■これがノースロップ式ステルスだ

さて、ここからはノースロップ式のステルス実験機を見て行きましょう。
ロッキード式ステルス実験機のハブブルー(Have blue)は全機事故損失で現存しないので、
ステルス関係の実験機はノースロップ関連ばかりとなります。

両者は全く異なる技術によるのですが、その辺りは「F-22への道」で解説したので
興味のある方は、そちらを見ておいてください。



というわけでノースロップ社式ステルス実験機、タシットブルー。

妙に縦長なのはBattle field Surveillance Aircraft Experiental (BSAX)、
すなわち戦場監視実験航空機用に開発されたステルス実験機だからで、
機体内には地上部隊観測用の対地レーダーが入るスペースが確保されてるのです。
ただし、BSAX計画は最終的にキャンセルされ、このステルス技術だけが後のYF-23やB-2爆撃機に受け継がれます。

ちなみにこの程度の高さからでは見えませんが、
レーダー波を盛大に反射するエンジン用の空気取り入れ口はクジラのごとく背中の上に穴が開いてます。
上からはレーダー波はほとんど来ない、という前提の下の設計ですね。

Tacit Blue は「沈黙の青」といった意味で、ステルス実験機らしいネーミングです。
ロッキードの実験機はハブ ブルーでしたから、ブルーしばりのルールがあったのかも。
これはロッキードのステルス実験機、ハブ ブルーから遅れる事2年ちょっと、1982年2月に初飛行した機体ですが、
(ただしF-117と比べるなら8カ月しか違わないが)
ノースロップが独自に開発したステルス技術が採用されてるのに注意が要ります。

B-2爆撃機のステルス部分開発責任者となった
元ヒューズ社のレーダー技術者、ジョン・キャッセン(John Cashen)が、
ノースロップにおけるステルス技術の開発について、大筋で次のように回想しています。
「レーダー電波の反射を分析できるようなコンピュータがあれば使ったろう。
でも当初はそんなもの無かったから、経験と従来の道具を使って実験的に開発を進めた」
つまり、彼らは自分の経験と勘でこの形を生み出したのであって、ロッキードのように厳密な
数学的な理論に基づいて機体設計をやったわけでは無いのです。

が、結局、F-117式のカクカクステルスはあの機体だけで事実上終了、それ以降のステルス機は
全てノースロップ式の滑らかな構造になって行きます。
なのでこの機体が、現在に至るまでのステルス技術の元祖、と言っても過言ではありませぬ。

ノースロップ式ステルスのアイデアは、上記のキャッセンが元レーダー屋だった事もあり、
実際にレーダーは何を見てるのか、という事への対策から考えられました。
平面や凹凸が最大の反射源であり、滑らかな局面が最もレーダー波を反射しない、というのがポイントで、
このため機体全体を凹凸の無い滑らかな局面で構成する、というのがその解決策となります。
すなわち真っ平らな平面を造らない、そして各面の接合部は滑らかに組み合わせればいい、と言う事。
単純な平面、鋭角の尖がった面の接合部分がステルスの敵である、というわけです。

よくある機体断面が円筒形、あるいは楕円形のものだとカーブがきつすぎてダメで、
もっと緩やかな角度の曲面で構成された六角形断面(横幅の広い鉛筆のような形)にして、
面の繋がる部分を滑らかに接合すればいい、という事は判っていました。

が、横長の六角形断面の真横の部分が問題で、
この横の部分がどうしても鋭角につながる事になるのです。
これは最もレーダー波を食らう真横側で盛大に反射が起きる事を意味します。

さて、どうするか。
とりあえず、この点の担当だったフレッド・オシーラ(Fred Oshira)は、常にねん土を持ち歩いて、
思いつく限りの形状を検討してたのですが、解決策は見当たらず、
最後は家族サービスでディズニーランドに行ってまで、ねん土をコネクリ回してました。
でもって、そこでオシーラは曲面で構成された接続部を薄く外側に引き延ばせばいいのだ、
と突然ヒラメくのでした。どういう事?というとこうい事です。



馬鹿みたいに単純な話ですが、これがステルス技術の突破口になりました。
ちなみに厳密にこれを数学的にやると意外に面倒なので、単純な話とも言い切れないのですけども、
コンピュータによるシミュレーションでも数学的な理論構築でも無く、
人間の手とねん土で最新のステルス技術は生まれたのだというのは興味深い所です。
(ただしこれを厳密に数学的に解析するのは極めて高度な展開になる。
面反射の正確な計算は一般人にはまず無理で、全断面系の二次曲線(とは限らないが)における
各部の入射、反射角を全て一つ一つ求めるしかない。そして私はそれすら面倒でやる気がでない)



その結果がこの形状でした。
全体が滑らかな局面でまとめられ、鋭角部も凹凸もありません。
上で見た理論に基づき、機体の周りに餃子のような“フチドリ接合部”ができており、
個人的には「餃子型ステルス技術と」呼んでおります。
こうして鋭角な部分も凹凸も無くなったタシット ブルーは驚異的なステルス能力を手に入れ、
以後、このスタイルがアメリカのステルス機の基本となって行きます。

ただし見れば判るように極めて極端な形状で、まともに飛ぶのかこれ、と思ってしまう所ですが、
この辺りもまたフライ バイ ワイア、コンピュータ制御による飛行で、
操縦が難しい部分は事実上の自動操縦にして解決してしまったのでした。
ちなみにロッキードのF-117も同じような問題を抱えており、こちらもフライバイワイアによって
初めてまともに飛べる機体となった、という面がありました。
先に見たティルト ローター機と併せて、フライ バイ ワイアというのは航空機の歴史の上で、
一般に考えられてる以上に重要な意味を持つ新技術だったと言えます。

ついでながら、このコクピットの窓、これでは何も見えないじゃん、と思う所ですが、
別にステルス技術とかでは無く、ここでの展示に当たってこんな真黒にされたものです。
展示当初は中も見れたんですが、途中からこうなったので、実はまだ機密解除されてない部分があった?

ちなみにこんなコックピットですが、単座の一人で操縦する機体となってます。



今回の訪問目的の目玉の一つ、ノースロップ&マグダネルダグラス YF-23。
1990年8月に初飛行したステルス戦闘機であり、
よく知られてるように競争試作でYF-22に敗れ、不採用となったステルス戦闘機でもあります。

個人的には人類が開発したジェット戦闘機の中で最もカッコいいものの一つだろうと思ってます。
前回、2008年の訪問直後から展示が始まって、悔しくて枕を涙で濡らす事になった機体でございます。
(しかも当時すでに所有してたのに、人が帰ってからようやく展示を開始したのだこの博物館。一生忘れん)

これも上で見たノースロップ式ステルス技術を全面に採用した機体であり、
全体を滑らかな曲面でつつみ、鋭角となる上下の接合部を“ギョウザ式接合”でくっつけています。
ついでにタシット ブルーと同じ事実上の無尾翼機で、
後ろに見えてるのは水平尾翼と垂直尾翼をまとめてしまったもの、
すなわち尾翼は2枚あるだけで、垂直尾翼は無いに近い構造です。
まあノースロップらしいラインですね。



真後ろから見るとこんな感じ。

F-22に比べてよりステルス性を重視したのがYF-23で、このため推力方向変換可能なエンジンとはせず、
さらに赤外線対策も徹底したため、他にあまり例を見ないジェット排気口となっています。
ついでに強く寝かせてステルス性に配慮した尾翼、
エンジンの間に谷間を造って後方視界を確保してる点なども見て置いて下さい。

ただしその結果、運動性をやや犠牲にする事になり、最終的には運動性が高く、
かつ技術的な冒険部分がより小さい、という理由でYF-22が勝利したわけです。
ちなみにステルス性、最高速度(加速度では無い)ではYF-23の方が優秀だったとされてますし、
この構造を見る限り、視界の確保もこちらが上でしょう。

電子技術の発展で、後方視界は無くてもカバーできると言われてますが、
それだったらレーダー反射源の塊であるコクピットを丸ごと機体に埋め込んでしまえばいいはずです。
コクピットの透明キャノピーなんて空気抵抗的にも、ステルス的にも邪魔なだけなんですから。
それを未だ誰もやらないのは、人間の視界の方がはるかに有効だから、という間接的な証明でもあるのです。

展示の機体は黒塗りだった2号機、PAV-2で、
プラット&ホイットニー社のYF-119エンジンを搭載した方ですね。
ちなみにゼネラルエレクトリック社のエンジンを積んで灰色に塗られてた1号機も
カリフォルニアの博物館に現存してます。


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