■回転翼の誘惑



さてボーイング航空機ハンガーの端っこにヘリコプターコーナーがあります。
次はこれを片付けちゃいましょう。

ただし見る人が見れば、おお、これはあの伝説の!
といった機体なのかもしれませんが、
私のヘリコプターに関する知識は極めて限られるので、
ここでは気になった機体のみを取り上げて、後はパスさせてください。

ついでに先に見たドイツのビックリドッキリメカ、個人用携帯ヘリのアメリカ版が、
この横の天井からぶら下げ展示になっていたのですが、
すっかり見忘れていた事に帰国後、気づいて涙しております…。



一番手前の機体は、ベル社が大戦中に開発、
1943年夏ごろに初飛行させたとされるベル モデル30 シップ1A。
大戦中に開発された機体ですが、最初から民間用とされており、
これによっておそらく世界初の民間用ヘリコプターともなってます。

ただし、ここら辺りをベル社の先見の明、と見れるかは微妙で(笑)、
当時P-39、P-63のコブラシリーズ、そしてジェットのP-59と
アメリカ陸軍から君にはガッカリした、と言われるような機体を連発していた
ベル社としては、民間用の機体しか生き残りの道は残ってなかった、
という面が大きいと思われます。

もっともP-63は意外に高性能ですし、P-39は私大好きな機体なんですが(笑)、
まあ、顧客の評価が低いとどうしようもないわけで。
ちなみに後で見るように、戦後最初のトンプソン トロフィー レースで優勝したのは、
実はP-39のQでして、やはり低空では(レースは地上15m前後で飛行)
かなりの高性能だった気がします。



さて、お次は一部で大人気の(笑)ヒラー モデル1031-A-1、
いわゆるフライング プラットフォームの登場です。
下の輪っかの中にファンがあってこれで浮き上がり、
上の枠組みの中に立って操縦する、という未来感あふれる乗り物です。

1957年に試作された歩兵用の飛行装置で、
陸軍となぜか海軍からの依頼で開発されたものでした。
地形に関係ない進軍、地雷原、川などの突破を期待していたようですが、
1950年代後半の開発とすると核攻撃で廃墟となった地帯の高速突破、
みたいな事も考えてたような気がしますね。

このモデル1031-A-1はフライング プラットフォームとして2番目の試作機であり、
初めて飛行に成功したものだとか。
最大で高度10mくらいまで上昇できましたが、
ファンの排気が地面に跳ね返ってクッションとなる
(一種の地面効果となっている)
1m前後の高度での飛行が基本となっていました。

ちなみに操縦は極めて簡単で、上に乗ったらアクセルで高度の調整をするだけ、
後は行きたい方向に機体を傾ければ、そっちに向って移動します。
安全装置が入ってるため、一定以上の角度には傾かないようにもなっており、
1950年代のアメリカン ビックリドッキリメカの中では、
意外によくできてる装置だったりするんですよね(笑)。

最終的には、より大きな出力を持たせようとしていたらしいのですが、
そうなると機体が重くなりすぎて傾けての操縦が無理と見なされ、
さらに技術的な問題も出てきたようで、
実用には適さず、という事になり開発中止に至ったみたいです。

ここら辺り、さすがに千人単位で運用される歩兵1人に1機は
予算的にも補給面からも無理ですから、
ジープのような数人乗りの機体を
考えていたんじゃないかと思われますが、詳細は不明。




こちらはオートジャイロ カンパニー オブ アメリカのAC-35。
オートジャイロは既に試作機XO-60のとこで説明したように、
飛行機の主翼の代わりに回転翼を搭載したもの。
これによって短距離離着陸が可能になります。

この機体は戦前の1936年にアメリカ商務省が募集した、
“空のフォードT型を開発しようコンペ”に応募された民間用オートジャイロでした。
フォードT型は、当時アメリカでもっとも普及した安価な自動車ですから、
航空機でもそういったモデルを作ろうぜ、という話…と思ったら大間違いで(笑)、
ホントに空飛ぶ自動車を作っちゃおう、というコンペなのです、これ。
大恐慌の傷跡いえぬ1936年に勇気あるというか、無謀というか…。

どうも当時まだ道路が未整備で、都市郊外の住宅街の発達にともない、
航空機が交通手段としていいんじゃないか、と考えたらしいのです。
広大だぜ、アメリカ…。
ただし、このキャンペーンで産み出され量産された機体を私は全く知らないので、
よくある政府主導で余計なことやりました、的な話っぽいですね…。

なので、この機体、ご覧のようにローターを後ろに畳んで、
後輪駆動で道路を走ることができ、時速40qは出せたとか。
いやでも、こんなのが街中走ってたら子供は泣くは犬は吼えるは大変だぜ、
という感じだと思うんですが…。

結局、性能的には問題ない、と判断されたようですが、
その価格12500ドルというのが問題になりました。
ざっと125万円、今なら自家用車価格ですが、当時のサラリーマンの平均収入だと
実に年収の数倍もの数字でありました。
(1940年のアメリカ人平均年収が1750ドル前後)
これでは、やや高給取りの人なら月収4ヶ月分、
すなわち年収の1/3で買えた、とされるフォードT型とは比べ物になりません。
結局、この価格がネックになって量産には至らないで終わったそうな。

ただしこれまた、されど飛行自動車のアイデアは死なず、でして
アメリカではこれ以降も、何度か同じような考え方の機体が登場し、
この記事でも後でまた見る事になります(笑)。




お次は、こちらも回転翼機ですが再びNASAの実験機、ベル XV-15です。

ティルト ローター、向きを変える事ができる偏向ローターを使った
垂直離着陸機研究のための実験機ですね。
最初はこのようにローター(プロペラ)を上に向けて離陸、
空中でこれを横向きにして水平飛行に入るものです。
着陸時はその逆の流れで着陸します。
空中での推進に全推力が使えるため(飛行時の揚力は主翼が担当)、
ヘリコプターのように狭い場所で運用可能ながら、
通常の航空機に近い速度が期待できる、となるわけです。

ちなみに、この機体は1977年から2003年まで、
16年近くも現役だった珍しい実験機でもあります。

まあ、そんな説明をしなくても見るだけでわかると思いますが、
現在のV-22オスプレイのご先祖様でもあります。
実際、このXV-15のテスト期間がここまで長引いたのは、
極めて特殊な機体となるV-22のためのテストを担当していたからです。

ちなみに、イギリスのハリアー戦闘機なども含め、
この手の推力方向が変わる機体は操縦が困難とされており、
XV-15も慣れないテストパイロットが墜落事故を起こしてます。
よって二機製作されてますが、現存してるのは展示のこの機体のみです。

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