1984年の終盤に桜井さんが「総監督」の地位に就任、そしてエンジン設計の市田さんも四輪レースチームに呼び戻され、ようやくホンダ第二期F-1の主要登場人物が揃い始めます。桜井さん自身は決してレース屋ではなかったのですが、「勝つのが好き」という闘志をむき出しにするタイプで在り、管理職としても有能でしたから、適材適所だったと言えます。

その直前、ダラスGP以降、全く勝てないどころかまともに完走もできないウィリアムズ・ホンダに対し、F-1番長 川本さんは不満を募らせていました。桜井さんによれば「地団駄踏んでくやしがっていた」との事で、比喩的表現やユーモアのある文章を書く人では無いので、まさしく頭から湯気がでるような状態でレースの結果を聞いてたのだと思います。
こういった人たちが先導して圧勝したのが第二期ホンダのF-1であり、ゆえに黄金期を迎える事になります。なんか精神論ぽい話になってしまいますが、何が何でも勝ちたい、という意思はレースにおいては極めて重要なのです。

ちなみに後に桜井さんの跡を継いでマクラーレン時代のホンダエンジンを支える事になる元テスト・エンジアの後藤治さんも、この時期にはF-1チームの現場で活動を始めています。前回見た桜井さんが初めてのF-1に衝撃を受けた第14戦サンマリノで、改良型エンジンについて「とっくに壊れて使い物にならなかった」とあっさりと宣告したのが、この後藤さんでした。

さて、その桜井さんが「総監督」に就任した直後、1984年の第14戦、第15戦で、ホンダエンジンで走るウィリアムズは二台とも連続リタイアという無様な結果に終わりました。これを見て桜井さん、市田さん共に強い衝撃を受け、このままのエンジンではダメだ、と判断します。
そこで第15戦 ヨーロッパグランプリが終わった直後、現地ドイツのホテルで桜井さん、市田さん、そして一番現場の情報を持っていた後藤さんが集まり、現状の問題点を洗い出し、従来のエンジンではもう限界である、という結論に達したのです。すなわち、一から新たに設計された新エンジンへの切り替えが必要だ、という事です。

桜井さんと後藤さんは大全長(ロングストローク)の気筒による低燃費エンジンの開発の経験があり、市田さんもレジェンドのエンジンの開発中にその影響を受けていたので「新世代のターボエンジン」の輪郭は、かなり明確に開発チームの中で共有されていたと思われます。こうして1984年の10月から完全新型ターボエンジンの開発が始まり、やがてこのエンジンがF-1の歴史を変えてしまうほどの圧勝を収める事になるのです。が、この点を理解するにはいくつかの予備知識が要ります。今回はホンダコレクションホールの展示をまた無視しして、この辺りの技術解説を最初にやってしまいましょう。

とりあえず1984年頃のF-1エンジンに求められたのは、排気タービン(ターボ)による強力な過給圧力でドカンと気筒(シリンダー)に大量のガソリンと空気、すなわち混合気を送り込んで強烈な爆発燃焼を行う高馬力エンジンであること、それでいて燃料の搭載量規制から低燃費である事でした。

この本来なら相反する高馬力(=仕事が速い=エネルギーの消費速度が速い)で、低燃費というエンジンの開発をすでにシティ ターボで経験していたのが桜井さんだったわけす。この辺り、奇跡のような人材配置だったと言えるかもしれません。そして実際にその高馬力、低燃費のターボエンジンをまとめ上げたのが、やはり市販車レジェンドのエンジン開発で低燃費化に苦労した経験を持っていた設計担当の市田さんという事になります。レジェンドの6気筒エンジンは当初、ホンダ伝統の大口径(ショートストローク)エンジンだったのが、燃費の悪化を克服できず、開発途中で桜井さんの研究チームが開発、シティで採用されてい小口径(ロングストローク)エンジンに変更されていたのです。

この辺りを理解するにはまず、F-1番長 川本さん世代がこだわり続けた大口径(ショートストローク)の気筒を持つエンジンと、桜井さんたちがまとめ上げた小口径(ロングストローク)の気筒を持つターボエンジンの気筒の違いを理解する必要があります。
簡単な図を使ってこの辺りを説明してしまいましょう。



F-1ではエンジン排気量は規定で決まってますから、この点は全てのエンジンで共通です。1985年まではターボ エンジンなら1500cc、自然吸気エンジンなら3000ccでした。
ただし全てのエンジンが同じ気筒だったわけではありません。排気量=エンジンの気筒(シリンダー)の容積ですから、

気筒の底面積×気筒全長=排気量

です。
よって底面積を大きく取って全長を短くした“太くて短い”大口径(Short stroke)エンジン、それとは逆に全長の方を大きく取った“細くて長い”小口径(Long stroke)エンジンが存在します。まあ、その中間もありますが、レース用エンジンでは基本的にこのどちらかになります。
それが上の図です。全然違うものですが、両者の排気量は等しく、V6エンジンならどちらかを片側3本ずつ計6本並べる事になります。が、これだけ形状が違うと当然、それぞれの特性もまた、かなり異なるのです。

従来のレーシング用エンジン、自然吸気時代は左側の大口径(Short stroke)で短全長、カタカナ英語で言う所のショートストロークエンジンが主流でした。実際、ホンダの第一期F-1のエンジンも、第二期でF-2に復帰した後のエンジンもこちらの構造を採用しており、川本さんが設計した第二期F-1の最初のエンジンもこちらの構造を採用してます。。当然、それには理由があり、大口径の方が大きなトルク(力)を出すにも、それを高回転でぶん回して高速走行に適した高馬力にするにも有利だったからです。



その理由は単純明快。
大口径は気筒の頭部(シリンダーヘッド)の面積が大きくなる事を意味しますから、ここに開ける吸気&排気弁のための穴も大きくできるのです。これすなわち、大きな穴からドカンと大量に吸気して、爆発燃焼後はドカンと排気する事が可能だ、という事です。つまり短時間で大量の混合器を入れて燃やして吐き出せます。
大量燃焼による高出力化(トルクの強化。ワット(W)や馬力を出力と言うのは力学的には明白な間違い)と同時に、短時間で吸排気が終わるので高回転化にも対応できるのです。

そして気筒の全長が短いのは、ピストンの上下過程が短いという事であり、クランク軸の半径も小さくできますから、その回転速度が速くなる事を意味します。100mで1回転と10mで一回転では10mで回っちゃう方がずっと多くの回数をこなせますから、これも高回転化において有利になります。

ここで念のため確認しておきますが、クランク軸を回して車輪を動かし車を前に押し出す力がトルク(回転力)、その力を使って車輪をより高回転で回して高速で走る能力が仕事率、すなわち馬力です。

ここでエンジントルク(力)を求める式は

エンジントルク(N)=(排気量)×(正味平均有効圧力)×(爆発回数)/2π

ですから、同じ排気量なら爆発が強力な方(正味平均有効圧力)が高い方が、すなわちより多くの燃料と空気を爆発燃焼させる方が力(トルク)が出ます。すなわち大きな吸気の穴を開けて、ドカンと大量に混合気を吸い込んだ方が有利です。

そしてピストンの上下距離が短ければ、より速く圧縮爆発の行程が行えて爆発回数が増えますから、これも力(トルク)の上昇に直結します。すなわち排気量が固定されてる状態でエンジン出力(繰り返すがトルクである)を上げる要素、正味平均有効圧力と爆発回数の両者の数値を引き上げる事ができるでのです。

さらにより早くピストンが上下してクランクシャフト、出力軸を回せば、

トルク(kg m)×回転数(rpm)×2π÷60秒(s)=仕事率(ワット(W))
 
で決まる仕事量(ワット(W)あるいは馬力)も上昇しますから、これはよりタイヤを高速でぶん回せる、すなわち速度が上がる事を意味します。すなわちトルクも馬力も上がっていい事だらけなのです。よって、従来の自然吸気エンジンでは、この大口径エンジン、カタカナ英語スキーの皆さんが言う所のショートストロークエンジンが主流でした。

ちなみに上の図ではホンダエンジンの伝統にのっとり、吸排気ともに2つずつの穴がある4バルブエンジンとしています(オーバーヘッドカム1本で2つの弁の開閉を行う。よって吸排気両方で2本のオーバヘッドカムと4つのバルブとなる、いわゆるDOHCの4バルブ)。

4バルブ化の利点は穴を二つに分ける事で、それを開け閉めする弁(バルブ)を小さく軽くできる、よって少ない抵抗で動かせるから高回転化できる、といった説明が通常されています。間違いでは無いですが、同時により開口部の面積が大きくなる、という利点があり、これも重要です。シリンダーの半円に対して大きな一つの穴を開けるより小さな二つの穴を開けた方が開口部の面積が大きくなるのです。この点はなぜかほとんどの資料で無視されてますが、4バルブの重要な利点なので忘れずに。



こういう事ですね。あくまで肉厚などを無視した最大直径での話ですが、吸気、または排気の穴を二つに分けると最大で約1.42倍もの開口部が開けられます。とにかく大量に混合気を取り込みたいなら、この差は大きいでしょう。レース用エンジンが4バルブ(吸排気で2バルブずつ)になる理由の一つがこれです。

参考までに図は直径1の円を底面とするシリンダーで考えた場合です。
半円の中に1個の大きな円(1バルブ)を取った場合の穴の面積はすぐに判ると思いますが、2個(2バルブ)の穴を開ける場合は、中心角90度の扇形における最大円の面積を求めればよく、これは図のように45度の直角二等辺三角形から求められます。シリンダーの半径をR、開ける穴の半径をrとすれば、rは三か所出て来ます。この時、底辺(R-r)と二等辺(r)の比は√2:1ですから、

(R-r):r √2:1

よって r=約0.207、小数点2位までで丸めて半径0.21とういう数字が出て来るわけです。。

ちなみに実際のエンジンのバルブ開口部はこういった単純な構造ではなく屋根型の構造、カタカナ英語スキーの皆さんが言う所のペントルーフ型が使われる事が多いです。




これはなるべく水平方向に向けて吸排気し、吸気管、排気管とも急角度で曲げないようにするのが目的ですが(曲がるのにエネルギーを奪われるから吸排気効率が落ちる)、さらに燃焼室形状の最適化、そして吸排気の穴の面積も大きくなる工夫となっています。


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