■沖縄で考えた事




産まれて初めての沖縄旅行に行ってきました。

私の周囲には沖縄好きが多く、ダメ人間兼コックは家族連れで数えきれないほど訪問してますし、
地雷映画男はその地味なキャラクターに反して異常なまでの沖縄好きです。
さらにイトコの一人は沖縄好きが高じて結婚式を沖縄のリゾートホテルで行い、
関東一円の親戚一同からひんしゅくを買いました。

が、そういった環境下でも、私は一度も行った事がありませんでした。
興味が無かったわけではないのですが、都市文化が好き、という面が私にはあるため、
都市文化圏の無い沖縄に強く魅かれなかった、という面が大きいと思います。

が、沖縄は世界でほぼ唯一、日本語を話す異文化圏です。
琉球地方は本来日本とは言語が違いますし、文化圏も異なります。
インド・ヨーロッパ系言語、中国語では同一言語を話す異なる文化圏は
それほど珍しいものではないですが、日本語圏内ではここだけでしょう。

明治以前の沖縄の言語は、あきらかに日本語ではありません。
ただし、中国語とは全く文法が異なるので、日本語、朝鮮語と同じ体系の言語で、
北から渡って来たものなのは間違いなく、民族的には日本系なのですが
それでも言語が異なる以上、異文化と言っていい世界です。

さらに仏教がほとんど入り込まなかったので、墓地などが日本本土とは全く異なり、
土葬でも火葬でもない風葬という風習が根強くあった地域でもあります。
(遺体を小屋の中に入れ、12年前後放置した後、遺骨を洗って大きな棺に入れる)
他にも家屋の構造、特に屋根瓦とか家畜部屋などは中国南部の強い影響を受けており、
これも日本とはかなり異なるものとなっています。
興味深い一帯ではあるのです。

ここでせっかくなので、ちょっと脱線しておきましょう。
まずは欧米系&中国語の文法を確認。

主語+動詞+目的語

■例
I LOVE YOU(英)
我愛你(中)

ですね。

琉球語はこれではなく、
日本語と同じ世界的には少数派である動詞が最後に来て主語の省略が可能な文法です。
すなわち、

(主語)+目的語+動詞

■例
(私は)あなたが好き
(主語無し)うんじゅが(あなたが)かなさんどー(好き)

になっています。
よって、文法的には日本語とほぼ等しいのですが、ほとんどの単語が日本語と異なり、
さらに名詞の複数形や動詞の活用が異なるので、方言と言ったレベルではなく、
これはもう他言語と思っていいでしょう。

この辺りはポルトガル語とスペイン語、イタリア語とフランス語のようなラテン語系言語、
それってほぼ方言じゃないの、という言語系に似ています。
(余談だが、以前4か国語を話す、というフランス人に会ったが、聞いてみたら、
母国語+スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、であり、それって方言じゃねえか、と呆れた事が。
ヨーロッパ系の連中の数か国語話せます自慢は、日本人の感覚とは全く別なので要注意。
あんなの話せてあたりまえだろうが。アホか、という世界なのです)

そういった意味では沖縄は非常に興味深いのですが、明治期以降の標準語化運動、
さらに戦後のアメリカ占領で、この辺りはかなり薄れてしまった印象があり、
それもまた私が沖縄行きを躊躇していた理由の一つでした。

が、今回、地雷映画男が、私が沖縄の魅力を案内しますぜ、と言ってきたこと、
当サイトの読者のK山さんが、一度来てはどうですか、嘉手納基地の中とか案内しますよ、
と声を掛けてくださった事が切っ掛けとなってその訪問に踏み切ったのでした。

ちなみに地雷映画男の沖縄知識は極めて怪しいことが現地入り後に判明するのですが(笑)、
後にダメ人間兼コックからもらったアドバイスも全く的外れであることが判明、
二度や三度なんて回数で無いほど沖縄を訪問してるのに、
どいつもこいつも、なんでこんな連中ばかりなのだ、と驚く事になります。

この辺りは、リゾート地としての沖縄に魅かれる連中は沖縄の土地そのものに興味が無いから、
というのが徐々に判明して来るのですが、この点は本編でまた少し触れましょう。



沖縄本島の位置関係を理解するのに大変有用な、那覇空港にあった展示。
そこに1600q、ほぼ那覇から東京までの距離に等しい円を入れて見ました。
メルカトル図法なので、必ずしも距離は正確ではないのですが、それでも上海などの中国南部はもちろん、
香港、そしてフィリピンのマニラ、さらには韓国のソウル辺りまでが東京より近いのが判るでしょう。
特に中国経済の心臓部、上海、南京、深圳一帯をジェット機で片道2時間以内に入れてしまってる事から、
現在のアメリカにとってここが最前線基地だ、というのが判ります。

逆に最前線過ぎて下手に中国を刺激しないため、現在は爆撃機もステルス機も配備されてませんが、
それでも嘉手納のアメリカ空軍、第18航空団(18th Wing)は空軍最大の航空団であり、
配下にはF-15Cの2個飛行隊(第44、第67飛行隊)、計36機のF-15Cを抱えています。
さらに練習型のF-15Dを含めると、48機前後の機体がここに居るはずです。
ちなみに2018年現在、アメリカ空軍が運用するF-15は単座のC型が210機前後、複座のD型が20機前後なので、
アメリカ軍のF-15C型の1/6、D型に至っては1/2がここに居る計算になります。

さらに那覇空港には空自の第9航空団の2個飛行隊(第204、304)のF-15も居て、
こちらも約40機のF-15C&Dを持ってます(複座、単座の機数の比率は確認できず)。

すなわちこの沖縄南部、わずか20q四方の一帯に、日米合わせて90機近いF-15が密集しているのです。
これは凄まじい密度であり、おそらく世界最大のF-15の営巣地でしょう。
F-15が見たければ沖縄に行け、という事なのです。実際、一日を通じて、常にどこかでF-15が飛んでました…



本島上空でよく見るのは米軍のF-15ですが、那覇空港周辺では空自のF-15も見れます。
1日中居れば、かなりの回数のF-15が見れるのです。
産まれてから5回くらいしか飛んでるF-15を見たことが無かった私ですが
この旅行中に軽く飛行目撃件数が2ケタを超えました(笑)。

ちなみにアメリカ空軍のF-15は滅茶苦茶な飛び方をしており、腕がいいのか、バカなのか判断がつきませんでした。
かなりの高度で飛んできて、脚を出したまま急降下急旋回で速度と高度を殺して機首上げ着陸、そのままエアブレーキを開かず、
前脚を上げたまま、後輪だけで滑走路の半分近くまで走って速度を殺してから前輪を接地させてました。
エアブレーキ無しの着陸が可能なのは嘉手納の3700m級滑走路ならではなんでしょうが、よくやるなあ、と思う。



それ以外の旅客機なども撮影に向いた地点が無数にあり、そういった趣味の人にも楽しいと土地だと思われます。
LX-100じゃそういった撮影には向かないので、私はそれほど興味をひかれませんでしたが。

とりあえず沖縄は東アジアの中心点と言っていい場所に位置しており、
戦後、この重要性に気が付いたアメリカはその航空基地の整備を押し進めます。
そして後に朝鮮戦争でその重要性を痛感し、さらにベトナム戦争でそれを再確認する事になるのです。

このためアメリカはベトナム戦争のメドがついてしまった(勝てそうも無いと判った)ラインバッカー作戦が始まる
1972年5月まで沖縄の占領を続け、これを日本に返還しませんでした。
(翌1973年1月にベトナムから撤退する)
すぐ北のトカラ諸島、奄美群島などが1953年には返還されたのに、
基地があった沖縄はさらに20年近く占領が続いたのはこのためです。
ちなみに小笠原諸島も1968年まで返還されませんでしたが、こちらも占領時代には米軍基地があり、
これまたアメリカ海軍により核爆弾貯蔵庫まで持っていたのです。
(後に返還後も1990年代までアメリカ沿岸警備隊が航法電波局、ロランCの基地を維持していた)

この辺りも旅行記で少し触れるかもしれません。


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