■外から見る潜水艦



その横に展示されていた魚雷。
ただしこれも記念碑&慰霊碑のメモリアルで、
潜水艦乗りの皆さんに捧げられたもの。

なんの解説も見つからなかったのですが、
おそらく大戦期の潜水艦用魚雷Mk.14でしょう。
ちょっと見づらいですが、後部のスクリューが
二重反転スクリューになってるのに注意してください。

魚雷は真っ直ぐ進んでくれないと、
どこに行くかもわからないというバクチ兵器になってしまうため、
トルクを打ち消して0にする二重反転スクリューが搭載されたのだと思われます。
この辺りは日本の酸素魚雷も同じですね。

この碑には52隻の潜水艦の名前が刻まれ、
彼らは今でも海の中でその任務を果たしてるのだ、
という銘文が刻まれていました。

この52隻が戦時中のアメリカ海軍潜水艦の全損失で、
士官374名、水兵3131名が作戦航行動中に命を落とした、
と書かれていました。
帰国後確認したところ、大戦中のアメリカの潜水艦部隊の人員は
16000人前後とされるので、ざっと22%の損耗率です。

ドイツのUボートなどは1944年だけでも230隻以上沈められているので、
それから見るとかなり少なめの印象を受けますが、
それでも他のアメリカ海上部隊に比べると、かなりの損失率となるようです。

ついでにアメリカ潜水艦の主要任務は、
日本の輸送船を片っ端から沈めてその補給路を断つ事でした。
これによって太平洋の日本軍は完全に干上がってしまうわけです。

1944年中盤以降になると交代で半数だけが出撃していたとしても
常に80〜100隻近い潜水艦が押し寄せて来ていたはずで、
広い太平洋でも安全な海域を探すのはほとんど不可能だったでしょう。
(アメリカ海軍が大戦時に手にした主な潜水艦は
ポーパス級10隻、サーモン級6隻、サーゴ級10隻、タンバー級12隻、
そしてガトー級77隻、バラオ級128隻。さらにテンチ級10隻が間に合った。
ただしバラオ級のうち10隻前後は終戦後に就航)

そもそも、限られた目的地に行くルートは自然と限られますから、
まともな対潜水艦兵装を持たない輸送部隊が
待ち伏せをされた場合、打つ手がありません。

かてて加えて、アメリカの潜水艦は、さまざまな任務にも投入されていました。
フィリピンに置かれた山下方面軍の司令部では、アメリカ潜水艦によるスパイの潜入、
抗日ゲリラへの支援物資の運搬、さらにはインフレによる経済破壊をねらった
ニセ札の持込まで確認していたとされます。

さらに言うなら、フィリピンの抗日ゲリラと親睦を深めるため、
アメリカ兵が潜水艦でやって来て、パーティーまで開いていた、
という話ですが、さすがにそこまで行くとホンマかいな、という気もしますが…。



司令塔部。
厳密に言うと、この下部右側が司令塔(Conning tower)の部分で、
艦長などが指揮を取る部屋がそこにあります。
前方上に見えてる窓のある部分と
その上の半球状の風防がある場所が艦橋(Bridge)で、
浮上中は艦長や航海長は見晴らしの効くここに出て指揮と取りました。
艦橋上、半球型の風防のある見張り台(?)の横にある
黒いのは信号灯でしょう。

ちなみに水中に潜った後に艦橋の小さい窓から外を見ても意味は無く、
この艦橋部が使われたのは浮上中のみです。
潜水するときは、床にあるハッチから司令塔内部に入ります。
その後、上の見張り台(?)から水が入って潜水中の艦橋は水没してます。

で、この全体の構造はSail になるんですが、
日本語にするなら調整翼、という感じの意味になってしまうので、
とりあず、この記事では司令塔で通します。

後部の二階建て構造部、一段ほど高くなってる部分は、
先に説明したように主に潜望鏡やシュノーケルの抵抗を減らすために
カバーをつけたもので、基本的には人が乗り込む空間ではありません。



ちなみに無改造のバラオ級、USSパンパニトの司令塔はこんな感じ。
後部のレーダーマストと潜望鏡の周りにカバーをつけると、
上のUSSベキューナのようになる、というのがわかるかと。
ただしUSSベキューナでは、さらにシュノーケルが加わっていますが。

その前、383の数字の上の空間が艦橋になり、
浮上中は吹きさらしのここで艦の指揮をとっていたはずです。
この床にハッチがあり、潜水するときは指令塔内に入ります。

両者を比べると、とにかく潜水航行中の水の抵抗を徹底的に減らす、
という目的で改造が行なわれてるのがよくわかるかと。
当然、対空機関砲のようのな水の抵抗のカタマリとなるものは
全て外されてしまっているのもわかりますね。

個人的にはUSSパンパニトのような
ゴチャゴチャした形状の方が好きなんですけども(笑)。



司令塔横には現役だった1944〜1969の数字が。
この世代の潜水艦も結構戦後までがんばっており、
その後、さらに南米やアジアなどの海軍に払い下げられていますから、
たいしたものだなあ、という感じがします。

ついでに、撃沈マークのようなものが5つ付いてますが、
公式記録ではタンカー2隻だけのはずなんですが…。

中央のイラストは乗員の記章(Badge)用に造られたものだと思いますが、
本来は非公式なものなのか、同じ艦でも何種類も存在するため
これがどの時代のものかは、よくわかりませぬ。

ついでに319の数字の右でパカっと開いてるのは航海灯の右舷用のものでしょう。
平時の視界が悪い時や夜間にはこれを点滅させて航海します。
ちなみに見て判るように潜水時に船体内に畳み込めるようになっており、
徹底的に水中の抵抗を落とす気なのだ、というのが感じ取れます。




艦首部。
これも艦底は黒で塗られており、やはり第二次大戦艦の保存艦艇は黒なんでしょうか。

ついでにUSSパンパニトの時も書きましたが、
バラオ級の船首部はただの本体カバーで、中身はスカスカです。
大幅な形状変更が可能だったのは、単に薄い鉄板のカバーを
作り直してパカっと上からはめるだけだからでしょう。

なので、この水抜き穴から向こうが透けてみえてます。
この金網はUSSパンパニトではなかったもので、
グッピー改修でつけられたものだと思われます。


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