■インド空軍博物館 機体展示ハンガーへ




さて、ではいよいよ機体展示を見て行きましょう。
この博物館の機体展示はハンガーと、屋外展示が二か所に別れます。
写真はハンガー展示部。
改修前、2000年代のタイ空軍博物館とそっくりだなあ、というのが私の感想でした。
ちなみにこの博物館のWebサイトは貧弱の一言なんですが、その代わりインド空軍のサイトに
異常なまでの詳しい情報があったりします(一部の機体のみだが)。

展示の機体のコンディションは、残念ながらかなり悪いです。
アタリはずれがありながらも、一定のコンディションを維持してる
タイ空軍博物館とはレベルが違う、という感じではありました。
よって基本的は雰囲気を楽しむ、という博物館になってます。
それでも貴重な機体をさりげなく所有しており、意外に侮れない部分もあります。

ついでに日曜日ということもあってかお客さん多かったです。
ただ外国人は私たち以外、最後まで一人も見かけませんでした…

では、さっそく見て行きますか。



ウェストランド ライサンダー III A。
極めてマイナーな機体ながら、ロンドンのRAF博物館、
スミソニアンのウドヴァーハジー、そしてこのインドと世界中で見れる不思議な機体です。
第二次大戦が始まる前からインドに送り込まれ、最終的に225機が配備されてます。
戦争が始まると日本軍相手に爆撃任務までこなしております。
これらはインド人が主となって運用し、確かにインドと縁のある機体なんですが、
終戦までには殆ど損失、残りもイギリスに撤退してるので、
独立後のインド空軍では一度も使われてません。

なのでこの展示の機体は1960年代に当時ようやく運用が終わった(笑)
インド空軍のB-24をカナダの航空博物館が欲しがり、
これと交換する形で手に入れた、というのが真相のようです。
当然、このインド空軍式の塗装はデタラメです。独立後は配備されていた事すらないんですから。

本来は前線用の多用途機で着弾観測、連絡、偵察、秘密工作員の運搬などに使われた、
すなわちドイツのFi-156シュトルヒのような機体なんですが、
ご覧のように呆れるほど巨大で、乾燥重量で約1.9トン、ほぼゼロ戦と同じ重さがあります。
この手の機体としては馬鹿じゃないの、という重さで、使いにくかったんじゃないかなあ…
この大きさを活かして(?)脚部に爆弾まで積めたんですが、
まともな照準器があったわけでも無く、当たらないでしょう、それ…。

さらに余談ながら、この機体はドイツ電撃戦の時にフランス本土に送られており、
ダンケルクの撤退戦に合わせて最後は引き上げました。
170機送り込まれた内、生還したのは50機のみ、という話があるので、
かなりタフな使われ方をしていたのでしょう。



ホーカーハリケーン。
サブタイプの記述はないのですがおそらくMk.IIでしょう。
これも大戦中にインドに配備され、日本軍と戦った機体であり、
王立インド空軍、つまりイギリス植民地時代のインド空軍で唯一、公式撃墜記録を持つ機体でした。
1944年2月15日に日本陸軍の隼を一機、撃墜したとされています。

ハリケーンも独立後のインド空軍で使われた事はなく、当然、塗装はデタラメです(笑)。
展示の機体も1975年にこの博物館に出現したのが確認できるものの、
どっから来たのか、全く謎となっております。
時期からして、これもカナダ経由の可能性が高いですが。



これもサブタイプの記述が無いスーパーマリン スピットファイア。
グリフォンスピットで、よくある偵察戦闘機、FR Mk.XIV(14)だと思ってたんですが、
どうもこれ戦後生産型のFR Mk.XVIII(18)ですね。
XIV(14)の性能強化型で主翼をほぼ新造した機体なんですが、
300機前後しか造られておらず私は初めて現物を見ました。
ただし、保存状態はボロボロですけどね…

ちなみにこれは独立後のインド空軍が使っていた機体で、
独立直後の1947年から50年代末まで使用されてました。
この時代のインド空軍の主力機は230機前後が配備されてたテンペストIIなんですが、
グリフォンスピットも130機前後が運用されていたのです。


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