■撤退準備

というわけで第二ハンガーまで見学が終わったわけですが、この段階ですでに“閉館30分前よ、覚悟してね”
の館内放送が聞こえてきている。
どうしようか、と思うも、とりあえず隣の冷戦時代ハンガーまでの通路にある展示だけでも見てしまう事に。



ここにあるのは1948年のベルリン封鎖と、それを跳ねのけた西側諸国の空輸作戦の展示です。
ドイツが一つになってしまった今では理解しにくいですが、もともと首都ベルリンは共産圏である東ドイツの中に
孤立して浮かんでる都市で、ここの西側諸国の管轄地区はソ連の軍隊に囲まれてるような状況でした。
その中でベルリンの西側地区はアメリカ、イギリス、フランスがそれぞれ一定面積を支配してたのです。

その後、東西の対立が激化した結果、スターリン率いるソ連が、
西ベルリンへの周囲の陸路を封鎖して、これを締め上げる行動に出ます。
上の写真のマネキンは、その封鎖した検問所を再現したものらしいです。

これに対抗してアメリカが行ったのが西ベルリンへの大空輸作戦でした。
この作戦にはイギリスも参加してますが、全体の指揮を執ったのはアメリカで、
その総責任者はあのキチガイ将軍、カーチス・ルメイでした。
あの男、有能ではあるので、こういった仕事もキチンとこなせばできたのです。
人種差別主義者で人殺しと出世が大好きでキチガイ、という問題点に目をつぶれば、
ルメイは確かに有能な軍人ではありました。
まあ、普通は目をつぶれないと思いますが(笑)、つぶっちゃったのが当時のアメリカ空軍で、
この結果、すでに見たようにベトナムに至るまでの二流空軍化が進むことになったのです。

ちなみに空輸作戦は1年近く続いた後、ソ連側が折れて封鎖を解除、
以後、ドイツと、ベルリンの東西分割に繋がって行きます。



第二、第三ハンガーの間の通路はその展示がメインなのですが、途中、一部の壁には…



世界中の航空博物館でおなじみ、模型飛行機の展示もあり。
…ほとんどの機体の実機があったりするので、何もこんな展示いらないのでは…
という気がしますが、有志の皆さんが寄付して来たらしい模型、捨てちゃうわけにもいかなかったのかなあ…



ちょっと変わった展示品がこれ。
SCR-658電波受信装置。
ベルリン空輸の主要舞台となった西ベルリンのテンペルホーフ空港にアメリカ軍が設置していたアンテナです。

米軍の場合、海軍だけでなく陸軍にも気象観測部隊があり、
連中は観測用気球を飛ばしては風向き、気圧などを計測してました。
(そもそもは航空部隊のためのデータ用なのだが、空軍独立後もまだ存続してた)
その気象観測気球からのデータ送信を受信するためのアンテナがこれ。
やけに巨大ですが、当時、最大42000m(!)の高度まで気球を上がる事があったようで、
それだけの遠距離通信となると、こういった装備が必要だったのでしょう。

この気象観測部隊が西ベルリンに居た事で、ベルリン空輸作戦では気象予測と、
それに基づいた飛行プランの作成に大いに助けられた、との事。



ベルリン空輸で届けられた物資の例。
上は小麦粉の袋で、ミネソタ州製の100ポンド(約45.4s)入りのもの、
その下の丸い缶詰は乾燥卵粉で、アメリカ軍では人気の無かった糧食の一つですが、
まあ、貴重なたんぱく源、という事なのでしょう。
その横の四角い缶は粉ミルク、そして右端の黄色い箱は乾燥マッシュポテトとなってます。


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