アコードCVCC。
シビックより一つ上の車、として1976年5月に発売され、これも大ヒットとなります。特にアメリカではこちらが主力商品となり、以後はホンダの顔というべき車となりました。
1976年における発売から半年だけで5万3千台が売れたとされますから、これはシビックの倍以上のペースであり、ホンダとしては二連続大ヒット、という事になったわけです。翌年の販売台数は約8万台とややペースダウンしますが、それでも2年目の販売台数としてはシビックと互角でした。これでホンダは完全に四輪車メーカーとして足場を固めたと言っていいでしょう。

シビックの成功で四輪車のメーカーの足掛かりをようやく掴んだホンダが、軽と小型車以外のラインナップという事で開発を始めた車がこのアコードでした。
その直前まで新開発の2000cc 6気筒エンジン(川本さんの設計)を積んだ全く別の高級セダンの開発をホンダは行っていたのですが上手くゆかず、かつ完全にゼロからの新型車を開発するだけの資本の余力がまだホンダにはありませんでした。このためシビックの部品を流用して、低コストで一回り大きなクラスの車を造ってしまおう、と方向転換、1974年夏ごろからアコードの開発が始まったようです。
その開発の総責任者、LPLにはシビック発売後にアメリカに渡っていた木澤博司さんが呼び戻され、再度指揮を執っています。この辺り、シビックをよく知ってるからそのパーツの流用の新車開発を上手くやれるだろう、といった判断もあった気がします。

ちなみに当時の大衆車としては珍しい、パワステが最上級のEXに搭載されたのですが、これは引退後に研究所に顔を出した本田宗一郎総司令官がたまたま試乗し、ハンドルが重いと文句をつけた結果らしいです。総司令官、こういった「細かいチェック」は引退後もやってたみたいですね。
でもって、ここでまたお役所VS本田宗一郎総司令官の戦いが始まり、当時の運輸省が、小型車にパワステを付けるとハンドルが軽くなり過ぎて危険だ、と物言いをつけて来ます。今からするとどんだけ頭の悪い役所なんだ、というタイプのイチャモンですが、役人が馬鹿な時代と言うのはそんなものです。この時は最終的に運輸省の審査部長に実車に乗ってもらい、文句の付けようがないことを確認させて、認可を取ったようです。

ただしシビック用のCVCCエンジンから100tだけ排気量を上げた“開発費のかからない”低コストなエンジンだったため、最大でも80馬力と17馬力しか違いません。車体が大きく重くなってる事を考えると走りの上ではむしろ性能低下してたような気もします(そもそもシビックのCVCCエンジンは小型の水冷エンジンとして1000tで開発が始まり、それが市販時の1200tとなり、さらにCVCC用の1500tと無理を重ねていたので、1600tではシリンダーヘッドにボア(シリンダーの直径)を増やす余裕がほとんど無かった。この結果、超ロングストローク(93o)と言うホンダらしからぬエンジンとなり高回転では振動が凄まじく実用にならない。アコードに当時は珍しかったオーバードライブ仕様があった理由の一つが高速運転中の回転数を低く維持するためだった)。

ちなみに1978年9月にに1800t型が追加されましが、エンジンは新設計ではないはずで、かなり無茶をしてる1600tからさらに200t、どうやって確保したのか、資料が全く無いのでよく判りません。S500〜800で1.6倍まで排気量アップさせていたホンダですが、このCVCC系のE型エンジンでは最大1.8倍まで拡大したわけで、ちょっとスゴイ気がしますね。



いや、懐かしい1981年11月発売のホンダ シティ。
当時の大ヒットマンガ、ドクタースランプにやたらと登場してた車でもあります。みどり先生の愛車ですし。左の車体は1984年に追加されたカブリオレタイプ。今気が付きましたが、カブリオレはドアミラーなのか。展示にはありませんでしたが、1982年2月にはシティ ターボが発売され後のターボ車ブームの先駆けになってます。

シティが車名ですが個人的には ホンダ シティと呼ぶのがしっくりきます。
当時としては異常と言っていい背の高いデザインの車で、これの大ヒットによってホンダは若者に人気の自動車メーカー、という地位を打ち建てる事に成功しました(2010年代以降はそんな印象、微塵も残って無いが)。
当時の和光研究所で平均27歳という若いチームが開発したもので、社内でも賛否両論がありながら販売に踏み切られた車でした。結果的には発売から2年で15万台を売り、これはアコード、シビックと並ぶ大ヒットとなります。

1200t、65馬力とそこそこのエンジンで、675sという軽い車体を動かしたのでそれなりにキビキビ走ったようです。
ちなみに屋根が無いカブリオレの方が軽そうですが、実は逆で、こっちの方が800sと125sも重くなっており、走りの面では当時からカブリオレはヒドイと言われてました。屋根を取ったため下の車体部だけで剛性を確保する必要があり、補強により重くなってるようです。

ちなみにカブリオレはホンダでも設計の経験はなく(Sシリーズの幌はちょっと違う)このため例のピニンファリーナに車体後部と折りたたみ式の幌部分の設計を依頼してます。
ところが幌を折りたたむと後ろが見えなくなるほど高い位置に来てしまうデザインが上がって来て、これに驚いたホンダ側で大きく設計変更を行うハメになっており、実際はホンダとピニンファリーナの合作、とでも言うべき車になってます。



今でも一部で人気のモトコンポ。
折りたためる50tバイクですが、もともとはこのシティの荷物室に載せて移動できる小型バイクとして同時発売されたもの。このため、ハンドルとシートは下の車体内に畳んで収納ができます。ホンダによるとトランクバイク、という分類だそうな。

当時はあまり人気が無く、私も走ってるのを見た事がないんですが、製造打ち切り後に人気になるという例のパターンで、今ではプレミア付きで中古が売られてますね(発売当時の価格は8万円ちょっと)。



最後は汎用エンジンとしてホンダが進出した農機具の展示。
これも藤沢副社長の発案で、二輪から四輪に進出する時期に、ホンダは農機具にも進出、今でも続いているのでした。しかも赤い塗装で(笑)。
意外にオシャレでして、これタイヤを変えれば街乗りにも使えそうな気が。

といった感じで、市販車部門の紹介はオシマイ。ホントはまだまだ展示車があったのですが、私はよく知らない&興味がない車は全て省略とします。でないと永遠に終わらないレベルの情報密度なのですよ、この博物館。
なので後は二輪と、そしてグランドフィナーレにして死闘となるであろうレーシングカーですな。フフフ、ここまで来たなら、もう行く道行くぜ。


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