さて、今回は台湾を代表する観光地、故宮博物院を見て行きます。
写真はその本館というか展示棟。敷地の一番奥にあり、なんだか城塞のような作りですが、上の方の構造物は単なる装飾でなんの意味もありません。中に入ってしまえば、四角い建物の普通の博物館です。ついでに言えば、緑色の屋根瓦って中国では見た記憶がないのですが、元ネタは何でしょう、これ…。

かつて北京の紫禁城にあった多くの文物を維持保管してる、とされる博物館がここですね。
故宮を直訳するなら元宮殿、旧宮殿であり、これは通常、北京にある清王朝による紫禁城を指します。なので、あえて日本語にするなら旧宮殿博物館、あるいは紫禁城博物館なんですが、台湾の山の中にある建物がそんな名前を名乗ってもなあ、という感じもします。沖縄に江戸城博物館があるようなもんでしょうか。

さらに言えば、北京の紫禁城、すなわち本物の故宮にも同じような博物館があり、こちらも故宮博物院を名乗ってますから、話は少々ややこしいのです。ただ一般に故宮博物院とだけ書かれてる場合は、こちらの台湾のものを指すことが多いように思います。まあ、中国本土とかではどっちだか判りませんが。

ちなみに所蔵品の大半は最後の王朝である清のもので、そこまで歴史的な古物を持ってるわけではありません。日本で言ったら上野の国立博物館の展示物の大半が江戸時代のもの、みたいな話で、正直、しょぼいです。余談ながら清朝は、北の平原から来た(ダジャレ)異民族王朝ですから、その遺物が巡り巡って漢民族の南の島、台湾にて保管中、というのは不思議な感じもしますが。

ついでに北京の紫禁城にあった文物がなんで台湾にあるの、といえば、第二次大戦後、中国本土で共産党に敗れ、台湾に逃げ込んだ国民党がこの地に持ち込んだから。ただし、それ以前の1933年、満州事変が勃発した段階で、すでに国民党は紫禁城の文物の多くを北京から持ち去っており、まずは上海に、次いで南京へと移動しています。この辺り、日本軍の脅威から逃れるためとされますが、日中戦争にはまだ早く、これは単に国民党政府があった南京に持ち去りたかったのでは、という気もしなくもなくもないです。その後、戦争が進むと、これらは国内奥地に分散して保管されました。

そして第二次大戦後、中国の内戦で国民党が共産党に敗れると、これらの文物を持って台湾に渡り、その後1965年になってこの博物院が建てられ一般に公開され現在に至る、という形になるわけです。ちなみに国民党は紫禁城にあった文物全てを持ち出したわけではなく、多くは中国本土に残され、それらは現在も北京にあるもう一つの“故宮博物院”にて保管されてます(国民党があちこちに持ち去った結果、南京などにも残ってるらしいが)。

ちなみに現在のここの館長さんは国立台湾大学を出たあと、日本の東大の大学院に留学してる人。とりあえず学歴的には旧帝大をハシゴしてるチョーエリートでありますな。



中は三階建て、そして基本的にはここ以外の建物に展示は無いので、意外に展示空間は広くないです。
東京上野の国立博物館本館よりは広いですが、あっちは東洋館に平成館、さらには法隆寺館などが別にあるので、全体の展示面積は日本圧勝です。さらにここの展示内容は清朝を中心とした陶器、絵画、書、工芸品ばかりで、よほどの中華好きでないと速攻で飽きます。正直に言ってしまえば、今まで見てきた国を代表する博物館の中では、一番つまらなかったです。まあ、一度くらいは、行ってみる価値はあると思いますが…。

ちなみに特別展などは、本館ではなく別館を使うようですが、今回の訪問時には閉鎖中でした。

とりあえずそんな感じで、見学に行ってみましょうか。


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