■ボストンの最低限の知識

というわけで、今回の最初の作戦行動地点となったボストンの街。
ここは4時間以下の活動で撤収するので、
あくまで最低限の説明だけを、最初にしておきます。



全体がボストン港と呼ばれる入り江を中心に発展したのがこの街で、
中心部となるのは上の地図で左下の地域です、
が、これと河口で区切られた離れた北側の地域、
さらには港の対岸、北東のローガン空港のあるエリアなども
都市部には入っているようです。

今回は空港から地下鉄で中心部の海沿いにある水族館駅に抜け、
そこからフェリー乗り場のある波止場、ロングワーフへ出て、
後は定期フェリーで北側の市街にある海軍工廠跡を目指します。

ちなみに、上の地図で左右1.5km前後でしかありませんから、
ボストンは、こじんまりした街だな、といった印象を受けます。
とはいえ人口では60万人を超えており、アメリカの感覚では完全に大都市です。

当初は普通にボストン市内観光をやる予定だったのですが、
相互リンクさせてもらってるD.B.E.三ニ型 さんの旅行記で
この海軍工廠跡にある、かなり旧型の駆逐艦やら、
アメリカ海軍最古の現役帆船だのが紹介されていたのを思い出し、
急遽こちらに目標を変更したのでした。

後は時間との戦いですね。



海側から見たボストン中心部。

これだけビルが見えれば、アメリカでは大都会です(笑)。
今回から、何箇所かで、こういった連続撮影の写真をつなげた
GIF画像を使ってみる予定です。

このボストンはアメリカでもっとも古い都市の一つであり、
東部のいわゆる先住支配者階級、
エスタブリッシュメント(Establishment)な皆さんが住む地域となってます。

ボストンのあるマサチューセッツ州の海岸地帯は
アメリカでも最も古くから入植が行なわれた地域の一つなのです。
ただし北米における最初の大規模入植地は、もっと南で気候の穏やかな
現ワシントンD.C.の南側、ヴァージニア州沿岸部だったんですが、
そこを目指してイギリスを出向した移民船メイフラワー号は、
進路がそれ、1620年11月、目的地のはるか北、
このマサチューセッツ沿岸に到着してしまいます。

彼らが上陸したのが現在のプリマスの町で、ここから
後にニューイングランドと呼ばれるこの地域の開拓が始まるわけです。

で、このメイフラワー号には、当時イギリスで迫害されていた
清教徒(Puritan)のキリスト教一派が乗っていました。
これが有名な巡礼の祖先たち(Pilgrim Fathers)と呼ばれる皆さんになります。

移民そのものは、先に書いたように
既にヴァージニア州で始まってたのですが、
このメイフラワー号の清教徒は、
それまでの移民とはある一点で異なっていたため、
後にアメリカの礎を築いた人々と見なされる事になります。

それがメイフラワー盟約(Mayflower Compact)と呼ばれる
一種の法律の制定で、この盟約に従うと誓ったことで、
彼らが後の法治国家としてのアメリカの原型を作った、
と考えられたわけです。

もっとも、その内容は自分たちはイングランド王の臣民である、
といった文面から始まる単純なもので、
後の自由や平等、そして権利といったアメリカを特徴付ける
概念は全く含まれてませんが…。

さらにメイフラワー号の乗員のうち、かなりの人数(6割近く)は
実は清教徒ではなかったし、メイフラワー盟約に署名したのも
せいぜい40人前後と推測されています。
それでも、彼らは現代アメリカの始祖、と考えられているわけです。

ちなみに清教徒、というとなんだか清らかなイメージがありますが、
あのイギリスの清教徒革命の清教徒ですから、
(ただし革命はメイフラワー号が出て行った20年後)
あまり誉められたものではない、という部分があります(笑)。

本場イギリスでは清教徒のクロムウェルがイングランドの覇権のため、
アイルランドに上陸、虐殺に次ぐ虐殺でアイルランド人を殺しまくりますが、
このボストン周辺の清教徒も
インディアンと戦争しては虐殺をやってた形跡があります。

ついでながらイギリスが植民地にかけた税金(印刷物への印税)に激怒して、
ボストン港の船の積荷である紅茶をバンバン海に捨てちゃった
ボストン茶会事件の現場は、もう少し南東、
上の写真だと画面の左奥の位置らしく、
現在Boston Tea Party museum という博物館が現地に建ってます。
無論、時間に限度がある今回は寄ってません。


さらについでながら、ここ数年、アメリカの政治を賑わしている
Tea Party 活動ですが、これは税金に反対して行なわれた
このボストン「茶会」事件のParty の意味と、
税金問題に反対する「政党」の意味のPartyをかけたダジャレになってます。


そんな感じで、現代アメリカの精神的、歴史的ルーツともいえるのが
ボストン周辺なわけですが、今回の訪問は当然のごとく、
そんなの無視した展開となって行きます…ええ。


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