■そして首里城城内へ



さて、ではいよいよ首里城の中に入って行きますよ。
だいたいの構造は例によって現地の案内板で確認しましょう。ちなみにこの図では上が南なので注意。
ここも丘陵の頂上部で、画面右、西側の那覇港から続く坂道が右下にある守礼門に通じ、そのまま宮殿部へとつながります。

城の規模から行ってしまえば、戦国期の日本本土の大型城塞とは比べものにならないほど小さいのですが、
丘陵の上、という事でかなり実戦的な構造になっており、ああここも山城だなあ、と思わされる部分が結構ありました。
ちなみに前回の繰り返しになりますが、ここの構造物のほぼ全ては再現建築です。
よく出来てはいるのですが、資料性はあまり無いと言わざるをえず、今回の記事ではあまり深くは突っ込みませぬ。



守礼門から宮殿部につながるルートは二つあり、こちらが正式な順路らしい歓会門(かんかいもん)。
もう一つ、この南にごく小さな木挽門(こびきもん)があります。

ちなみにペリーが首里城を訪問(というか半ば強引に押し掛けた)した時、宮殿に至るまで二つの門があった、
としてるのですが、実際は守礼門、この歓会(かんかい)門、そして瑞泉(ずいせん)門、最後の廣福(こうふく)門の四つがあります。
おそらく当時のアメリカ人、ペリーの感覚だと守礼門を門と認識しなかったと思われますが、
それでも三つあったはずで、当時はどれかがすでに崩壊していたのか(琉球王朝は貧乏だった)、
あるいは最後の廣福門は木造なので、これを門と認識しなかったのか。



その先はこんな感じ。
城壁は基本的に二重構造で、左が外壁、右が内壁です。



その先で右に曲がると上に見えてくるのが瑞泉門。
意外に、高低差あるなあ、というのが首里城の第一印象でした。



その瑞泉門から那覇方面を振り返る。
座喜味城、中城城に続き、ここでも海が見えるのです。
やはり城は海が見える場所、というルールがあったように思うのですが、なぜかは判りません。



これが廣福門。
この先が宮殿前の庭というか広場になってます。


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