■来たぜタージ・マハル



あれが正門です。
ここまではタージ・マハルの正面にある外部庭園となります。



そしてここにもサル。



でもってこれが正門。正門だけで、なにこの巨大さ(笑)。
東大寺の大仏殿とかは日本的なスケールのデカさに過ぎないんだなあ、と思ったり。

これも例の赤石ですが、白い部分は大理石のようで、赤石の中にこれを埋め込んでます。
…なにその考えただけでウンザリしそうな手間のかかる構造…



正門から、タージ・マハル本体が見える。
おおおお、あれが。つーか、思った以上にデカいな。

ちなみにの施設は正確に南北を向いていて、その北部にある白亜の殿堂は
正門側から見る限り、一日を通じて逆光になる事はありません。
これ、計算ずくでやってるんでしょうね。



おお、ついに来たぜタージ・マハル。
大興奮で、kobikkyさんに待っていただいて、ここでしばらく写真を撮影。

あまりに有名な施設なので、解説は要らん気もしますが、最低限の事だけ書いて置くと
1650年ごろに完成した墓廟で、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハンの奥さん、
ムムターズ・マハルのために建てられたモノ。
ただし彼女だけの廟ではなく、最終的にシャー・ジャハンもここに葬られてるので、
シャー・ジャハン皇帝夫婦の墓地となっています。

ちなみにタージ・マハルの意味は実は定説が無いらしいのですが、
最初に葬られたムムターズ・マハルの名前が訛ったもの説が有力だそうな。

完成年度で見ると日本の日光東照宮とほぼ同世代で、
世界的にこういったクドイ建物が墓廟として同時期に建てられた辺り、
ユングの言う所の偶発的同時性(Synchronicity)の興味深い一例かも知れまぬ。

ついでに19世紀のイギリス人にとってもこの建物は驚異の存在だったようで、
多くの書物が残ってますが、これらを読むと当時のイギリス人がいかにバカかよく判ります(笑)。
興味のある人は調べて見てください。


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