そこから城内中心部までは直線の整備された石畳の道が続きます。
こんな直線最短距離で城内に入れちゃったら城塞としての意味ないじゃん、と思いますが、これは戦後の観光開発で造られちゃった道でして、まだアメリカ統治下の1960年代に整備されたもの。実際の道はこの右手に曲がりくねった状態であり、一部は現在でも見れます。
もうこの辺りで、ああ、こう来るか、と思っちゃたんですが、まあせっかく来たんだし、見て行きましょう。



その整備された遊歩道の一番奥にあるのがこの大庭(うーみゃー)と呼ばれる空間。首里城の中心にあった広場、御庭(うなー)のような儀礼、祭典等のための広場だとか。当然、この周辺に主要な建物が集中し、周囲ではその礎石が見つかってるようです。



そこから西に向かう怪しげな通路が。行って見ましょう。



眺めのいい場所に出ました。御内原(うーちばる)と呼ばれる高台だそうな。周囲が一望できる場所で、見張り台とかが置かれてたんでしょうね。城内に安置されていた聖所、御嶽(うたき/いべ)もここにあったそうで、やはり一種の山岳信仰だなあ、と思う。

下に見えてるのは大隅と呼ばれる空間で、ここはまだほとんど発掘されてないそうな。



海も見えました。北面してるので、天気のいい日には22q先の与論島も見えるとのこと。
この辺りの城壁、なんとなく南米の遺跡っぽいというか、山の中のガウディというか、ここだけ中国南部式庭園、みたいな印象を受ける。日本ではあまり見ない有機的な印象の城壁ではあります。

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