さて、今回はもうちょっと詳しくホンダの最初のF-1、RA-271を見て置きましょう。



正面から見たRA-271。カッコいいですな。
車体前部の楕円穴の奥にはラジエターがあります。ちなみにこの楕円形は戦時中、中島で航空機エンジンの開発をやってた中村監督の工夫による、という話があるんですが、どういったメリットを狙ったのかイマイチ不明。

座席はこれも簡素なもので、シートベルトは無し。当時は事故ったらすぐに逃げれるようにと無いのが普通でした。シートベルトが必須になるのはウィング装備による接地圧強化でコーナリング速度が上がり、そのままでは放り出されてしまうようになる1960年代後半以降です。

車輪と車体を繋ぐサスペンションは上がロッキングアーム(アッパー式)、下がI アーム&ラジアスアーム。アッパー式のロッキングアームは支点を介して車体内のスプリングロッドを下方向に押し込み地面からの衝撃を受けます。この辺り、ホンダのサイトなどではダブルウィッシュボーン式と書かれてますが、厳密には別物。
曲がりながら車輪部に繋がってる線はブレーキ操作系のものではないかと思いますが詳細は不明。ちなみにこの時代だとブレーキは車体内にありそこからロッドで繋がった車輪を止めてる、といったスゴイ構造も普通にありますから、現代のマシンからいろいろ想像するのは危険であり要注意。



もっとも原始的なダブルウィッシュボーン(Double wish bone)式サスペンションの構造を説明しておきましょう。単に二重V字支柱、と言えばいいのに、どこかのお馬鹿さんがカッコつけて変な英語のまま日本に定着させてしまったのでややこしくなってます。
ウィッシュボーンと言うのは鳥の胸の辺りにあるV字形の骨の事。そんな骨、鳥を丸焼きで食う習慣がある連中しか判らんでしょう(アメリカのサンクス ギビング デイでは七面鳥の丸焼きを食った後、このV字形の骨を左右から二人で引っ張って折り、より大きな破片を得た方の願いが叶うという占いをやる。ゆえにWish bone 、願い事の骨。…日本人に分かるか、そんな事)。

とりあえず上下に二つ、V字形の支柱を車体に取り付け、その先にタイヤをはめます。どちらも縦方向に稼働できるヒンジ付き状態での取り付けですが、これだけだと何の支えにもないので、斜めにスプリングロッドを付けてこれを支え、同時にここで衝撃を吸収します。これが基本形。ただしスプリングロッドは太いので乱流を生みやすいため、1960年代以降のF-1 ではこれを車体内に収めてます(In board/インボード式)。
内臓構造にはこのRA-271 のようなロッキングアーム式、さらにはプッシュ(押し下げ)またはプル(引き出し)型のロッド式などいろいろあり。全部解説してたら終わらないので興味のある人は各自、調べてください(手抜き)。基本構造さえわかっていれば、そんなに難しくないはずです。ついでに既に見たように、支柱がV型以外のものでも上下二つの支柱で支えるサスペンションをダブルウィッシュボーン式と呼ぶことがありますが、厳密には間違い。



ちょっと低い視点から。
白地に日の丸な塗装はこれが日本の国別塗装(Natiol colour)だから。当時のF-1はスポンサーなどはほとんどなく(そもそもテレビ中継が無いんだから走る広告塔にならん)、各マシンは国別に決められた塗装で走ってました。これはドライバーの国籍による事もあったようですが、基本的にはチームの所在国の色になります。

例えばイギリスは緑でブリティッシュ レーシング グリーン、フランスは青でフレンチブルー、イタリアは赤でロッソコルサ、ドイツは銀でシルバーアローズ(ただし本来は無塗装の金属色だったらしい)という感じで各国ごとに愛称と共に色が決まっており、FIAが管轄する全てのレースで共通でした。ちなみにアメリカは戦後になってから、1950年代に白地に青のストライプが国別塗装となってます(逆の青地に白の場合もあり)。
が、日本が初めて国際レースに参加したのがホンダのF-1ですから、まだ国別塗装に指定がありませんでした。

1964年5月、RA-271の完成を待たずに先行して渡欧していた中村良夫監督はパリのFIAに乗り込みます。F-1参加の手続きのためですが、その中で日本の国別塗装はどうするんだ、という問題にぶつかるのです。本来なら日本自動車連盟、すなわちJAFが決定する事なんですが、そんな手続きを踏んで居たら間に合いません(国際間の連絡は基本的に電報しかない時代だ)。そもそもJAFは設立から1年ほどで、まだまだ当てにならない組織でした。

よって中村さんはホンダの独断で決定するつもりで出国前に本田宗一郎総司令官と相談、黄金の国ジパングなんだから、金色にしようと決めていたのです。ところが金は既に南アフリカが登録済みでした。南アフリカからレースに来るヤツなんていないんだから、日本が使わせて、と交渉したのですが拒否されたため第二候補であるアイボリー・ホワイトを希望します。ところが白は以前ドイツが使っており(おそらく戦後に銀に変えた)、まぎらわしいとこれも却下されてしまいました。第三候補までは考えてなかった中村さんは困るのですが、今度はFIAの担当者が日本なんだから白地に日の丸でどうだ、と提案して来たので、これに決定したのでした(色の名はWhite with red "sun"、白地に日の丸、である)。

ちなみにほんとんど使われなくなった現在でもこの規定は有効で、モータースポーツにおける日本の国別塗装は白地に日の丸のままです。ついでにドイツのメルセデスが銀を、イタリアのフェラーリが赤を使ってるものこれが理由(そもそもシルバー アローズはメルセデスの愛称ではなくドイツから来たマシンの色を指したもの)。

余談ながら日本自動車連盟が使うJAF の略号についてちょっと触れておきます。
Japan Auto mobile Federation の頭文字を取ってJAFなんですが、一般的な国際英語表記の場合、国の頭文字Japna のJにAFだと日本空軍(Japan Air Force=JAF)を意味します(RAF(英空軍)、USAF(米空軍)、IAF(イスラエル空軍)など)。 JAFと聞いて自動車屋を一発で思い浮かべる英語圏の人は少ないんじゃないでしょうか。
そもそもFederation はFederal から来た言葉で連邦(州の集合体)の出先機関を意味します。すなわちアメリカ政府の配下組織といった意味の言葉ですから(王国のイギリスだとRoyal がこれに近い)なんで日本国でこの単語を使ったのか理解に苦しみます。普通にAssociation でいいじゃん。お役人さんのための国家による天下り団体だと世界に宣言したかった底抜けの正直者が設立に関与してたんでしょうかね。

ちなみにアメリカの同様の組織はAmerican Automobile Association、いわゆるAAA。イギリスでこの時代にモータースポーツを管轄していたのはThe Royal Automobile Club、いわゆるRAC。…いや、ホントになんでFederationにしちゃったの?



ちょと後ろから。このRA-271 までは真面目にエンジン全体までカウルで覆われてますが、次のRA-272からはもっと露出が増えます。

車体後部上面に生えてる、支柱で支えたアホみたいに長い排気管は排気効率を上げるための等長式集合排気管(Exhaust manifold 直訳するなら多岐排気)。
1500tで12気筒という無茶なエンジンですから排気は12本。これを3本ずつまとめた集合排気管です(残り二本はカウル下)。高馬力エンジンで理想的な排気効率を得るには集合点までの各排気管の長さを均等にする必要があり、三本の真ん中の排気管を曲げてその長さを調整してるのが見て取れるかと。これを急角度で曲げると排気がキレイに流れなくなって逆効果になり、このためゆるやかに曲げられているのですが、その結果、こんなに長くなったのだと思われます。

ただし最後の排気部分を長くしても意味が無いはずなんですが、何を狙ったんでしょうかね、これ。後の3000tエンジン時代はここまで長くないので、1500tならではの理由があったのかもしれませんが、単にホンダの技術陣の皆さんもよく判って無かっただけの可能性もあります…。

ちょっとだけ集合排気管について説明して置きましょう。ただし私もイマイチ納得できてない部分があるので、あくまで簡単に。
シリンダー内の爆発燃焼が終わるとピストンを押し上げながら上部にある排気弁(バルブ)を開けて排気を行います。この排気が不完全だと燃焼したあとのガスが残ってしまい、これは着火しても燃えませんから出力低下につながります。ところが燃焼室の頂点とピストンの頭は接触はしないので隙間があり、完全な排気はなかなか難しいのです。

この時、排気弁の外から負圧、すなわち吸い込む力を掛けてやる事ができれば、最後の排気もキレイに行えます。その負圧を発生させる工夫がこの集合排気管なのです。排気弁が開く時には負圧を持った波、負の圧力波が排気管内に生じるので、これを集合部で反射させ(排気ガス本体ではなく圧力差が管内の空気を媒体に造る波なので反射する)、排気が始まる別のシリンダーにぶつけるとその負圧により排気が促進されます(各シリンダの着火タイミングは順番にズレて行われるからこれが出来る。このズレに正確に対応するために排気管は等長に揃える必要があるのだ)。これが集合排気管の原理です。ただしこの時代でどこまで正確にこの原理が理解されていたのか、微妙なところもありますが…

運転席後ろの上部カバーに見えてる穴から出てる突起部は恐らく燃料の給油口。
この時代のリア・ミッドシップでは運転席周辺にゴム袋を入れ、そこに燃料を積んでました。RA271 も同様な構造で、シートの両脇、ドライバーの膝の上と運転席後部に六つのゴムタンクを積む設計としています。
ちなみにシャシー設計担当の佐野彰一さんによると、そもそも完走するには燃料が足りかなった可能性があるのだとか。燃料タンク間の接続がキレイに繋がっておらず完全に最後の一滴まで使えない上、実際のレースの経験が無いのでどれだけ燃料が要るのかも判らなかったのでかなりの不安があったそうな。
この点を監督の中村さんに伝えてると、それでもいいからレースに出るんだ、と押し切られたのだとか。そして幸か不幸かRA-271は全戦リタイアで終わったため、この欠点が露呈することはありませんでした。

ちなみにレーシングカーに使えるような頑丈なゴム袋が設計開始の1963年の段階では日本には存在せず、このため横浜ゴムが自衛隊のF-104 用に製造していたものを流用する事になりました。これは防弾ゴム、漏洩防止式なので(穴が開いて燃料が漏れると溶けてそこを塞ぐ)九層もの積層で死ぬほど重く、なんとか二層構造にまで減らしてもらったものの、それでも1pもの厚みがあり、予想外の重さになってしまいます。ただし信頼性はあり、後にホンダも薄いゴムタンクに変えた所、ゴムが内部で剥離してエンジンに繋がるパイプを塞いでしまう、というトラブルに見舞われました。これは分厚い横浜ゴム時代には無かったトラブルだったのです。

これ以外にも適当な材料が無かったり、本田宗一郎総司令官の完璧主義と、そもそも四輪レーサーの経験の無さから必要以上に頑丈に造ってしまったりで重量増はとどまるところを知らず、最終的に525s(燃料、オイル抜きで)にもなってしまいました。F-1には過度に軽量化して危険にならないよう、最低重量の取り決めがあるのですが、当時のこれが450s。通常はこれにプラス10s程度で収めるのですが、ホンダはプラス75s、すなわち他のマシンより60s、10%以上も重いという致命的なハンデを持つことになります。事実上、もう一人ドライバーを乗せて走るようなもんですから、無茶な話です。走る前から、競争力はほとんど無かった、とも言えます。

ちなみに重量が効いてくるのは加速、減速、そして高低差ですが、加速が遅ければ同じ長さ差のストレートでも最高速に達する前に終わってしまう可能性が大きくなるので最高速でも不利です。さらに減速でも質量が大きいほど、その慣性を止めるのは困難になる、つまり重いほど止まりにくくなりますからこれも不利となります。これは他の車より先にブレーキを踏まないとカーブで飛び出してしまう事を意味し、そして先にブレーキを踏む以上、決して相手より速くカーブを曲がれない事を意味します。さらにブレーキの負担も大きくなりますから、これも危険です。レースの基本、速く走る、素早く減速する、素早く曲がるのどれもできないのですから、重いというのは極めて不利なのです。

ついでに意外と見落とされがちですが、高低差にも不利です。
坂を上るには重いほど力(トルク)が必要であり、同じ力なら重いほど遅くなります。ちなみにサーキットは意外に高低差がありまして、立体交差まである鈴鹿だと一番低い第一コーナーと一番高いスプーンカーブでは約50m、ビル10階分以上の高低差があります。非力な車で鈴鹿のサーキット走行に行くと地獄を見る理由がこれです。
ついでにベルギーのサーキット スパ・フランコルシャンは高低差104m、25階のビルに近い落差があり(横浜マリンタワー&大阪通天閣の高さにほぼ等しい)、無茶苦茶だという感じすらします(ちなみに電撃戦のふるさと、アルデンヌの森の中にある)。これがF-1に登坂能力が求められる理由です。逆にイギリスのシルバーストーンのようにほぼ真っ平らなサーキットもありますが(こちらは第二次大戦時の飛行場跡)、それでも重い車は基本的に不利と思っていいでしょう。


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