■F-84の名の下に

さて、冷戦期の館には二つのF-84の名を持つ機体があります。



まずはこれ、F-84F サンダーストリーク。
後退翼を持つ地上部隊支援用の戦闘爆撃機型なんですが、
小型の戦術核爆弾も搭載出来たため、戦闘戦術核爆撃機、という機種になります。
核時代に登場した新しい機種とも言え、
ベトナムの館で見たF-100、F-101、F-105といったセンチュリーシリーズは
基本的にこれの後継機でした。

ちなみに2700機前後造られた機体の内(下で紹介する偵察型を除く)、
600機前後の生産をゼネラルモータースが担当したようです。
戦後もまだ自動車産業が戦闘機の生産の一部を担当していたんですね。



お次はこちら、RF-84Kサンダーフラッシュ。
空気取り入れ口が胴体横に移動しており、全く別の機体にみえますが、
これも後退翼型のF-84の一種なのです。

Rの字から判るように偵察機なんですが、よく見るとコクピットの前にフックがついており、
これが空中収容を前提とした機体であることが判ります。
すなわち、いろいろ変な機体なんですが(笑)詳しくはまた後で。



でもって最後、こちらが朝鮮戦争編で見た元祖F-84。
…三機種とも、ぜんぜん別物じゃん、という感じですね(笑)。

とりあえず一番上のF型、F-84Fは、後退翼を持った高速戦闘爆撃機として開発されました。
これはF-84を名乗ってますが、例によってほぼ別の機体、事実上の新型機に近いものでした。
1950年6月初飛行ですから、元祖F-84の初飛行から4年半ほど経っての事であり、
この時代の戦闘機の進化速度からすると、完全に一世代後のもの、と思っていいでしょう。
(部隊配備はそれから4年もかかってしまって1954年から)
実際、エンジンは別物、全長も長くなり、さらにコクピット周辺も全く新しいデザインになってます。

で、その後退翼型のF-84Fから改造されたのが、お次の偵察型、RF-84Fでした。
この機体は機首部にカメラを積むため、機体前面の空気取り入れ口を潰し
胴体横にこれを移動してしまってます。
このため、正面から見ると全く別の機体になってしまってるのです。
ここまで来ると、さすがに名前変えた方がいいんじゃない、という気がしますが、
それでもF-84のままにしてしまったのでした。理由は全く判りません…





後退翼F-84の2機を後ろから見ると、胴体横の穴あきエアブレーキ板など、
なるほど同じ機体だと感じられるんですけどね。
ちなみに下、偵察型のRF-84の水平尾翼が強烈に下を向いてるのは、この機体、
極めて特殊な運用が行われたRF-84のK型だからです。

実は偵察型のRF-84でも、武装はほぼそのまま残されており、
一応ですが(笑)空中戦も、核武装も可能な偵察機となってました。
このためアメリカ空軍が1950年代から試験を始めていたFICON(Fighter CONveyor/戦闘機運搬)計画で
さまざまな用途に使える機体として採用され、1952年に25機前後が発注されたようです。
通常のRF-84Fとの違いはコクピット前に空中収容のための固定用フックが付き、
さらに水平尾翼が下に大きく曲げられた点となってます。

FICONは航続距離が短いジェット戦闘機をどうやって長距離戦略爆撃機の護衛につかせるか、
という点に悩んだアメリカ軍が始めた計画で、要するにB-36の爆弾庫に戦闘機を積み込んで、
目的地付近まで運んでしまえ、という内容でした。
当時はまだ、戦闘機に空中給油はできなかったので、他に手が無かったのですが、
逆に戦闘機に空中給油ができるようになると、速攻で計画は中止となったのでした。

このRF-84Kはその計画のために造られた機体でした。
水平尾翼が強烈に下に曲げられてるのはB-36の改造機、
弾倉内に戦闘機を抱えられるようにした(下半分は収容出来ずに、はみ出すのだが)
GRB-36への収容時に、ここがぶつかってしまう事が判明した結果、下に曲げられたものです。
当然、機体の操縦性に影響があったはずですが、詳細は不明。

ちなみにRF-84が選ばれたのは、この計画、1機や2機だけ戦闘機を運んで行っても
ほとんど意味が無い、と最初から気づけよ、という問題点が実験中に判明(笑)、
かといって戦略爆撃空軍のプライドにかけて計画中止にもできず、
このため高速偵察機を敵地の側まで運んで飛ばす、という計画内容に変更されたからのようです。
この機体なら、いざとなったら戦闘機にも戦術核爆撃機にも使えたはず(笑)ですから、
また計画変更になっても対応できましたし。

ただし、この偵察型の空気取り入れ口の位置だと、流量不足が起きやすく、
このためRF-84は常にトラブルに悩まれ続け、1961年までには速攻で引退してしまってます。
当然、このRF-84Kも同じ問題を抱えていたと思われますが、
そもそもそれ以前の1956年4月にはFICON計画が中止になってしまったようです。

こういった訳の分からん展開を見せるF-84ですが、後に実験機の館で
さらにスゴイのが一機、登場いたします…


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