■ぶら下げ展示編



ビーチUC-43 トラベラー。
基は民間用のビーチ モデル17 スタッガーウィングで、
これを1942年にアメリカ陸軍か採用した高級将校用連絡機。

ちなみにこれに先立ってYC-43の名前でモデル17をアメリカ陸軍は購入しており、
その性能に満足した上で軍専用機として発注したのがこの機体。
ただし両者の機体にはほぼ違いは無いようです。
ちなみに急な採用に生産が追い付かず、民間にあったモデル17を徴用して使った、という話もあり。
最終的には海軍にも供与され、民間からの徴用も含めて380機以上が使用されたようです。

第二次大戦初期には、イギリスやイタリアが練習機以外でも複葉機を飛ばしてましたが、
1942年になって大量採用、というのは珍しいでしょう。
ついでに練習機以外で、アメリカ軍が使用した唯一の複葉機じゃないかと思います。
ただし、この機体、速度は最高でも350q/h前後、自衛の武装も無いので、
大戦末期にはP-51を複座に改造した機体がノースアメリカン純正、そして現地改造で
次々と造られ、将軍クラスの皆さんはそちらで飛ぶのを好んでました。

展示の機体は大戦中は海軍が使用していたもので、戦後は個人が所有、1974年に寄贈されたもの。




コヴァー(Culver)PQ-14B。

ピンボール機、P-63で見たようにこの手のオレンジ色の機体は射撃訓練用で、これは無線操縦標的機。
大戦中はもちろん、戦後も1950年代くらいまで使われていたようです。
コクピットがあるのは射撃訓練場までの輸送用、飛行テスト用で、あくまで無線操縦が主。
操縦は母機であるビーチC-45から無線で行ってました。

基本的には対空砲部隊の訓練用でした。
命中を確認するために実弾が使用されたため、
命中弾が出ればさようなら、というある意味、贅沢な機体。
アメリカ軍はやっぱすげえな、という感じです。
そんな機体なのに、脚はキチンと引き込み式で、一応、300q/hは出たようです。

陸軍向けに約2000機、海軍向けに約1000機造られたものの、
ほとんどが訓練で吹き飛ばされてしまったため、現存機は貴重だったりします。
展示の機体は1983年に個人から寄贈されたものだとか。



ラジオプレーンOQ-2無線標的器。
こちらはより小型の無線標的機OQシリーズの二番目の量産機。
海軍でも採用しており、両者を合わせると大戦中に1万基以上の
OQシリーズが生産されたと見られてます。

ちなみに海軍ではこれを専用カタパルトとともに補給艦に積み込み、
戦地での対空射撃訓練に使ったりしてました。



ヴァルティー BT-13B ヴァリアント。
Valiantは勇猛な、といった意味で練習機につける名前では無い気がするんですが、
英語圏の人間にしかわからない隠語でしょうかね。

アメリカ陸軍の基本練習機で、エンジン強化型のBT-15と合わせると1万機を超える機体が造られてます。
正直、ぜんぜん知らない機体ですが(笑)、こんなのまで1万機も造ってたのね、アメリカ軍…

ちなみにアメリカの訓練課程は、初等練習機(Primary)、基本練習機(Basic)、高等練習機(Advanced)の
三段階に分かれており、初等練習機が既に見た複葉のPT-13 ケイデット、
基本練習機がこのBT-13、そして最後の高等練習機が世界中でおなじみAT-6テキサンとなります。
それぞれの型番の頭についてる文字、P、B、Aが難易度を示すわけです。
テキサン、地味なようで最も高度な練習機なんですよ。
ちなみに世界中で見かけるT-6、この博物館では対地攻撃の指揮機として朝鮮戦争編で登場します。


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