さて、今回見学する今帰仁(なきじん)城は沖縄中部、本部半島の付け根付近にある北山王国の城であり、国王の居城でもあったその心臓部とも言える施設でした。

沖縄の歴史資産の多くが太平洋戦争の沖縄戦でほぼ壊滅したのは2018の沖縄旅行記でもすでに述べましたが、大きな戦闘の無かった北部、しかも本部半島根元に位置していたこの城は戦火の被害を受けず、比較的、往時の姿を留めてるとされます。

さて、それは本当かな、と疑う所から入るのが夕撃旅団ですが、どうやら今回の話はほぼ正しい、という事を例の国土地理院の航空写真を使って最初に確認して置きましょう。

出典:国土地理院ウェブサイト *必要な部分をトリミングして使用



まずは終戦直後、1946年に米軍が撮影した空中写真で。
当初、北部で大規模な作戦を計画して無かったアメリカ軍は、それほどこの地域の偵察を熱心にやっておらず、このため沖縄戦前後の写真は確認できませんでした。とりあえず、現状で確認できる一番古い状態がこれ。
赤丸の中が城跡ですが、完全に緑の森に埋もれており、空中からは何も確認できません。激戦地でもない山の上ですから放って置かれたと思っていいでしょう。
すなわち、戦火の被害はない説は正しいです。実際、この1946年の写真でも何ら損傷は認められません。

ただし逆に完全に森に飲まれてしまってますから、おそらく荒れ放題だったはずで、首里城のように往時の姿を維持しながら残っていたわけではありません。また、ペリー来航後、昭和に至るまで一定の姿を留めていた中城城ともちょっと異なります。実際、昭和9年に外側の城壁のみ撮影した写真が残ってますが、城跡というより廃墟に近いものでした。よって現在見れる城跡は全て近年の復元、という事を意味します。
この辺りはまあ、歴史遺産としては評価が微妙な所、という部分ですが…



お次は沖縄返還の年、1972年のもの。相変わらずほとんどが森の中ですが、よく見ると城壁の輪郭が確認できます。
楕円の囲み部分の左側を天地に走る道路と、これに平行するような細い直線の道がありますが、この細い道が観光用に造られちゃった通路で(後述)、すなわちこの頃から一般公開は始まってました。



最後は1989年のモノ。ほぼ城壁が姿を現しており、後は現在の売店やら博物館やらの施設の完成を待つばかり、という感じです。

といった感じで、今帰仁城、往時の面影を残すとは言い難いものの、少なくとも戦火の被害はない、という事になるわけです。
ではさっそく見学に行って見ましょうか。
 

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