■第二次大戦鳥の営巣地



ジャン!

…って、あれ、開館直後にダッシュで来たのに(笑)、先客があり!
やつらはどんな足をしてるんだ、よほど大戦機好きの化け物か!
と思ったんですが、単に一番端の部屋から順番に見よう、
と考えた家族連れだったようで、すぐに出て行ってしまいます。

そして!なんと!かてて加えて!
この後、10分近くに渡り、この部屋でお客は私ただ一人という状態の中、
写真撮り放題、という夢のような環境が実現!

ああ、思い起こせば、ここまでロクな事がなかったこの旅行。
実は日本に帰ったら湯島天神でアメリカ相手に
牛の刻参りをやってやろうと密かに決意、
よって今回のオミヤゲはワラ人形に貼り付ける
アンクルサムポスターに決定だ!とか思っていた矢先に訪れた、
満塁逆転ハットトリックブレーンバスターざます!
ビヴァ アメリカ!愛してますよ、もちろん!

ちなみに、写真に見えるようにこの部屋の奥には巨大なB-17の
壁画が描かれているのですが、2013年現在、スミソニアンは
展示できる状態のB-17は1機も持ってません(笑)。
実はB-25といったアメリカ中でよく見る機体すらも持っておらず、
基本的には戦闘機が中心のコレクションとなっています。

収集担当者の趣味なのか、場所が無いから、という事で
当初は収集の対象から外していたのか…。



ちなみにここは壁側の上部に回廊があるんですが、そちらから見てもこの状態。
もうオレに写真を撮ってくれと言わんばかりではないか、という感じです。

盛り上がって参りました!
たぶん私だけが!



さて、一度落ち着いてから入り口付近に戻り、順番に展示を見て行きましょう。
まずは入って直ぐにあるプラット&ホイットニー社のR2800エンジン。

第二次大戦機のアメリカを代表する2000馬力級エンジンですね。
最終的にP-47Nに積まれたタイプはその名と同じ2800馬力出していた、
という事ですから、まさに化け物エンジンとなってます。

ちなみにR-2800は通常の自動車エンジンなどと異なり、空冷式のエンジンで、
ラジエターによる冷却機構を持っていないタイプのエンジンです。
このため、シリンダー部分を個別に風に当てて冷やす必要があります。
よって水冷エンジンのような四角いシリンダーブロックがなく、
1本1本独立したシリンダーに冷却効果を上げるフィンを取り付け、
グルリと円形に配置しているわけです。

ついでに、あまり知られてませんが、このエンジン、
戦後もそれなりの規模で生産が続いていて、
最終的には1960年まで生産ラインは動いていたようです。
これは、同じく戦後も造られていたイギリスのマーリンよりも
さらに後まで造られていた事になると思われます。

よって1939年から1960年まで21年間も生産が続いた結果、
約125,000基が生産された、という事で、
マーリンエンジン(約149500基)ほどではないにしても、
相当な数ではありますね。

ちなみに展示のものは1950年製のCB-16型。
解説板によると、戦時製造型とほぼ同じ構造だそうな。



その横には、主翼付け根より前の部分のみが切り取られた
マーチンB-26Bマローダーが。
ちなみに、残りの部分は破棄されたわけではなく、
ウドヴァー・ハジーの方に保管されてるそうです。

展示のこの機体は当時のオリジナル塗装を維持してる上、
ヨーロッパ戦線で207回の作戦出撃を記録してる貴重なもので、
この出撃回数はアメリカ軍の単独の機体としては、最高記録なのだとか。

B-26は真珠湾攻撃の約1年前、
1940年11月に初飛行したアメリカの双発爆撃機で、
アメリカ軍にいくつか存在する「未亡人製造機(Widowmaker)」
の名を送られた機体の一つです。

これは事故率が高く、その結果ダンナが死んでしまって、
奥さんは未亡人になる、という意味の呼称となります。
よって搭乗員の死傷率が高い機体につけられる
極めて不名誉な称号なのですが(当然、非公式なもの)、
B-26の場合、初期型だけが凶悪で、
以後はかなり事故は減ったみたいですね。

ちなみにアメリカ空軍博物館
(レストア中だったため旅行記では紹介してない)、
フランス航空博物館でこの機体は見ており、
ありゃ、またB-26だな、くらいに思ってたのですが、
調べて見ると意外に現存機は少なく、世界中でまともな状態にあるのは
私が見てきた3機を除くと、アメリカにあと1機あるだけらしいです。

後は怪しげな(笑)レストア機がいくつかあるようですが、
この少なさは、ちょっと意外な感じ。
B-25なんかだと、それこそアメリカ中どこにでもある、という印象ですから。

そういえばアメリカの爆撃機はB-29とか、
妙な機体が現存機少なかったりするんですよね。



その横に展示されてるノルデン式爆撃照準器。

アメリカ軍標準装備の水平爆撃用照準器ですが、
目で見て狙いをつけて爆弾を投下、という単純なものではなく、
一種の爆撃管制コンピュータのような仕様になってました。

旅行記であんまりゴチャゴチャ書くのもなんなので(笑)、
簡単に説明してしまうと、装置は大きく二つの部分に分かれます。
上が照準部(Sight head)、下が安定装置(Stabilizer)で、
上の照準部はその名の通り、普通に爆撃の照準を行なう装置です。
が、その下の安定装置は、この爆撃照準器を安定させるのではなく、
機体ごと動かして水平位置を安定させる、という豪快な意味で(笑)
これは機体の自動操縦装置となっています。

上の照準器の左側の大きな覗き窓はジャイロ装置のもので、
まず、ここで水平状態、進行方向を読みとります。
次にその右にある黒いドーナツ状の接眼部を覗くと、
地上の風景と内部にある目盛りから高度、飛行速度が
計算できるようになっているので、それを読み取り、先のデータと合わせて、
装置の右側にあるさまざまなツマミやらダイヤルで入力します。

すると、爆撃に必要な速度、爆弾投下位置の計算を
この機械が行なって、後はそのデータを
下にある安定装置が受け取り、自動操縦に切り替わるのです。

ちなみに爆弾の落下軌道は、戦艦の主砲の弾道のちょうど半分、
放物線の凸型軌道の頂点部からスタート、という形になります。
投下された爆弾には機体の速度が生きてるので、
地上から見ると、決して真っ直ぐ落下するわけではないのです。
なので放物線に対する微積分の計算が必須で、この装置も
アナログコンピュータが搭載されてます。
おそらく下の安定装置にみえてるディスクを回して
計算してたんじゃないかと思うんですが、詳細は不明。

ちなみに自動操縦といっても完全に機械任せは無理で、
進行方向と速度の調整だけを機械にまかせ、
機体を水平を保つのにはパイロットが微調整していたようです。

そんな感じで極めて精密な装置であり、
なんだかんだで開発に20年以上かかった事もあり、
大戦を通じて最高機密の一つとなっていました。
当時の報道写真などを見ても、爆撃機の機首部にあるこの装置には
黒いカバーをかけ、見えなくしてあります。

そんな装置なのでドゥーリトル指揮による空母ホーネットからの
東京爆撃の時には、撃墜された機体から回収されては大変、
という事で、全機からこれが外されています。
もっともこの時は、重量軽減を目的に防御用の機銃すら
機体から降ろしたほどですから、そういった目的もあったと思いますが。

で、ノルデン式爆撃照準器は元々、
海軍が航行中の敵艦を水平爆撃で沈めちゃえ、と考えて開発したものでした。
よって上空から見ると極めて小さな点でしかない艦船、
しかも航行中の艦船に爆弾を命中させよう、という装置で、
このため極めて正確な投下が行なえるようになっています。

が、さすがに航行中の艦船に対し、
水平爆撃で命中弾を与えるのは無理がありました。
実際、万全状態で戦闘行動中の艦船に対する水平爆撃で、
命中、損傷を与えたのは、日本がマレー沖でレパルスに当てたくらいでしょう。
(ただしドイツの誘導爆弾、フリッツXは別)

よってこの後、空母を手に入れたアメリカ海軍は、
急速に水平爆撃に興味を失い、
急降下爆撃と雷撃に生きてゆく事になります。
地上基地しか攻撃手段がないなら航続距離の長い大型機による
水平爆撃しか手段がありませんが、
空母があって小型機で敵艦隊を襲えるなら、
水平爆撃にこだわる意味がないのです。

が、捨てる神あれば拾う神ありで、
爆撃で敵の主要な航空基地や工業施設を潰すぜ、
というドゥーエ式の戦略に取り付かれていた陸軍航空部隊が
この装置に目を付け、爆撃機の標準装備として採用したのでした。

ちなみに、朝鮮戦争時代もまだ現役だったのですが、
さらに1967年、ベトナム戦争に海軍のP2-Vがこれを装備して
爆撃に出撃した、という記録があるそうで、
これも微妙に息の長い装備だったりします…。


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