■静かなる住宅



建物には中庭があります。これも石灰岩の石畳みで、ちょっと中国風な構造。
ご覧のように全ての建物に屋根瓦がありますが、琉球でも瓦ぶきは支配者階級のみ許されたものでしたから、
これも明治期以降に乗せられたモノです。本来は茅葺屋根だったはず。



健さん、否、高倉。
といっても下部分も利用されており、二階建てとなってます。こういるのもあるんですね。
湿気を避けれる二階が、穀物庫になってたとされます。
ちなみにペリーは那覇周辺には、かなりの田んぼがある、と日記に書いてます。



屋根の上のシーサーがいい味出してました。
ちょっと欲しいな、これ。



でもって、ここは中にも上がれます。もちろん行きますぜ。



中はこんな感じ。いい感じです。
あ、畳張りじゃん、と思ったんですが先にも書いたようにこの辺りは恐らく明治期の建物であり、
他の家屋も同時期に大幅改修を受けてるようなので、
果たして琉球文化に畳があったのか断言はできませぬ。
少なくとも靴を脱いで家に上がる文化ではあったようです。

ただしこの点を地元のK山さんに確認したら、そもそも明治位まで普通の人は裸足だったから、
土間と上間の区別があったかは極めて怪しい、との事。
よって、この辺りも一部上層階級のみの文化だったのかもしれません。
というか、やはりこの日本風の家はかなり特殊な例なのだ、という気がします。

…障子はどうなんだろうなあ、これ。


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