建物の外に出るとこんな感じ。左側にリトル秋葉原系の看板が見えてますが、実はこれらが仙台アメ横の中のお店です。
その看板の裏の業務用階段みたいな所から入れるのでした。どうみても入り口は建物の奥、みたいな案内も合わせて変な構造ではあるな。


その横にはこんな店も。やはり、この一帯が地方都市に見られるその手のお店が集まってる一帯か、と思う。

が、そんな生ぬるい世界ではなく、恐らく本家の秋葉原を別にすれば、池袋をワンパンでノックアウトし、大坂の日本橋、台北の駅地下街に匹敵するリトル秋葉原が展開されてることを最終日に知り驚愕することになるのです。
日本の地方都市に、これだけの世界が展開してるとは思ってもみませんでした。すくなくとも他の街でこれだけの規模でこの手の店が集まってる場所、私は他に知りませぬ。



一番奥に見えてる茶色の建物が仙台駅。で、そこに向かう右側のビルにソフマップの垂れ幕が。となると、やはりこの辺りはそういった一帯ですね。

秋葉原がオタク街になり、それが徐々に衰退しつつある現在、30年以上昔から一帯を知ってる人間として少し書いておくと、あの街がオタク街に切り替わったきっかけはアニメでも漫画でもなく、ファミコンでした。

中央通りの西側、末広町の駅のちょっと手前に三件、ゲームソフトを扱う店が次々に開店、そこから徐々に秋葉原駅方向に向けて同人誌などを扱う店が出てきたのです。その中の一軒がこのソフマップでした。そういった意味では秋葉原のオタク化の原点とも言えます(もう一軒がメッセサンオー、残り一軒は名前を覚える前に無くなってしまった。ただしソフマップはそれ以前は新宿が拠点の店だった。当時の秋葉原は電気街であってもファミコンはオモチャ、という印象だったため、その手の店は無く、TVゲーム専門店に近い展開をした最初の店の一つ。九十九などパソコン系の店はあったが数は極めて少なかった。この三軒の登場で秋葉原の客層がガラリと変ったのを今でも覚えている)。

ちなみにこの三軒の開店は私の記憶だと1987年前後でしたから、Windows95の発売なんかよりずっと早いのです。秋葉原が電気街からオタク街に切り替わったのはPCの街になったからではなく、ファミコンの力なのでした。当時は子供のオモチャという印象しかなく、秋葉原でこんな商売成り立つのかと思ってたんですが、成り立つどころかその後5年も経たずに街中がゲームだらけになって行き、驚いた記憶があります。秋葉原で漫画を買う、という風潮ができたのもこのころで、それ以前は本屋すらまともに無い街だったので、これも意外な変化でした。

ついでながら、当時はオタクがTVゲーム好きと知ってちょっと意外な感じがしたものです。千葉の田舎の高校生時代、私の周りでゲーセンでゲームやってるのって体育会系のアンチャンと小中学生ばかりでしたからね。

とりあえず秋葉原がオタク街になったのはこの頃からであり、ざっと30年しか歴史はありませぬ。ちなみにそれまではオタクの皆さんはどこで何をしていたのか、というのも結構謎で、今は亡き新宿のまんがの森に明らかに常軌を逸した連中がいたりしたくらいで、ほとんど街中では見かけなかったように思います。これも21世紀に入って消滅した神保町の高岡書店とか書泉ブックマートの漫画売り場も文学青年くずれか、出版社の編集者みたいな連中ばかりでしたし。

そして現在、秋葉原は徐々に普通の繁華街に、ちょっと変化球が入った街になりつつあります。まあ変化の速い街なので、電気街、オタク街、PC街の次はどうなるのかなあ、と思って見ております。ちなみに電気街時代の秋葉原は青果市場と日本通運の本部基地(日雇い労働者に近い皆さんが集まっていた)がすぐ横にあった事もあり、かなり荒っぽい街でした。神田明神の祭りで喧嘩っ早い連中はほとんど秋葉原方面から来てた印象がありますし。

今はメイド喫茶系でやはり任侠団体の皆さんの収入源になってますが、主役は若いお姉ちゃんであり、これも時代ですかね。



で、そのビルに入ってみるとやはりそんな感じの展開になってます。


ああ、これは間違いない、この手の商店街は一通りチェックすることにしてるのですが、どうも時間がかかりそうな予感がしたので後日に探検として、一度外に出る。

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