さて、いよいよホンダコレクションホールの展示の目玉、三階奥、ホンダの四輪レーシングカー展示へ入って行きます。
いろんなレースに参戦してるホンダですが、その中心はやはりF-1であり、私もそれ以外の展示にはそれほど興味が無いので、ここではF-1マシンを主に見て行く事になります。

ただし書けることは限られるので(全部書いてたら一年経っても終わらぬ)、ホンダF-1の第一期から第二期の全盛期までに興味が出て来た、という人は以前にも紹介した海老沢泰久さんの「F-1地上の夢」をお勧めします。今回の記事でも情報源の3割近くがこの本ですしね。



いやもう、入り口に立っただけでワクワクしますな。

最初にホンダとF-1のそれぞれの歴史を軽く確認して置きましょう。
F-1はFIA、国際自動車連盟が規定しているレーシングカーの「規格」、フォーミュラ(Formula ラテン語で規格の意味)の最高峰であるFormula-1を意味します。ちなみに「フォーミュラーカー」の最高峰、といった日本語解説をよく見ますが、そんな英語もラテン語も私は見たこと無いので和製英語のような気が。通常、欧米圏ではFormula racing、規格自動車競技としており「フォーミュラーカー」という呼称はまず見ません。運転席と車輪が車体内に取り込まれてないのがフォーミュラカー、という日本語の説明もよく見ますが、FIAがそんな規定は造った事は無いはずです。

そもそもFIAによる「規格(Formula)」の明確な定義を私は見た事がなく(なにせ後で見るようにラテン系である)、単座の車である事くらいしか必要条件は無いと思われます。このため、F-1、F-2、F-3などの各カテゴリごとに細かい規格があり(毎年100ページを超える技術既定(TECHNICAL REGULATIONS)書が発行される)、それらが共通の条件を定めた結果、どれも似たような形の車になっているわけです。 
FIA発行によるF-1の技術既定(F-1 TECHNICAL REGULATIONS)の2020年版を見ても、第一章の「定義」において

1章-1 

F-1車とは

サーキットまたは閉鎖道路(訳注:モナコなど公道を閉鎖して開催するコースを指す)のスピード競技用に設計された車。
 (An automobile designed solely for speed races on circuits or closed courses)


という極めて単純な「定義」があるだけで、この一文は25年以上に渡り変更がありません(1994年以降。それ以前のものは一般公開では見た事が無いので知らん)。
車輪や運転席にカバーが無い、といった規定は後から出て来る各個ルールの中で初めて登場するもので、F-1の定義においては絶対条件ではなく、個別条件の一つにすぎません。よって将来も絶対にこのまま、とは誰も言えないのです。まあ、これだけ伝統になってしまうとそう簡単には変えられないでしょうが。

余談ですが国際自動車連盟、FIAは戦後の1946年、フランス主導でヨーロッパで設立された組織のため、その名称もフランス語で、Fédération Internationale de l'Automobile この頭文字を取ってFIAです。ヨーロッパ系言語の名詞ですから英語しか判らん人間が見てもなんとなく意味がとれるでしょう。

その結果、ラテン系がその中枢に食い込んだため、連中が得意とする政治的な駆け引きの場となってしまい、以後、21世紀に至るまで、内紛、分裂、闘争というフランスやイタリアの政治劇を見てるような底抜けの馬鹿どもの巣窟、という状態が続きます(さらにそこに最悪の形でイギリス人が乱入した)。この辺りはF-1の運営にも深刻な影響を与えるのですが、この記事ではあくまで技術的、競技的な面のみを見て行きます。
ちなみにカテゴリの既定まではFIAの仕事ですが、実際のレースの運用、ルールの策定などはFIAから認可された下部のF-1運営組織が行います。この運用組織も次々と改変、分裂、変更があって、何が何だかわからん政治的なドロドロの世界なんですが(なにせ巨大な金が動くのだ)、これもこの記事では無視します。

そんなF-1車の心臓部、エンジンは二輪の世界GP以上にその規定がコロコロ変わった部分であり、そしてこれこそがホンダの生命線でもありますから、その規定の変遷とホンダの関りを確認しておきましょう。

1950-1953  自然吸気 4500t  過給式 1500t   
1954-1960  自然吸気 2500t  過給式 750t  
1961-1965  自然吸気 1500t  禁止  1964-1965ホンダ第一期参戦 1500t 1勝 
1966-1986  自然吸気 3000t(1986禁止)  過給式 1500t  1966-1968ホンダ第一期参戦 3000t 1勝
 1984-1986ホンダ第二期参戦 1500t 14勝
1987-1988  自然吸気 3500t  過給圧規制アリ 1500t  1987-1988ホンダ第二期参戦 1500t 26勝
1989-1994  自然吸気 3500t  禁止  1989-1992ホンダ第二期参戦 3500cc 29勝
1995-2005  自然吸気 3000t  禁止  2002-2005ホンダ第三期参戦 3000t  0勝
2006-2013  自然吸気 2400t V8のみ  禁止  2006-2008ホンダ第三期参戦 2400t  1勝
2014-2020  自然吸気 2400t V8+電気  過給式1600t V6+電気  2015- ホンダ第四期参戦 1600t V6 2勝+

■2019年9月16日現在 ホンダエンジン 通算74勝


自然吸気と言うのはシリンダー内でピストンが下がった時の負圧(注射器などピストンを引いて吸い込むのと同じ力)だけで混合気をシリンダー内に取り込むもの、対して過給式はタービン(風車)を回して加圧、その力とピストンの負圧を合わせて混合気をシリンダー内に送り込むもの。

当然、過給式の方が多く混合気を“一気に大量に押し込めて燃やせる”のでより強い力で爆発し、前回見た計算式で判るようにより多くの力、トルクが発生し有利になります。なので両者には倍近い排気量差が付けられてるのですが、それでも1980年代後半のターボ全盛期にはあまりにパワーが出てしまい、以後1989年から25年間に渡ってF-1において過給器は全面禁止となります(これは80年代後半のホンダターボが強すぎた、という面もあるのだが)。

過給器に使われる羽車、圧縮タービンの回転方法にはエンジンの出力を使って歯車で軸を回す機械式(スーパーチャージャー)と、排気ガスの排気圧を使った風車で回す排気圧式(排気タービン、いわゆるターボ)の二種類がありますが、機械式はごく初期に使われただけで、1970年代以降のF-1では排気タービンが主流です。

この辺り、ちょっと特殊なのが1986年で、この年は過給式エンジンのみ、自然吸気は全て禁止されます。これは自然吸気エンジン排気量を大型化する事が急遽決まったため、移行期間として1年間をあけたからでした。この結果、全エンジンがターボとされ、よって1986年は21世紀に至る現在まで、F-1エンジンが最もパワフルだった年となりました。
中でも未だに史上最高馬力と言われるBMWのM12/13 直列4気筒ターボエンジンは予選の短時間だけ使える最高ブースト(過給圧)に入れると1500馬力(hp)以上を叩き出したといわれています。

同じ1986年のウィリアムズ・ホンダのドライバー、マンセルが2019年に入ってからFIAの機関誌「Auto magazine」でホンダのターボエンジン、RE166も予選で1500馬力出ていた、と証言しており、事実ならこれすなわちサーキットは1500馬力で溢れてる、というすさまじい年だった事になります。
この年はレース中でも1000馬力は出ていたとされ、マンセルが「今どきのドライバーは 決してホンモノのF-1の感触ってヤツを知る事はできないだろうな(Today’s drivers will never know what a proper F1 car feels like)」と述べてるのは、彼一流のハッタリとばかりは言えず、間違いなく事実でもあるのでした。ちなみに2019年現在のF-1エンジンは予選で1000馬力出れば化け物エンジン、という世界ですから、33年前に比べていかに大人しいかが判るかと。
ついでにこれまたマンセルによると、当時は6速(最高速でもっとも力が無い状態)ですら過剰な馬力によるホイルスピンが発生したそうで、どういう世界だよという感じです。「コーナーに入るたび、当時のマシンはドライバーを殺そうとしたんだ」とまで言ってますが、さもありなんでしょう。

ただしエンジン馬力だけでは早く走れないのもまたF-1で、直線の最高速度記録は後の2003〜04年辺りに多くが産まれています。さらに1周にかかる時間、最速ラップ記録は2017年以降の近年に集中しており、このあたりはサスペンション、タイヤ、そして空力の進化によるものですから、近代F-1の場合、エンジンだけでは速さにも限度があるわけです。



1000馬力超えなんて当たり前、の1980年代末のホンダの6気筒1500tターボエンジン。RA168辺りだと思うんですが型番の写真を撮り忘れたので断言はできず(マヌケ)。下に見えてる銀色のホルンかカタツムリみたいなのが排気タービン、いわゆるターボチャージャー。同じものが反対側にもありますから、ツインターボですね。
ちなみに2014年以降のターボエンジンはシングルターボになっているため、エンジン後部に排気タービンを張り付けるという、第二次大戦期のマーリンエンジンみたいな構造になってます(さらに言えば圧縮用タービン(コンプレッサー)は排気タービンとは分割されてエンジン内のVバンク内にありシャフトで接続されている)。

円形の装置正面に開いてる大きな丸い穴が吸気部でここに圧縮用のタービン(羽根車)があり、写真では見えてませんがその後ろ側には排気ガスの風圧を利用して回る、動力用の排気タービンがあります。なので後部には排気を逃す排気管が見えてます。
この過給装置によってより多くの空気を一気にシリンダーに送り込むわけです。

ちなみに最初に空気を吸い込むタービンがこんな低い位置でエンジン吸気はどうするの、と思うかもしれませんが、当時のターボマシンは胴体横、ラジエターのあるサイドポンツーンの後部から煙突のようなパイプを突き出したり、サイドポンツーンの横に穴を開けたりして吸気を行っていたのでした。これはコクピット横の空気取り入れ口の奥にラジエターと並んでインタークーラーがあったからで、加圧された空気は一度インタークーラーで冷やされ、そこからエンジン上の吸気部分に送られてました(低温の方が密度が上がって多くの空気が取り込めるのと高温によるノッキング防止のため圧縮されて高温になった空気を一度冷やす)。この辺りの配管は展示では全て外されてます。



1986年のウィリアムズ・ホンダが走らせたマシン、FW11の吸気口。矢印の位置で上に飛び出してるのが過給器用の空気取り入れ口。このように当時のターボ車ではドライバーの頭の上には吸気口がありません(2014年以降のターボ車は規定によってこれが使えず、NA車と同じように上から吸気してるが)。
その分、背が低くなって空力的にも有利に見えますが、この取り入れ口、高速になったら結構な空気抵抗源になったように見え、もう一工夫あってもいいような。ちなみにキチンと車体表面から離し境界層付近の乱流を吸わないようにする、という最低限の工夫はされてます。

その過給機が再び解禁されたのが2014年なんですが、同時にハイブリット化、発電機と電気モーターの搭載が義務づけられるという、従来のF-1には無かった既定(レギュレーション)が加わったのです。この辺りは今回の展示では出てこないので、またいずれ。

さらに、いくつか補足を。
1950年に始まったF-1レースは間もなく当時としては驚くべき高コストなレースとなってしまい1952-53年の2年間に渡り参戦するチームがまともに集まらない、という非常事態を迎えます。この結果、F-1とF-2がまとめて世界チャンピオンシップとして混合開催されるという訳の分からん事態が生じ、資料によってはこの2年間のレースはF-1に含まない事があります。

1954年からエンジンが2500cc & 750ccへと一気に小型化されたのはこの問題解決のため低コストでマシンが造れるようにしたためです。ただし過給機付きのエンジンの750tはあまりに非現実的な数字で、このため、以後、長らく過給機付きマシンは出て来なくなります。そしてこの「低コスト化」は常にF-1について回る問題として21世紀に至るまで残るのでした。
余談ですが、この時、多くのF-1チームが予算難から淘汰されて撤退してしまったため、最初の1950年からずっと参戦を続けてるのは唯一フェラーリのみ、という結果になります(そもそも1960年以降でもフェラーリだけだけど。1970年からならそこにマクラーレンが加わる)。

そのF-1に対するホンダの参戦は大きく四回に別れます。
まずは本田総一郎総司令官が先頭に立って殴り込み、後に実権を握った中村監督の尽力により2勝を上げる第一期1964〜1968年までの4年間。最終的に現場指揮官の中村さんと、総指揮官の本田宗一郎総司令官の対立、そしてホンダの経営危機によって撤退を余儀なくされたのがこの時期でした。

次が第二期1983〜1992年の10年間。
第一期F-1でも3000cc 時代のエンジン開発を担当、そもそもレースがやりたくてホンダに入ったF-1番長、後の4代目社長となる川本さんが先頭に立って殴りこんだ時代です。これがホンダF-1の黄金期で、さすがは川本さんというべき展開を見せ、10年間で69勝と圧倒的なホンダ時代を築き上げました。筆者がF-1に興味を持ったのもこの時期で、当然、ホンダの影響です。ちなみに川本さんは1990年にホンダ本社の四代目社長となっており、自らの手で自分が始めた第二期F-1 の幕を引いたことにもなります。

その次が誰が何をしたくて参戦したのか全く分からない第三期、2002年〜2008年。
チームを買収して第一期以来のコンストラクターとしての参戦まで至りながら、7年間で1勝しかできなかった悪夢の時期です。勝負の世界は勝つためにあるわけで、勝てないのはただの負け犬です。出る以上、死ぬ気で勝ちに行け、できないならさっさと消えなさい。参加する事に意義があるなら、市民マラソンでも走っとけ。それが勝負の世界。本田宗一郎総司令官がご存命なら、エライ事になったでしょう。ホンダの悪夢、と個人的に呼んでる時代となります。 実際、この時期の直後からホンダの歯車は狂い始め、自動車会社としても輝きを失ってしまいますから、まさに負け犬の時代です。

最後が2019年現在まで続く2015年からの第四期。ここでも4年に渡って勝てない負け犬時代が続き、個人的には卒倒しそうになっておりましたが、2019年になって、マックス・フェルスタッペンという非凡な才能のドライバーを得て、現在までに2勝を上げました。半分はドライバーの力によると言っていい勝利ですが、それでも勝ちは勝ち。そしてさらなる上を目指して欲しいと思っております。勝つために走るのがF-1 なんですから、メルセデスやフェラーリの連中の昼飯に下剤を入れるくらいの事は常に考えておいて欲しいものです。そのくらいの貪欲さがなきゃ勝てんでしょう。

といった辺りが基本中の基本。ではさっそく展示を見て行きましょう。


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