いで進行方向を軸に機体がグルグル回転し始めてます。
宇宙船としては設計、失敗してるんじゃないか、という気も…。



どの角度から見ても、なんとも不思議な形状の機体です。

これは博物館の入り口の上にあった風変わりなデザインの飛行機、
無着陸無給油で初めて世界一周を行なった、あのボイジャー号と同じ、
バート ルタン(Burt Rutan)が中心となって設計されたものです。

後で、ウドヴァー・ハジーセンターにても彼の設計した機体が登場しますが、
ルタンの設計した機体は尾翼の形状が
通常の航空機とは大きく異なる、という特徴があります。

ボイジャーや、このスペースシップワンだと
胴体左右にブーム(筒状構造)があり、
その先に2枚の垂直尾翼というデザインが共通です。

なので、このユニークなスタイルも、宇宙飛行用だから、
というよりはルタンの個性だ、と考えるべきなのかもしれません。
とにかく軽量で頑丈、そして燃費がいい、というのが彼の設計した
機体の共通の特徴らしいので、
そういった特性の確保に向いたスタイルなのでしょう。

ただし、左右幅がやけに狭いのは、
下降時に最大マッハ5近くまで加速されると思われる機体速度の結果、
そこで発生する衝撃波の傘の背後に主翼を納め、
十分な揚力と舵の効きを確保するためのはず。

この機体の特徴は、母機にぶら下げられたまま一定高度まで上昇、
そこから切り離されてロケットモーターで加速、上昇後する、という設計です。
その後は、グライダーのように滑空しながら地上に帰還します。

そして最初の写真を見るとよくわかると思いますが、
機体の後半は折り曲げられて上に跳ね上がるようになっており、
降下が開始されるとこれがエアブレーキとして展開、
大きな空気抵抗を発生させて速度の上昇を防ぎ、
衝撃波の発生を最低限に抑えて機体温度の上昇を防ぎます。
(大気圏突入の熱は摩擦熱ではなく、衝撃波の背後熱が主)

それでも一定の衝撃波背後熱は発生するため、
よく見ると機首部と主翼前縁には熱対策のものと思われる
他の部分とは異なる材質が貼り付けてあるのがわかります。

ちなみに当初はモハヴェ エアロスペース ヴェンチャー社が開発、
飛行させたのですが、宇宙飛行成功後の2004年9月に
イギリスのヴァージングループが多額の出資を行い、
ヴァージン ギャラクティック(Virgin Galactic)社が設立されています。
スペースシップ ワンの開発でも途中からスポンサーになっており、
その流れで民間宇宙飛行の会社を造る、という事になったようです。
そもそもこの機体開発は1000万ドルの賞金でも
大赤字だったと言われてますから、
ヴァージンの資金援助がなければ成功してなかったかもしれません。

その後、2013年現在は後継機で本格的な旅客運用を視野に入れた
スペースシップ ツーが開発中となっています。

…しかし、この機体の名前、もうちょっとヒネリがあっても
バチは当たらないと思うんですが。
会社名の未開の銀河(ヴァージンのダジャレになってる)社
に比べるとあまりに地味な感じ。

ちなみに開発と飛行テストを行なったカリフォルニアのモハヴェ空港は、
世界で初めて、民間の宇宙空港として認証されたそうで、
正式名称はモハヴェ航空宇宙港(Mojave Air and Space Port)なんだとか。
いまでもここでスペース シップ ツーの開発は続行されてるようです。
カッコいいなあ。


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