■イタリアとイギリスと



さて、今回は第二次大戦編の続きで、ヨーロッパ機を中心に見て行きましょう。
ちなみに前回のでこの第二次大戦棟の機体のようやく1/3になるか、どうか、という感じでして、
先はまだまだ長いのです…

今回紹介する機体は、すでに航空機愛好機関で紹介している、
あるいはいずれ紹介する予定の機体ばかりなので、最低限の解説に留めます。
すでに記事のある機体はリンクを張っておきますが、
それ以外のものは、なるべく早く、私が記事に取り掛かれるよう、皆さん、祈ってください…



でもってシカゴの産業科学博物館に続いて、ここでも多くの子供達の集団を見る。
夏休み中なので、学校行事ではない気がするのですが、どうでしょう。
今回気付いたのは、黒人系の子供たちは、黒人系だけで固まってる事が多い、という事。
白人系の子供たちの中に数人、黒人が入ってる、というのも何度か見ましたが、
基本的には両者はキレイに別れてます。

そして、この子供たち以外、ほとんど黒人系の見学者はいませんでした。
これはすでに何度も指摘してるように、無料だろうが、その展示内容が何であろうが、
どういうわけか、アメリカの博物館系の施設では黒人の人、
その人口構成比に比べ、圧倒的少数しか見ないのです。
今回も街中ではそれなりの人数を見たのに、ここではさっぱりでした。

どうも私が考えてる以上に、アメリカの人種間の断絶、というのは存在する気がしますねえ…。



さて、展示にもどりましょう。イタリアを代表する戦闘機の一つ、マッキMC.200サエッタ
全体的にダメっぽい、という雰囲気を漂わせていますが、設計は
水上機のエアレース、シュナイダー杯で数々の流麗なイタリア代表機を設計した、
あのルイージ、否、マリオ・カストルディだったりします。判らんもんです。
同じシュナイダー杯出身のイギリスのミッチェルがスピットファイアという美しい機体を
デザインしたのとは対照的で、イギリスとイタリアのデザイン、本来なら逆のような気もします。

日本と並んで、あるいは日本以上にヘンリー・フォードによる大量生産が根付いてなかったイタリア、
この機体も開戦前に150機前後があっただけ、最終的にも1150機前後が造られただけで終わります。
性能に関してはあまり信頼できる数字が出回って無いのですが、
いずれにせよ1000馬力すら出てない(870hp)エンジンに、このデザインですから、
まあ、あまり深く考えるだけ時間の無駄だと思われます。

ちなみにエンジンカウル先端の金属光沢は、オイルクーラーで(笑)、
ここにむき出しの銅パイプを配管して冷やしてます。
妙なところがレーサー機っぽいな…。

展示の機体は1942年ごろ北アフリカでイギリス軍によって鹵獲されたもの。
これをシカゴの産業科学博物館で見た機体のように、イギリスが戦時国債を
アメリカで売るための宣伝用に送り込み、戦後もそのままになった機体。
ただし、戦後は民間の博物館や個人の所有を転々とした後、
最後に購入した人物がイタリアのアエルマッキ社に持ち込んで、レストアしたものだとか。
ちなみに今回の訪問では周囲が工事中でほとんど近づけず、
この角度から写真を撮るのが精一杯でした。トホホ…。



ブリストルのボーファイター Mk.VI(6)。
なんでわざわざ機体が見えなくなるような、そして心底どうでもいい看板を置くんでしょうね、この博物館。

当時世界中で流行って失敗に終わった双発戦闘機ですが、当然、これも使い物にならず、
結局、夜間戦闘や対潜哨戒機として使われてました。

大戦末期にP-61が登場するまでアメリカ陸軍はまともな夜間戦闘機を持っていなかったので、
イギリスから供与されたこの100機近いボーファイターを使用していたのだそうな。
(事実上の無償貸与だったレンドリース法の見返りにいくつかのイギリス機がアメリカに引き渡されていた)
アメリカ陸軍では、主に1943年夏から地中海方面で活躍したとのこと。
ただし展示の機体は本来オーストラリア空軍に配備されたもので、1947年に退役後、
戦後の1971年まで放棄された状態だったのをレストアしたものらしいです。
なぜアメリカ空軍博物館の所有になったのかは謎ですが、1988年に入手してレストア後、
2006年ごろから展示が開始されたとの事。

ちなみにこの塗装が地中海戦線における米軍の夜間戦闘機塗装なんですが、
真黒で無いのは攻撃機として昼間に出撃する事もあったからか、
夜間戦闘機という分類が無かったので塗装の規定が無かったのか、どっちかでしょう。



スピットファイア Mk.V(5)C トロピカル仕様。
この場合のトロピカルは南国バカンス気分では無く、熱帯乾燥地帯用の事で、
アゴしたの防塵フィルターが付いてるタイプを指します。

この設計者ミッチェルとスーパーマリン社はエアレース機の設計で鍛えられたのですが、
同じような経歴を持つ会社、カーチスもマッキも戦闘機ではパッとしなかったので、
唯一の例外ともいえる傑作機になってます。
結果から言えば、レース機で得られた経験値は兵器の設計には直結しない、という事で、
高速性は戦闘機でも重要ですが、それだけじゃダメなんでしょうね。

スピットもレンドリースの見返りにアメリカに供与された機体の一つで、
特にイーグルスコードロン、アメリカ参戦前に義勇パイロットとしてイギリス空軍に参加していた
パイロットとたちがアメリカ軍の所属に戻った時、その部隊で多く使われてました。

展示の機体は北アフリカで活動したアメリカ軍所属のスピットを再現した機体。
本来はこれもオーストラリア空軍向けのもので、後にイギリス帝国戦争博物館から、
譲り受けた機体らしいですが、詳細は不明。


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