■そして海軍壕へ



海軍司令部壕の入り口には資料館があり、まずはここの見学から始まります。
ただし基本的には沖縄戦の歴史をパネル展示しているだけなので、ここでは詳しくは紹介しませぬ。
右に見えてるのは沖縄に向かう途中に沈んだ、という事で戦艦 大和の模型です。

この展示の奥に地下壕の入り口があります。



地下壕の構造はこんな感じ。
先に見たアメリカ陸軍の資料でも、沖縄戦を通じで最大の壕の一つであった、
と述べられているだけあって、かなりの規模の地下壕となっています。
ざっとで全長500m、このうち現在はオレンジ色に塗られた約300mほどが公開されいます。
ほぼ人力だけで掘られたようで(発破はやったと思うが)、
地元の人たちがかなり酷い労働に駆り出されたのでしょうね。

とりあえず、かなりの広さではあるのですが、
米軍がこの一帯に来た時、内部には最低でも2000人、
一説には4000人近い人員が居たとみられますので、
実際はぎゅうぎゅう詰め、という過酷な環境だったと思われます。
(壕1mに対して最大8人の人間が置かれる事になる)

アメリカ海兵隊がこの壕内に突入したのは小禄攻撃開始から11日目となる
6月15日で、壕内で自決していた大田少将、
そして200名近い戦死者が中で発見された、としています。



階段で壕の中に入るのですが、丘陵の頂上にあるこの入口からだと
かなりの距離を下ることになります。
前を行くのは前回見たアメリカ兵の皆さん。



…なかなか壕の入口にに着きません。
ついでにこの階段、キレイ
すぎますから戦後に改修されたものでしょうが、
本来ならどんなものだったのか、ちょっと気にもなります。



ようやく壕に到着。右側にある壁の穴は無線機などがあった信号室に繋がる通路。
入って見ましょう。


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