■沖縄の米軍基地

とりあえず、ここでちょっと脱線。
基地の島、と言われる事が多い沖縄ですが、戦争直後はさらに凄まじく、
現在の普天間、嘉手納の北にさらに二つの巨大航空基地がありました。

それが今回の記事中で触れた読谷、そしてボーロ基地の二つです。
これを国土地理院が公開してる航空写真で確認して見ましょう。


出典:国土地理院ウェブサイト *必要な部分をトリミングして使用



終戦直後、1945年12月の読谷から残波岬周辺の航空写真。当然、米軍の撮影です。
画面中央にあるのがかつての日本海軍 読谷飛行場で、
7000フィート(約2130m)滑走路を二本持つ巨大な航空基地に改造されてしまっています。
(斜めに走ってるのは日本軍時代の三角滑走路の名残だが間もなく使われなくなる)

その左上、残波岬の南側に見えてる飛行場がボーロ航空基地で、B-29の運用を前提としたここは
7500フィート(約2286m)滑走路を1本持っていました。
建設中に日本が降伏してしまったためこの状態で工事終了、間もなく基地としての機能は失われるのですが、
本来はさらに巨大な規模になっていた可能性もあります。

さらに写真のすぐ南には嘉手納基地もあるのですから、この沖縄中心部の平野地帯は
全て航空基地で埋め尽くされている、という状況だったのです。
沖縄戦の終結からわずか半年でこれだけの巨大基地を
バンバン造ってしまうアメリカ軍恐るべし、という所でもあります。



モノクロですが、21世紀になった後、2002年1月撮影のほぼ同じ地域。
早くから基地としての機能を失っていたボーロ基地は沖縄日本返還後、1972年から1976年にかけて
順次返還されたため、この時期にはほぼ痕跡すら見えなくなってます。
対して、返還後もかなりの面積が2007年までアメリカ軍の管轄下にあった読谷周辺は
未だに基地の痕跡を感じる滑走路跡が残ってます。

この一帯は2018年12月の段階でも首都圏の埋め立て地のような、何もない原野のような土地が広がり、
最初にここを車で走った時は、大規模工業団地でも造成しようとして失敗したのか、
と思ってしまいました。
ちなみにこの主滑走路跡はまだ残っています。

沖縄をウロウロしていて、なんか変だぞ、という場所は後から調べると元米軍基地、
という土地が意外とあり、これは思った以上にすごい事になっていたのだ、と痛感しました。


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