■日本とは思えぬ



すぐに石壁が見えて来ました。
これは外壁で、この奥に庭のような場所があり、その奥に玉陵本殿があります。



そこの門。
なんかタイとかインドとかの石造建築を思い出す。
日本でこれだけ本格的な石造建築を見るとは、とちょっと驚く。

ちなみに、ここも沖縄戦の時の首里城攻撃に巻き込まれました。
が、現存する写真で確認する限り、
奇跡的に周囲の石垣はほぼ原形を留めて残っていたようです。
ただし、この門は完全に破壊されていたように見えますから、
これは1974年からの復元工事で造り直されたのでしょう。

が、戦前の写真とは明らかに形が異なっており(上面は左右の壁とツライチで凸型では無い)、
どういった根拠でこの形にしたのか気になる所。

.

その門をくぐって中庭へ。

ここは隅っこの方に石碑などがある以外何もありません。
葬儀時の儀式に使った空間かとも思うのですが詳細不明。
そして、これは思った以上にデカい墓所だ、と再び驚く。
ちなみにこの建物はほぼ正確に真北を向いており、なんか中国っぽいと思ったり。
(道教では北の北斗七星が死を司る)

そして、ここは尚さん一家のお墓なので、明治以降も何度か実際に葬儀が営まれ、埋葬されてます。
最後は維新後の尚王家の当主、尚典が1920年(大正9年)に死去、ここに埋葬され、
なんとその14年後の1934年(昭和9年)に
白骨化した遺体の洗骨と、骨壺に入れての再度の埋葬が行われています。



その庭に残っていた石碑。
この墓所は1501年に建立されたのですが、その時に建てられたもので、
このお墓に入る資格を持った人物の名前が8人、刻まれています。
もっとも、そんなの無視して、歴代王様が次々と死後、ここに埋葬されちゃうのですが。



こちらが墓所の正門。
これは沖縄戦でも完全には崩壊しておらず、かなり原型を留めていると思われます。
ちなみに屋根瓦まで石。
ここは宮殿を完全に石造りで模したもので、死後の宮殿、という位置づけのようです。
この辺りも日本離れした発想だな、と思う。やはりここは異文化の土地です。


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