■突入編

さて、今回からいよいよウドヴァー・ハジー突入編です。



ここはご覧のような密度て飛行機が並んでおり、
その数は軽く100を超えます。
これにミサイル、人工衛星、さらには航空エンジン、航空機銃などを加えると、
膨大な展示量になる、というのは想像がつくかと(笑)。

とりあえず今回の記事では、一部のグライダー、ヘリコプターなどを
端折っちゃうかもしれませんが、
基本的には展示機体全てを紹介する方針で行きます。
(ただし帰国後の確認で4機の撮影し忘れが判明…。全て民間用小型機)


その代わり、それ以外の展示は、これは紹介しておいた方がいいなあ、
というのだけを取捨選択する事になりそうです。
そうでないと、この連載が1年経っても終わらない、という事態になりかねず(涙)、
この点はご了承ください。
いずれ別の記事で紹介することもあるかと思いますので。

ついでに、今回は展示順路に従っての紹介ではなく、
軍用機、民間機、そして宇宙用といった区別、
さらに時代ごとの区別でまとめて紹介して行きます。

ではさっそく行ってみましょうか。
まずは今回の訪問の最大の目的の一つ、
第二次大戦期の軍用機、そのアメリカ編から。

最初は天井からぶら下げ展示になってる機体を見て行きます。
ただし、これまたいずれ航空機愛好機関のページで
詳しく解説すると思うので、最小限の紹介にとどめます。
…途中で暴走しない限り(笑)。

でもって前回の施設紹介で書き忘れましたが、ウドヴァー・ハジーには機体の設計図、
マニュアルの資料管理部門があり、
有料でこれらの資料の複製を販売してくれます。
興味のある人は、スミソニアン航空宇宙館(National air and space museum)の
ホームページに詳しい説明があるので、見てみてください。



まずは入り口前に居る、海軍機のヴォート F4Uコルセア。
これは前期型の-1、それの戦闘爆撃型のD、すなわちF4U-1D。
個人的には、結構好きな機体です。

ちなみに最強のドイツ空軍相手に戦ったカッコイイ陸軍の戦闘機たち!
すなわちP-51やP-47は未だにアメリカでも人気が高いのですが、それに対して
ウワサじゃどっかの島国相手に隅っこの方で戦争してたらしいよ、へーよく知らんわ、
という程度の認識しかない海軍機はイマイチ人気がありませぬ(涙)。
よってコンディションのいい現存機にもあまり恵まれません。
スミソニアンも陸軍機のように終戦直後から
その収集に動いた形跡が無かったりします。

なので、この展示のF4U-1Dも、
複数の機体のパーツを寄せ集めて組み上げた復元機のようです。
戦争直後に実機を集めてそのまま保存してる、というケースが多い
スミソニアンのコレクションの中では珍しいケースですが、
ここら辺りも海軍機の人気の低さが原因なのかもしれません…。

海軍もある程度、ドイツ空軍相手に戦ってれば、話は違ったんでしょうが…。
航続距離長いんだから、個人的には無いよりまし、という事で
F4Fワイルドキャットをドイツ爆撃機の護衛につけてもよかった気がしますが、
キ●ガイ将軍アーノルドが、海軍の力を借りるわけないですね。

よってこの機体、空母エセックス搭載の海兵隊31飛行隊(Air group)
の塗装がされてるらしいですが、当然、実機の所属先ではありませぬ。



F4Uコルセアは航空宇宙本館で見た
F4Fワイルドキャット(&イースタン製の同型機FMワイルドキャット)
に代わる新型艦載戦闘機(空母から運用される機体)として開発されたものでした。
このため2000馬力級のR-2800エンジンを搭載、大幅な性能アップを果たしてます。
(ただし厳密にはF4FではなくF2Aの後継機だったが、この点は次のF6Fで説明)

ヴォートは海軍主力戦闘機の座をグラマン社の機体と争って勝利した結果、
太平洋戦争開戦後、間もなくから、この機体の量産をスタートさせています。
ただし、それは予想外のトラブルの下でのデビューとなりました。
(ちなみにヴォートは会社名ではなく、ブランド名。
トヨタとレクサスみたいなもので、会社としてはユナイテッド航空の一部門だった)

この機体最大の特徴、その変わった形状の主翼は、
空母着艦時の衝撃対策として主脚を短くしようとした結果(長いと折れやすい)、
主翼を下方向に捻じ曲げ、逆ガル翼としたものです。
そこまでしたのに1942年夏の引渡し直後のテストにおいて、
空母着艦の衝撃に耐えれない、と判断されてしまいます。
さらに、この独特な形状の主翼から、失速のクセが悪く、
これまた空母着艦にとって危険と見なされるのです。

さらに試作型の初飛行後に、さまざまな性能アップの要求が行なわれたのですが、
高速性を狙った細い胴体のまま、中にイロイロ積み込んだ結果、
コクピットの位置が大幅に後退、離着陸時の視界を悪化させます。
これまた空母着艦にとっては重大な障害です。
もっとも、このコクピットの後退が、
コルセアのカッコよさの一因だと個人的には思ってますが(笑)。

このため、空母から運用する艦載機としては使えん、という事になり、
海軍の主力戦闘機なのに、配備開始後の1942年夏から2年半近く、
陸上基地からの運用が主になってしまうのです。

この結果、採用コンペで蹴落としたはずのグラマン社の復活を許し、
急遽開発されたF6Fと大戦後期の海軍主力機の座を両者で分け合う事に。
ちなみにF4Uが競作で蹴落としたグラマンの機体はF6Fヘルキャットとは別物で、
ヘルキャットはその後にグラマンが自主開発で研究していた機体を、
海軍が急遽、採用したものだと言われています。
(ただしここら辺り、公式な資料が残ってないらしく詳細はわからない)

ついでに余談ですが、対ドイツ勝利のV-E day に比べ、
マイナーで意外に知られてないものの(涙)、
アメリカにおける太平洋側の終戦記念日、V-J dayは9月2日だったりします。
これは降伏文章に署名したのがこの日だからですね。
このため、日本の8月15日の終戦記念日の先入観を持って当時の記録文章を読むと
9月2日まで戦闘日誌があったりして、結構とまどう事に。

で、その1945年9月2日までのコルセアの撃墜損害比(Kill ratio)を見ると実に11:1、
すなわち1機が失われるまでに、平均して11機の日本機を撃墜したとされます。
F4Fの“公称(笑)”撃墜率損害比が6.9:1だった事を考えると、
約1.5倍の成績を収めてる事になります。

ただし、この数字は戦闘機以外の偵察機、爆撃機、などまで含むため、
必ずしもその機体の空中戦の強さの証明とはならない上、
大体において過大に申告されてますので(笑)
ある程度さっぴいて考える必要がある、というのは先にも説明しましたね。
が、それでも日本機はこの機体相手に相当苦戦したのだろうなあ、
と思わせるものがある数字にはなってます。



その問題になった脚回り。
両脚の間、主翼の付け根に開いてる長方形の開口部は
オイルクーラー&エンジン用の空気取り入れ口。
海軍用のR-2800エンジンは機械式過給器、スーパーチャージャーが
エンジンの後ろに付いてますから、ここから空気を取り入れてます。
確か開口部の内側が空気取り入れ口、外側がオイルクーラー部だったはず。
よく見ると、オイルクーラーの温度調整用の小さなカウルフラップ(開閉板)もありますね。

その横、機首の下横にある黒い部分はエンジンからの排気管で、
これがコルセアのタイプ判別の重要ポイントとなります。
前期型のF4U-1では写真の位置にあり、
後期型(事実上の戦後型、朝鮮戦争の時の機体)のF4U-4以降では
機首部横に移動するのです。

ついでに逆ガル主翼の結果、妙にヤヤコシイ構造になってる
3枚式フラップ(主翼後縁から下がってる板)も見て置いてください。
構造的にはP-47などのファウラー式フラップと違い、ごく普通のものですが、
よく見ると内側のフラップと中央のフラップの隙間を埋める板が出てるのがわかります。
これも意外に凝った構造です。贅沢な造りですね、アメリカ機(笑)

ちなみに海軍機の場合、空母に積むスペースが限られるため、
より多くの機体を搭載できるよう、主翼の折り畳みができるのが普通です。

このF-4Uコルセアも、主脚部のすぐ横から
主翼を上に撥ね上げて畳む事ができます。
が、そうなると主脚をその主翼部分に収容するわけには行きませんから、
このように脚を捻って後ろに畳む、という陸軍機などとは異なる構造になってるのです。
ちなみにF4Fはそのまま脚部をまとめて上に持ち上げて、胴体下部に収納する、
というより豪快な構造となっておりました(笑)。
しかもあれの巻上げ、人力らしいですからねえ…。

もっとも陸上機でも後で見るP-40とその原型機P-36は脚を
後ろに畳む構造になってますが、
あれはカーチスゆえの特殊例と思ってください(笑)。


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