■いろいろあった戦争で



こちらはConfederacy states of America 、いわゆる南軍の旗。
日本語にするならアメリカ連合州国、でしょうか。

Confederacy states はアメリカ合衆国United statesに対して、
ニュアンスとしてはよりゆるやかな州の合同体を意味しており、
従来の合衆国のような強力な中央政府をおかず、
独立した州のゆるやかな連合政府としたものです。

これはアメリカ独立時の、州の力がより強かった次代への回帰、
ともとれますが、元々は合衆国から離脱を宣言した6州と、
遅れて参加したテキサスが、
本来別々にやってゆくつもりだったのが原因でしょう。
北軍、というか憎きリンカーンの軍隊に対抗する成り行き上、
独立した7州で連合国家を形成する必要が出て来た結果の政治形態なのです。

とにかく各州ごとに特に理想も目標もあったわけではないため、
それぞれの州政府がもっとも受け入れやすい、
ゆるやかな連合国家という形態を採用したのだと思われます。

こちらの大統領はジェファーソン・デービスで、
彼はアメリカ合衆国上下両院の議員経験があり、
さらには戦争省長官の経験もあった政治家でした。

ちなみに何の解説もありませんでしたが(笑)、
この旗、星が8つとうのはちょっと変な話です。
南部連合は、当初南部の7州、サウスカロライナ、
ジョージア、フロリダ、アラバマ、ミズーリ、ルイジアナ、そしてテキサスが
別々に合衆国からの離脱を宣言した後に、
新しく政府を作って出来た国です。
なので、最初の旗は星7つでした。

その後、戦争は不可避だとしてリンカーンが軍の召集を始めると、
これに反発した4州、ヴァージニア、テネシー、アーカンソー、ノースカロライナが
南部連合への合流を決めてしまい、最終的に11州となり、
この段階で星は11になります。
(ここでヴァージニアが南部についた結果、
同州出身のリー将軍が故郷の人々に銃を向けられないと南軍に走る事になる)

ね、普通に考えると8つの星になる段階がないのですよ(笑)。
なんでしょうね、この旗…。

最終的には、心は常に君たちと共に、的な(笑)中途半端な対応をしていた
ミズーリ州とケンタッキー州も加えられちゃって南部は13州、
旗の星の数も13という事になるんですが、
この2州は結局、最後まで合衆国を離脱しませんでした。
それでも義勇兵などが参戦したため、南部は13州、とされ、
星も13個入る事になったようです。

これら南部連合参加州は全て奴隷州であり、
まあ、間違っても誉められた連中ではないのですが、
北部と違って工業化が進まず、綿花を始めとする大農場が主だった南部では
安価な(無償ではない。当然、生活費は奴隷の所有者の負担だ)労働力である
奴隷制の有無は、多く農場主にとって死活問題だったのでした。

実際、南北戦争に敗れた後も彼らは奴隷解放を骨抜きにしてしまいますが、
これは人種差別的な問題もさることながら、
そうしないと農場経営が成り立たない、という部分があったのです。

だからといって、奴隷制を肯定していい、という理由はどこにもありませんが、
南部に経済的な補填をせずに、単純に奴隷解放を迫った辺りが、
北部のツメの甘さ、とも言えるのは確かでしょう。



こちらは南軍の武器。

小銃はイギリス製のエンフィールド、
拳銃は42口径という変わったサイズのレマット(Lemat)なるリボルバーピストル。
このピストルは、どうも南軍が独自に開発したもので、
南北戦争時代以外では、使われた形跡がないっぽいですね。

ちょっと見づらいですが、左奥にかなりくたびれた南軍の帽子が展示されています。
基本的に貧乏だった南軍は、常に兵の制服にさえ不自由しており、
最後まで満足な装備を軍全体に揃える事ができませんでした。
当時の絵を見たら、とりあえずボロを着てるのが南軍、
と考えてほぼ間違いありません(笑)。

リンカーンからの北軍総司令官就任要請を断って南軍に下った
名将といっていいリー将軍が南軍の軍指揮官に付くのですが、
それでも、人口、経済力の劣勢は覆いがたく、常に劣勢に立たされ続けます。

このため、彼らに明確な決戦の思想は無く、
とにかく北軍を疲労させ、戦争継続を断念に追い込む、
つまり負けないで戦い続ける、が基本方針だったとされます。
また、イギリスやフランスの支援をあてにしていたフシもありますが、
北軍の港湾封鎖の基本作戦によって、この考えは早い段階で挫折することに。

さらに戦争初期は常に北軍を南軍領内に呼び込んでの戦闘、
というのが多かったのですが、
1863年になって、北軍支配地域で一発勝負に出たのが
(実際はここで戦う気は無かったのだが)
南軍の劣勢を決定付けた、あのゲティスバーグの戦いになります。

とりえず、そんな状況下で4年もがんばってしまうのですから、
リー将軍がすごいのか、北軍があまりにヘタレだったのか…。



南北戦争の歴史的一面として、大規模戦争の現場に
初めてカメラが持ち込まれた、というものがあります。
それまで絵画などによって、なんだか冗談みたいな戦闘シーンばかり
見ていた一般市民が、初めて戦場の死体を見る事になり、
戦争は人が死ぬのだ、という当たり前の事実にショックを受ける事になります。

展示のカメラは当時ニューヨークで製作されたものらしいですが、
これが戦場に持ち込まれたのかどうかは不明。



南北戦争は、北軍の司令官グラント将軍と南軍の司令官リー将軍が
1865年4月9日、ヴァージニア州のアポマットックスという小さな町で
休戦協定に合意した段階で事実上、終わりを迎えます。
これによって4年に渡った南北戦争も終わりを迎える事になるわけです。

展示のものは、その時に使ったイスとテーブルだそうな。
右のイスに南軍のリーが、左に北軍のグラントが腰掛けて
休戦の話し合いを行なったとのこと。


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