■リー将軍の街

さて、本日は当初から予備日としてあり、
取りこぼしの回収日として考えてました。

通常の人なら別にそんなもの要らないでしょうが、
常にどこかが抜けてる私の場合、必須の設定でございます。



で、誰も覚えてないでしょうが、ここまでの主な取りこぼしは、
●アーリントン墓地でのボイドの墓参り
●アレクサンドリア市中心部のフリーメイソン寺院
といったところ。
ついでにアレクサンドリア市街に向うなら、
●南北戦争の名将、南軍のリー将軍ゆかりの家
もありましたから、それもついでに見て行きますか。

これに加えて、先にバスで見たペンタゴン南部のショッピングゾーン、
そして時間があれば見ようと思ってた
スミソニアン最新の大型博物館ながら未見の
アメリカン・インディアン博物館といった辺りですかね。
そらならそれほどハードな展開にならないでしょうから。

なので、コースとしては5日目と同じように、
最初はアレクサンドリア市街に向け南下、
それから北上してモール周辺部に向かい、
最後にアーリントン墓地、そしてペンタゴン南部のショッピングモール、
という感じで行きましょう。



さて出発。
5日目と同じルートを通ってもつまらないので、
今回は裏路地から南のアレクサンドリア市中心部を目指します。
しばらく南に向ってから、大通りを東に渡ると、
その辺りにリー将軍が育った家があったはず。



ありました。
で、今回初めて知ったのですが、アレクサンドリアには2軒、
リー将軍に関係する家が残ってまして、
まずはその一軒目、リー・フェンドール ハウス。



これがその家。

結構大きな邸宅で、住宅街の中に唐突に建っていました。
ついでに、現在は博物館になってるようなんですが、
さすがに朝の8時半では、まだ開いておりませなんだ。

ただしここ、解説板も、ホームページも、
その説明が極めて適当で、どうもよくわからない部分があります。
この一帯の土地をリー将軍が所有していたこと、
そこに彼の従兄弟にあたるフェンドールがこの家を建てたこと、
リー家の一族が、ここで1903年まで暮らしていたことなどが書かれてるものの、
肝心のリー将軍がここに住んでいた事があったのかは、全く説明が無し。

そもそも後で見るように、現在はアーリントン墓地になってる辺りが
彼の家だったはずで、ここは単にリー一族の家というだけで、
将軍本人は関係ないのでしょうかね。

ちなみに博物館になる前、
1937年から69年までは、アメリカでは有名らしい
ジョン ルイス(John L. Lewis )という労働組合活動の
指導者が住んで居たそうな。

いい生活してるな、労働者の代表という感じですが(笑)
戦前から1960年代くらいまでのアメリカの労働組合は、
マフィアの最大の稼ぎどころでした。
あれはヤクザな組織なんですよ、基本的に。

そのヤクザな組織が、ヤクザどころじゃない(笑)
ヘンリー・フォードと衝突したわけですから、
戦前のフォード社の労働争議は、歴史的に見てもまれな、
壮絶な労働争議になってます。
ほとんどマフィアの抗争でしょう、あれは…。

とりあえず、戦前に労働組合を掌握したマフィアは、
まず組合費として給料から一部をピンはねし、これを大きな資金源とします。
ソ連から盛大に金と情報が流れていた、
戦後日本の労働組合の政治力(社会党)との最大の違いがここです(笑)。

ちょっと脱線しておくと、戦後ソ連の政治的な影響力は意外に大したもので、
日本では社会党を通じて自衛隊がイビツな軍隊にされてしまいましたし、
(それどころか人工衛星の開発にまで干渉を許してしまった)
イギリスでは労働党を通じて兵器開発能力を崩壊させています。

逆にアメリカの民主党が労働組合を通じてソ連の影響を受けなかったのは、
マフィアの力のおかげ、という部分もあり(笑)、
まあ典型的な毒をもって毒を制すじゃないでしょうか。

意外に知られてませんが、末端は優秀なんですよ、ソ連の情報活動(笑)。
まあ、労働者の理想郷の幻影がやぶれ、その支持者が減り、
さらにその資金源不足から、最終的に70年代には
その活動も崩壊するんですけども。

アメリカの労働組合に話を戻すと、
彼らはストライキを種に会社を脅迫して、企業から金を巻き上げ始め、
その上、全国の労働組合の人数を抑えた結果、
民主党の大票田となり、政治的にも、大きな力を持ち続けます。
当然、マフィアが、です。

この負の連鎖は、日本の工業がアメリカの工業力を破壊し、
大企業のブルーカラーが主要メンバーだった
アメリカの主な労働組合が崩壊する
1970年代後半まで続いたように見えます。

なのでケネディ大統領の影にマフィアの影がちらつくのは、
民主党大統領ゆえの特徴なのです。
それはルーズベルトのためにマフィア経由で労働組合の票をかき集め、
その報酬として駐英大使になった、
インテリヤクザだった彼のパパから引き継いだ因縁の遺産でした。

そんな彼がマフィアの不利益になる行動に出たんですから、
裏切りと見なされたのは仕方の無いところで、
ただでさえ敵だらけだった彼の悲劇的な最後に繋がってゆくのです。

とりあえず、マフィアの匂いがほとんどしない
民主党大統領はおそらくカーターからでしょう。

このルイスさんもこの場所に30年以上住んでいた、という事は、
組合の力をバックに、民主党相手の
政治活動をやってたんじゃないですかね。



こちらがもう一軒のリーゆかりの家で、
上の家のすぐ近所にありました。
ただし、こちらは現在も個人が所有して住んでいるそうで、
内部の見学などはできません。

とりあえず、これもリーの一族が所有していた家で、
彼が少年時代をすごした場所だとか。
ちなみに、独立戦争前後に、この家に住んでいた彼の親族が、
ジョージ・ワシントンを食事に招待した事があったそうで、
ワシントンゆかりの建物、という事にもなってます。
ただし当然1807年産まれのリーは、まだ誕生前ですが。

どうもリーの一族は、独立前後からかなりの地主で、
一帯ではちょっとした名家だったんでしょうかね。

ついでに1824年、独立後だいぶ経ってから、
あのフランスの戦う貴族、ラファイエットを
アメリカが国賓として招待したことがあるのですが、
その時に、彼はここを訪問してるのだとか。

その時はリー、すでに17歳。
さらにウエストポイントの士官学校に入学する前年ですから、
両者は会ってる可能性があるはずなんですが、
彼の略歴などを見る限りでは、そういった記述は見つかりませぬ。



その近所にあった独立直後である、
1790年代の舗装道路を再現した道。

1979年にオリジナルの石を使って再現した、との事なので、
ずっとこのままの状態で保存されていたわけではないようですが。

ちなみに“言い伝えによれば”との事ですが、
ヘッセン兵(hessian)、すなわち独立戦争時にイギリスに雇われた
ドイツのへっセン傭兵がアレクサンドリアの舗装道路を
造ったとされてるそうな。

となると、ジョージ・ワシントン率いる陸軍が、
ヘッセン傭兵部隊を急襲して降伏させた
トレントンの戦い(Battle of Trenton)の時の捕虜でしょうかね。


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