その先には何と裁判所がありました。那覇地方裁判所石垣支部だそうな。家庭裁判所と家庭裁判所も兼ねてるようです。やはりこれだけ広いと一定数の裁判所の出張所が必要なんでしょうね。そして当然、日本最南端&最西端の裁判所でした。



その先にはちょっと凝った建物が。石垣市立八重山博物館で、沖縄の本土復帰記念事業の一環として1972年に開館したものだとか。ちょっと寄って見たい気もしましたが、時間が無く断念。



その横にあったのがこれ、人頭税廃止100年記念の碑。人が生きてるだけで一人一人に掛かる最悪の税金が人頭税で、これは琉球王朝時代における悪名高きものでした。ただし良く見れば碑の建立は2003年。それで100周年となると明治になってもまだ存続していた事になるザマス。驚いて確認してみたら、確かに八重諸島の人頭税は1903年、明治36年まで続いていたのでした。なんとも酷い話です(この人頭税は薩摩藩の琉球支配が始まって、その過酷さから導入されたとされるが、どうもそれ以前からあったらしいというのが最近の研究)。

ちなみに貧富の差を完全に無視した上に、病人だろうが母子家庭だろうが片っ端から同じ税金を巻き上げる最悪の税制という意味では現在の消費税も全く一緒です。ベンツに乗って毎年ハワイに遊びに行く人間と母子家庭で毎日の食事にも困る人たちが同じ税負担といのは完全に狂ってます。少なくとも民主国家を名乗る政治体制がやるべきものでは無いです。考えたヤツも、実行したヤツも、そして未だにこれを維持してる連中も、全員、頭が悪すぎるであろう、と私は思っております。皆さん、仲良く地獄に落ちますように。



その先にいかにも琉球文化、というガッチリと組まれた石垣があり。現地にあった解説板によると八重山島蔵元の跡だとの事。蔵元は琉球王朝が一帯の支配のために置いた庁舎で、久米島、宮古島、そしてこの石垣島に存在したそうな。この跡地にあった蔵元は幕末の1815年に移転して来たもので、その跡地一帯には今でも石垣の行政組織の中心が置かれているようです。



次の目的地は琉球王朝時代、幕末期に立てられた役人の家だった古民家、宮良殿内(みうらどぅんち)。とりあえずこっちでいいはず、という感じに石垣市内の路地を進みまする。

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